コラム 『“隊長”の精神(病)野球』

隊員発行メールマガジン 【週刊・野球小僧の部屋】より抜粋




2001.10.10 : - がんばろうアメリカ -



2001年9月11日(現地時間)午前9時。
私(42歳)の人生で目にした中で最も痛ましい事件が起こった。
ご存じアメリカの【同時多発テロ】である。

5000人以上の亡くなった方のご冥福を祈ることは勿論だが、
直接または間接的にも被害に遭われた方々の「一生、消える事の無い心の傷」を思うと、
誰もがいたたまれない気持ちになると思う。


【週刊・野球小僧の部屋】本編にもあった通り、
野球をやっていられるレベルの平和さが保たれる事と、
野球が少しでも被災者の「癒し」になってくれればと願って止まない。
その役割を担う『日本人代表』を“イチロー”に託しているのは、私だけでは無いはずである。


この事件と“イチロー”で、多くの日本人が思い出しているのが
【阪神・淡路大震災】後の −がんばろう神戸− である。
あの時の“イチロー”のガンバリと“オリックス”の優勝が、
神戸市民だけでは無く近隣被災者の心の支えと癒しに少なからず影響したと聞いている。
そして今、彼がアメリカで野球をやっているのだ。期待せずにはいられない。


もしかしたら“イチロー”は、そのような役割を持った『神に選ばれし選手』なのかもしれない。
彼の特異な「才能・努力」は勿論否定などする気は無いが
『実力以外の運命に導かれた』部分があるとも思っている。


私の持論だが「非凡な才能でも、平凡な名前により埋没する」事がある。
“鈴木一郎” おそらく日本で1・2を争う「平凡な名前」である。
もし彼が全国区レベルの高校球児だったり無名過ぎていたら
“オリックス”への入団は難しかったかも知れない。

球団の身売りにより、生まれ変わろうとするチーム。
メジャー級の新球場が、従来の『打力があれば守備には目をつむる』外野手ではなく
『1に脚力2に強肩3に打力』という選手を要求していた。

そして2年目にスタッフ一新による“仰木監督”“新井・河村 両バッティングコーチ”
“山田ピッチングコーチ”と出会う。
加えて“パンチ佐藤”も1つ先輩である。
この年、彼は“鈴木”ではなく“イチロー”として鮮烈なデビューを果たした。
つまり“仰木監督”と“パンチ佐藤”のいる“オリックス”に入団していなければ
“イチロー”という登録名は誕生しなかったハズである。


事件後、約1週間でMLBは再開された。
再開2試合目で“マリナーズ”は地区優勝を決めた。
そのゲームの“イチロー”からは『悲壮感』が漂って見えた。

その様な状況でなくとも、彼は常に『まじめな野球小僧』であった。
結果を伴っているせいか?彼のプレー1つ1つから『一所懸命さ』が伝わって来る。
それは派手なパフォーマンスからだけでは無く
『凡打の時の全力疾走』や『心のこもった捕球・送球』の様な
一見平凡なプレーからも伝わって来る。
彼のプレーから『勇気』や『元気』を与えられると言う人もある。


だから、がんばれイチロー。がんばれアメリカ。  がんばろうアメリカ



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