


| 父はその日、無菌室までお見舞いに来ていました。
主治医の先生が部屋を出られた時、骨髄移植が全て終わった時、「ありがとうございました!」と丁寧に主治医の先生に頭を下げていました。 だいたいワンマンな父でしたから、人に頭を下げるなんてした事がないので、私達はそれだけでも感動していたのですが、頭を上げた途端、「それで家内は何番目の骨を切りましてん。」といきなり聞いたんです。 父は目の前で骨髄移植が点滴で行われている事も見ているし、母も何処の骨を切ったわけでもなく、すぐに起きて来ているのに、「何処の骨を切りました?」というふうに聞いた時には、私と姉はもう大笑いでした。 今それで、骨髄移植を手話でどう表現しようかと、お話しをさせていただいた時に、こう、輸血でこういうふうに骨髄を取ってこうさする、あっ、これはいい表現だな。 私はA型で入院して、B型で無事退院しました。 すぐに、さおりちゃんのお見舞いに行ったんですが、彼女は最後の戦いをしていました。 |
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もう、会う事も出来ませんでした。 |
| 阪神大震災のボランティア、皆さんも何かお手伝いを頂いたと思います。
私は関西人ですから、被災者の側になるわけです。 けれどもそんな皆様方のご協力が本当に嬉しかったです。 一人一人が出来る事を、出来る範囲で手伝って下さって、今、阪神間の人間に笑顔が戻りつつあります。 骨髄バンク運動、全く同じでした。 登録出来る人は登録をし、登録は出来ないけれども協力は出来るという人もいる。 そうやって、東海骨髄バンクというものがこの地に生まれました。 しかし、民間の骨髄バンクでは何かと不便さを感じておりましたので、今度は厚生省を動かし、日本骨髄バンクを設立する為に、また動きはじめました。 |