比丘たちよ、すべては燃えている。
熾燃(しねん)として燃えさかっている。
そのことを、なんじらはまず知らねばならない。
この言葉は、仏教の始祖である釈尊によって語られた説法で、うろ覚えですが、初期仏教経典である阿含経に有ったと覚えています。この「すべては燃えている」というのは、仏教が中国にわたって中国語(漢字)に訳された時に書かれ、日本に伝わったものですから、原本(釈尊生存時)の言葉ではなんといったのかは不明です。意訳として「燃えている」と訳されたわけですが、この言葉が仏教の基本的な考え方である、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」につながり、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」という平家物語に受け継がれています。
諸行無常、すべては燃えている、というのは世の中のものはすべてが常に変化して、一つ所にとどまるという事がない。という考え方(仏教では真理という)をよく表しています。日本では諸行無常の「無常」だけをクローズアップして「世間は常に変わっちゃうんだから、何に対してもこだわることなくケ・セラ・セラでいいんだよ!」という達観したような諦めの意味に使われてしまうことが多いようです。
しかし実際には、「どうせ無常なんだから頑張ることなんてないんだよ」というのが釈尊の伝えたかったことではなく、人々は「今の幸せは永遠に続く。」「自分には不幸なことばかり起こる」「お金があれば絶対的な幸福を生涯得られる」などと勘違いをしているが、本来は「どんなものも変化していて、ずっと同じことが続くことなどないよ」「すべてにおいて変化するのだから、世の中のものはすべて同じという事などありえないよ」「自分と他人には差別があるのが自然なことで、すべてを同じだと考えることは間違ってるよ」ということを伝えているんですね。
それを実証するように釈尊最後の教えである大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)では、「常楽我浄(じょうらくがじょう)」という言葉に変化して、「世の中のすべては、常に楽しく我は清らか」だと説いているのです。
真反対のことを同じ人が述べているわけですが、よく考えていくと「諸行無常」を基本にして「常楽我浄」を達成しなさいと言っているんです。
長々と仏教の言葉を解説してしまいましたが、それは現在のアメリカ大統領選挙の混乱を見て、ふと思いついたからです。実際にはUSA50州のひとつの州も「バイデン候補が、大統領選挙で勝ちました!」と発表していないというのに、メディアでは、「バイデン当選確実」としてすでに結果は出ているという前提で報道している。これっておかしくない!?
日本の選挙でもNHKが「当確」と出しても後に訂正されて他の候補者が当選することもありますが、いまは日米ともに一方的に「次期大統領はバイデン」という前提で報道されています。
アメリカではトランプ候補に投票した7000万人を超える人たちが、「この選挙は盗まれた」「不正な投票を暴け」とデモを行ったり、ワシントンに集結しようとか、大混乱になっているようです。
日本にいる僕としては何が正しいのかを判断する材料はないのですが、ネットを含めた報道からはトランプ有利というのが正直なところです。しかし日本では考えられない、これらの行為は「うらやましいなぁ」と思うのは間違っているでしょうか?日本では大概、世間を気にして本当の自分の心とは別に、「こんなことして世間からどう見えるだろうか?」と気にしすぎる傾向が強いと思うのです。なぜ他人と同じでなくちゃいけないんでしょうか?
自分は自分であって他人とは違う!
諸行無常であって、行動も考え方も変化するのが当たり前。
自分をしっかり主張して常楽我浄になろう!
って思うのです。
ご参考になるかどうかわかりませんが、大紀元というメディアの動画を二つご紹介します。これを見てあなたはどう感じますか?