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武漢ウイルスなどの影響が喧しい最中ですが、北朝鮮に拉致された「横田めぐみ」さんのお父様「横田滋」さんが、昨日6月5日にお亡くなりになりました。

拉致被害者の会での中心者だったこともそうですが、娘のめぐみさんを思う、必死なお姿が思い出されますが、各誌が訃報を伝えていますので、ここで纏めてみたいと思います。

横田滋さん死去 拉致問題 解決への道筋は依然見通せず

2020年6月6日 8時12分

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親の横田滋さんが、5日亡くなりました。政府は拉致問題の解決に向けて、あらゆる機会を捉えて取り組むとしていますが、日朝首脳会談の実現のめどは立っておらず、解決への道筋は依然として見通せない状況です。

中学1年生の時に北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親で、40年以上もの間、娘の救出活動を続けてきた横田滋さんが5日、亡くなりました。

安倍総理大臣は5日夜、「滋さんが早紀江さんとともに、その手でめぐみさんを抱き締めることができる日が来るようにという思いで、こんにちまで全力を尽くしてきたが、いまだにめぐみさんの帰国が実現できていないことは断腸の思いであり、申し訳ない思いでいっぱいだ」と述べました。

政府内からは、滋さんが妻の早紀江さんとともに、拉致被害者の救出に向けて先頭に立って活動してきた存在だったことから、「衝撃は大きい」という受け止めが出ています。

拉致被害者の家族では、ことし2月に有本恵子さんの母親・嘉代子さんが亡くなるなど、高齢化は切実になっています。

政府は拉致問題の解決に向け、引き続きあらゆる機会を捉えて取り組むとしていますが、条件をつけずに実現を目指している日朝首脳会談はめどが立っておらず、解決への道筋は依然として見通せない状況です。

米国務省「拉致問題解決を強く求め続ける」

アメリカ国務省は5日、NHKに対し、「横田滋さんのご家族に深い哀悼の意を表します」とする報道担当者のコメントを出しました。

のうえで国務省は「アメリカは北朝鮮に対し、日本人を拉致した問題を速やかに解決するよう強く求め続ける」として、今後も北朝鮮に対し、拉致問題の解決を求めていくと強調しました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200606/k10012460551000.html
横田めぐみさんが拉致前日にプレゼントしてくれた
櫛を手に思いを語る父の滋さん(右)
=平成28年11月、川崎市内
北朝鮮に拉致された人々を救出する京都府民大会で講演する、横田滋さん(右)と横田早紀江さん(左)
【撮影日:2002年11月28日】

昭和52年11月に北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で、拉致被害者家族会の前代表、横田滋(よこた・しげる)さんが5日午後、老衰のため川崎市内の病院で死去した。87歳。

 平成9年2月、めぐみさんが北朝鮮に拉致された疑いが産経新聞などで報じられ、国会でも取り上げられると翌3月、日本各地の被害者家族とともに家族会を結成し代表に就任。妻の早紀江さん(84)と全国1300カ所以上で講演し被害者奪還を訴える署名活動などにも尽力、救出運動の象徴的存在になった。

 19年9月に胆嚢(たんのう)の摘出手術を受け、体調不良や高齢による体力面の不安から同11月に家族会代表を退任。その後も、早紀江さんらとともに救出活動に積極的に取り組んでいたが、自身のけがや、体調不良から講演などは減少していた。30年4月にはパーキンソン症候群のため入院し、リハビリに取り組んでいた。

 徳島県で生まれ、北海道で育った。昭和39年10月、早紀江さんとの間に長女のめぐみさんが誕生した。日本銀行新潟支店に赴任していた52年11月15日、中学1年だっためぐみさんが帰宅途中に失踪。約20年後の平成9年1月、亡命した北朝鮮工作員の証言などから、北朝鮮による拉致が確実視されるようになった。

 北朝鮮は14年9月の日朝首脳会談でめぐみさんの安否について「死亡」と説明したが提供資料などには嘘や矛盾が数多く発覚。16年に「遺骨」として提供してきた骨も、DNA型鑑定で別人のものと判明し、日本政府は北朝鮮に被害者の帰国を求め続けている。

https://www.sankei.com/world/news/200605/wor2006050028-n1.html

 「会いたい」「がんばる」-。5日に87歳で亡くなった横田滋さんは、最期まで、家族の励ましに応えたという。平成30年4月に体調不良で入院し、晩年は意識がはっきりしない時期もあったが、娘のめぐみさん(55)=拉致当時(13)=と元気な姿で再会しようと命の炎を燃やし続けた。

 滋さんにとって、救出運動は身を削られるような決断と忍耐の連続だった。9年1月、めぐみさん拉致の事実が判明すると、家族が「危険だ」と躊躇(ちゅうちょ)する中でただ一人、実名の報道に応じる決断をした。「実名を出さないと意味がない」。匿名では信憑(しんぴょう)性が薄く、世論に伝わらないと考えたからだった。

 同年3月に結成された被害者の家族会では代表に就任。妻の早紀江さん(84)ら家族と全国を回り、救出を訴えた。拉致自体を信じてもらえない時期もあり、署名用紙をのせたボードを通行人にたたき落されたこともあった。

 だが、めぐみさん拉致事件が社会に浸透し始めると、署名は1年で100万筆を超えた。滋さんの娘への深い愛情と、ひたむきな姿は救出運動の象徴となり、拉致解決を求める声を全国に広げる大きな契機になった。

