有限会社シンフォニア

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生きている。と感じるのは、どんな時なのでしょうか?
人それぞれ、または時々に感じるシチュエーションは異なるのでしょうが、最も強く感じるのは、やはり身近な人の死と直面したときなのではないでしょうか。

私が人生で始めて、死そして生というものを感じたのは、高校一年生のときでした。
小学校・中学校と一緒に育った幼馴染が火災により死んだときでした。
人の死。それはあっけらかんとしてやってくるものだと痛感したのですが、虚しさと同時に今の自分はどうあるべきなのか。これからの自分をどのようにしていったら良いのかを深く考えるようになったのを覚えています。
当時、高校への通学で電車に揺られながら、車窓に映る自分の顔をながめながら、「どんな顔をしたら人が喜んでくれるだろうか」とか、「君が死んで悲しいはずなのに何故、笑顔を作ろうとしてるんだろう」なんて具合に支離滅裂な思考をしていたのを思い出します。
でもそこではっきりとしていることは、「自分は生きている」ということを体で知ることが出来たということです。
「死」と「生」に、どういう違いがあるのかは分からないけど、確かに自分はここに生きている。じゃぁ、「死んだ者」と「今生きている自分」の間には明確な違いがあって、その違いを知ることが生きていることの証だと思っても間違いはないのかな、と。

おぎゃぁ!と生まれて、人は間違いなく「死」へ向かっている。誰一人として死なない者はない。ならば「死」を意識して今を生きることは大切なことで、「死」を意識しないのは「生」を無駄にしていることとも言えるのではないか。
刻一刻と「生」の時間は減少している。それを肯定して一所懸命になること。それが「生きていること」なのかな。

今、自分はここにこうして生きている。それを当たり前と感じるのは仕方ないことかもしれないけど、この一瞬にも多くの人が亡くなっていることを想像することが出来れば、当たり前ではないことを理解できると思う。
ほんの一分後にも自分に死がやってくるかもしれない。
そう思えたら後で悔いの無い今を生きられると思う。
それは決して「自分のやりたいことをすること」ではないはずだ。
迷い、悩み、悲しみ、そして喜ぶ。
そうしたことすべてが生きていることの証。
なんと楽しいことだろうか。
死を迎える一瞬まで、どこまでも自分を向上させられるような努力をすることが出来たら、きっと満足な死を迎えられるだろう。
その時に初めて「自分は生きてきたんだ」と実感することが出来るのだろう。

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有限会社シンフォニアSinfonia 山本
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プロダイバー業務、パソコンの販売・修理、モバイル端末も扱います。
近頃はネット技術の革新が続いており、ウェブの標準も暗号化だけでなく、同時に通信を高速化する HTTP/2 が主流になりつつあり、同時にPHPもVersion8 への移行が進んでおり、弊社サーバーでも標準仕様となっています。

他にも、クラウド、ウェブメーラー、スパムフィルターなど常に新しいものに挑戦するのが大好きです。

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