


| 大阪の病院から京都の病院、京都の病院から東京の病院と、あちこち電話をかけ、足で探し、たどり着いたのが名古屋大学医学部付属病院でした。
名大に来る日の朝、さおりちゃんも少し状態が悪く、また入院してきていました。 でも元気に私を見送ってくれた。 私は、「どっちが先に死ぬのかなあ」と思うと、涙がぽろぽろぽろぽろ出たんですね。 「姉ちゃん、女の人が泣くのは結婚式の日やで。今頃泣いてどうすんの。」 と、おしゃまにも笑いながらそう言ってくれまして、別れてくれました。 でも結局彼女との会話は、それが最後でした。 私はちょうど一月目、命が危ないといわれた一月目、名古屋にやって来ました。 病院に来たと同時に意識がなくなり、危篤の状態になってしまったそうです。 全くもう、記憶はありません。 |
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それは記憶喪失とかそう言ったものではなく、医学的に昏睡状態に陥ってしまいました。 |
| 私と母の血液型はA型とB型という、いわゆる赤血球の型が違ったので、母からは870ccの骨髄液が出されましたが、私に届いたのは、たった90cc。
そして点滴で母からの骨髄液が流された時、「こんなもんで助かるの?!」と思うくらい、いとも簡単な骨髄移植でした。 もちろん、自分の悪いガン細胞を殺す為に、大量の抗がん剤を投与されていますから、無菌室の中でのた打ち回るくらいの苦しみでした。 髪の毛は全部抜け、吐き続け、食事も喉を通らず、無菌室の中で一人で過ごすのは、地獄に近い治療でした。 |
| しかし、吐いた後いつも、ニコニコと笑っているんです。
もう頬が緩みっぱなし。 それは姉と白血球の型が合わないと思った、あの精神的ショックの時には、いくらおいしいフランス料理を頂いても、いくらおいしいお寿司を頂いても、砂を噛むような気持ちでした。 でも今度、母から助けられると分かって無菌室に入り、大量の抗がん剤で肉体的ダメージは大きいですけど、「絶対バラ色の人生が待っている!」そう思うと嬉しくて嬉しくて、一人でニヤニヤしていました。 「無菌室の中にいる一番明るい患者だ」と先生に笑われましたけれど、精神的な状態と言うのは、それくらい患者にとって人生を左右するようなものです。 |