 19年11月、血液の難病や体力の衰えなどを理由に代表を退いた後も、スポークスマン的存在として全国の集会や講演に出席。講演回数は1300回を超えた。

 体調を心配した周囲が控えるよう言っても、依頼を断ることはなかった。「拉致事件を解決に導く最大の原動力は世論だ」と信じていたが、晩年はパーキンソン症候群のため体が硬直していった。思うように言葉が出なくなり、集会や記者会見などへの出席を見送ることが増えていった。

 体調がすぐれなくてもできる限りの活動を続けた。全国に配信するビデオメッセージを作製。言葉を出やすくするため、リハビリを兼ねた筋力トレーニングと発声練習をしてから、収録にのぞんだ。「もう止める?」。汗ばみ苦しそうな姿を早紀江さんが心配しても「大丈夫」とほほえんだ。

 「めぐみちゃんがすぐ隣まで来ている気がする。早く会いたいです」。入院直前に収録した動画は数十秒ほどのメッセージだが、1時間近く言葉に詰まりながら、懸命に撮り直しを重ねて完成させたものだった。

 30年4月、食事がのどを通らなくなった滋さんは入院。点滴で栄養を補っていたが、十分ではなく、管を通して胃に直接栄養を入れる「胃瘻(いろう)」の処置に踏み切った。口から食べ物や飲み物を取れなくなることに、家族はためらったが、「少しでも元気な姿で再会させたい」と決断した。

 体調は上向いたものの令和2年初めごろから、胃瘻でも栄養がとりにくくなり点滴を再開した。容体は一進一退を繰り返し意識がはっきりしない日もあった。

 生前の滋さんがめぐみさんと同様に気にかけていた存在がある。めぐみさんが北朝鮮で産んだ孫娘、キム・ウンギョンさんだ。平成26年3月、モンゴルで面会を果たし、報告の記者会見では喜びを語った。だが、この面会も、ウンギョンさんの存在が分かってから実現まで10年以上を要した。

 北朝鮮から訪朝を呼び掛ける動きがあったが、めぐみさんの「死亡」を既成事実化される恐れがあり、第三国で面会が実現するまで滋さんは会いたい思いを押し殺した。孫に会うことすらままならない「非日常」もまた、北朝鮮によって生み出されたものだった。

 晩年、病室のベッドで滋さんを励ましたのはめぐみさんの笑顔だった。幼いころの姿。北朝鮮から届いた大人の姿。ベッドの近くに飾られた写真の中の笑顔を見つめ、「会いたい、頑張る」と希望を捨てなかった。その思いが揺らぐことは最期までなかった。

https://www.sankei.com/world/news/200605/wor2006050029-n1.html
ソウル市内で、金英男さんの母・崔桂月さんと握手する横田滋さん(右)。左は英男さんの姉英子さん=2006年5月撮影
娘のめぐみさん(後方右)と孫のキム・ウンギョンさんの
写真の前で、報道陣に話をする横田滋さん(手前左)と
早紀江さん=2006年4月
https://www.asahi.com/articles/DA3S14503402.html

 【ソウル=建石剛】拉致被害者の横田めぐみさん(当時13歳)の父・滋さんの訃報ふほうは、日本と同様に被害者のいる韓国にも、悲しみとともに広がった。

 「日本人拉致事件の象徴である、めぐみさんの父が死亡」。聯合ニュースは5日夜、日本メディアを引用する形で報じた。

 記事では、滋さんが妻の早紀江さんとともに長年、日本全国を回って署名活動をしていたことや1400回を超える講演を行ったことなどを紹介。2002年の日朝首脳会談を機に北朝鮮が拉致を認めたことや、一部被害者の帰国などの経緯も取り上げて、「(問題は)公式的に未解決状態のまま残っている」とした。

 めぐみさんの夫とされる韓国人拉致被害者の金英男キムヨンナムさんの姉、金英子キムヨンジャさん(62)は読売新聞の取材に、「めぐみさんに会えなかった滋さんが、胸に大きな痛みを抱え生きてきたのがどれくらいつらかったか」と泣きじゃくった。

 滋さんとは、06年の来韓時などに会った。英男さんは高校1年生だった1978年に北朝鮮に拉致され、86年にめぐみさんと結婚したとされる。英男さんは今も北朝鮮にいるとみられるが、英子さんと、2018年12月に亡くなった母・崔桂月チェケウォルさんは面会を果たすことができた。

 英子さんは「私たちだけ会えて申し訳ない気持ちがあり、胸がとても痛む」と話した。

https://www.yomiuri.co.jp/world/20200606-OYT1T50075/
朝日新聞より
朝日新聞より
朝日新聞より

朝日新聞さんは、有料コンテンツになっており、報道内容は転載不可でした。

滋さんの妻、早紀江さんは、今後お一人になって支えあう人が居ないというのは大変だろうな。という平凡な事しか書けませんが、中国情勢が変わりゆく今、好機と捉え、早く解決していただきたいと願う事しかできないのが悔しいですね、皆さん。

About The Author

有限会社シンフォニアSinfonia 山本
本サイトの管理者です。
プロダイバー業務、パソコンの販売・修理、モバイル端末も扱います。
この一年くらいは、Win7 のPCを Win10 に upgrade する、お仕事が毎週のように入っていて忙しくさせていただいてます。
プロバイダーとしても最新の環境をご提供すべく努力しています。
また、クラウド、ウェブメーラー、スパムフィルターなど常に新しいものに挑戦するのが大好きです。

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