コラム 『“隊長”の精神(病)野球』

隊員発行メールマガジン 【週刊・野球小僧の部屋】より抜粋




2000.09.07 : - カリスマ -



▽銀幕のカリスマよりも甲子園のカリスマ
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少し前の話だがTVで【第2の“石原裕次郎”発掘コンテスト】を見た。
何か「有望な男優を選ぶコンテスト」になっている様に感じて
物足りなさを覚えたのは私だけだったのだろうか?

もちろん持論だが、第2の“石原裕次郎”を選ぶのには、
演技力やルックスより“カリスマ性”を重んじるべきでは無かったか?
ある程度の演技力は後からでも身に付くし
今の基準で「悪いルックス」でも売れてしまえば「良いルックス」に評価は変わる。
もしかしたら全国の“暴走族”などのリーダーの中からピックアップした方が、
本当の意味での【第2の“石原裕次郎”】が見つかったのではないか?と思うのは、
単に『サラリーマン金太郎』の見過ぎなだけかもしれない。(^^ゞ

平均化された日本の若者に“カリスマ性”を求めるのは酷かもしれないと思う一方で、
2年前の夏おっそろしく“カリスマ性”のある若者を見た事を思い出していた。
ご存知“松坂大輔”である。

読者の方もご記憶と思うが、98年夏の甲子園大会。
春夏連覇を目標に甲子園に乗り込んだ“松坂大輔”率いる“横浜高校”は、
全国の高校球児が「打倒!松坂」を合言葉に鍛え上げたチームを相手に
【死闘の準々決勝】【奇跡の準決勝】と勝ち抜き【快挙の決勝戦】で締めくくり、
春夏全国を制覇した。

“PL学園”との延長17回を“松坂”1人で投げきり、伝説的死闘を制した試合の後
“横浜高校・渡辺監督”は、インタビューで「明日は“松坂”を投げさせません」と言い、
当の“松坂”も「明日は投げません」と言い切った。
アナウンサーの「え?“松坂”くんが投げなくて大丈夫なの?」との問い掛けにも
「でも、投げませんから」とニコニコしながら答えていた。

翌日の明徳義塾高校戦。本当にマウンドに“松坂”は居なかった。
レフトを守り、エースとしてではなく打者としてチームに貢献しようとしていた。
8回表を終了し6−0とリードされている。誰がどう見ても敗色濃厚である。
この時多くの高校野球ファンは“横浜高校・渡辺監督”の勝利よりも
選手の体調管理を優先させた大英断に拍手を送りつつ、
怪物“松坂大輔”が志し半ばにして甲子園を去ろうとしている現実に、
寂しさと戸惑いを感じていた。

その甲子園に突如として「ざわめきと歓声」が起こったのが
8回裏“横浜高校”の攻撃が始まった時だった。
ベンチ前で“松坂”がテーピングをむしり取りピッチング練習を始めたのだ。

「最後に“松坂”が投げるぞ!」全ての観客は期待に胸を躍らせた。
しかしそれ以上に“横浜高校ナイン”に何かが起こった。
急に生気が蘇えったと言うか目の色が変わったように見えた。
そして8回に4点9回に3点を挙げて逆転サヨナラ【奇跡の逆転勝利】でゲームをモノにした。

「7回までで“明徳・寺本投手”は限界だった」とか
「“横浜高校”は“松坂”のワンマンチームではなく、
  他の選手も全国優勝のレベルまで鍛えられていた成果だ」との意見もある。
もちろんそれは否定しない。

しかしあの試合展開を逆転で勝つのは容易な事ではないのも事実である。まるで
「今日“松坂”が投げないのは彼を壊さない為ではなく、
 明日の決勝戦をベストで投げさせる為だった」事を思い出したかのように、
全員に「勝つぞ!」の意欲がみなぎった。
そして全員が勝つ為にその状況下で自分に出来る事、いやそれ以上の結果を出した。
その結果の逆転劇に見えた。

それを全ての理由にしてはイケナイとは思う。
それでも私は、この場面『“松坂”のカリスマ性』に鳥肌が立ってしまっていた。
この子は『只の好投手』では無い。
持って生まれたモノか、努力で獲得したモノか分からないが、
彼は我々に『目に見えるカリスマ性』を見せ付けた。


▽野球界のカリスマ
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「カリスマって何?」と聞かれ、返事と言うか、具体的表現に困った事がある。
こんな具体的なモノを見せられては、どんな表現も物足りなくなってしまう。

ただし、これは1人で投げ抜く事を前提とした高校野球での話である。
アマチュア野球と違ってプロ野球では
1人の選手が『カリスマ的存在』になる事は基本的にありえない。
投手は135試合に出場する訳ではないし、
打者も9イニングのうち参加するのはセイゼイ半分である。

私の記憶だからアテにならないが、V9時代の“巨人ON砲”(プラス川上監督?)や、
第1期黄金時代の“西武のAK砲”(プラス石毛?)
もしくは他のチームでも“投打の2枚看板”などと称される様に、
2人もしくはそれ以上がセットとなった『カリスマ』でしか無かった様に思える。


プロ野球で『カリスマ的存在』になり得る条件は、
135試合・フルイニング試合に携わる存在で、選手としての成績が球界トップレベル。
外野手はどうしても守りで参加している意識が薄くなるので
内野手(ファーストは外しても良いかも)という事になり、
さらに人間的な魅力が無いとイケナイし・・・・・・・・

と考えると、V9時代の“巨人・長嶋”は一見条件を満たしている様に見えるが
『典型的B型人間』の彼が「人間的な魅力」を満たしているとは思えない。
(読者でB型の方、スミマセン。あなた方は“典型的”じゃ無いって事で勘弁して下さい。
 ちなみに私は『典型的B型人間』です)

ただし、この10年の間に『例外的カリスマ的存在』が2人ほど現れた。

1人は98年の“ベイスターズ・佐々木投手”
ただしこれは“権藤監督”が、この年だけ半ば強引に『カリスマ』に仕立て上げただけで、
ムリがたたり翌年には続かなかった。
不思議な事に過去も含めて、各チームの絶対的抑えも『カリスマ』にはなり得ていない。
やはり抑え投手には『負けゲームを引っくり返させる』事はムツカシイからかもしれない
(プロの世界では6点負けてる状況で抑え投手が投げる事は無いから)

もう1人は“ヤクルトの古田捕手”
先ほどの『カリスマの条件』を完全に満たしており、
ある意味現在も日本の野球界(アマチュアも含む)では『カリスマ的存在』と言えるのだが、
ここ数年間の彼の存在感とチームの戦績とを合わせ見ると
“野村監督”とセットが条件の『カリスマ』だったと言われても仕方が無いと思える。


などと考えて行くと、やはりプロ野球では1人の選手が『カリスマ的存在』にはなれず、
その正否は別として“監督”が1番『カリスマ的存在』に近いのかもしれない。

そう言えば去年「選手の名前は数人しか知られてないが、監督だけは超・有名」なチームが
両リーグを制した様な感じがするが気のせいだろうか?
もちろん、この2人の監督が『カリスマ的存在』と言う訳ではないが・・。

もしかしたら、日本のプロ野球で『カリスマ的存在』になるのは
“監督・兼・プレーヤーとなった時の古田”なのではないだろうか?そ
うなると、益々“野村2世”と呼ばれるのかもしれない。
それはそれで少々楽しみではあるのだが、
同じプロ野球界に同じポジションの実の息子がいても、
彼は“野村2世”とは呼ばれない。

正しい日本語では彼を指す言葉なのに。(T_T) 

                             



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