


| 本当にそうでした。
翌日から涙を拭いて立ち上がって、東京へ出かけ、九州へ出かけ、北海道へ出かけ、知っている人の所へどんどん出かけて行って、頭を下げる毎日が始まりました。 そして一方、骨髄バンクを真剣に探し始めたんです。 私はある大学で英語を教えておりましたから、生徒が検査に名乗り出てくれて、16人の生徒が、最初名乗り出てくれたんですが、検査場に行こうと待ち合わせの場所に行きますと、約2倍の31人の子達が私の為に検査に来てくれる。そんな嬉しい事もありました。 その子達を連れて採血検査に行きました。 16人が31人に膨れ上がって、とても嬉しい日だったはずなのに、その検査センターに「日本には骨髄バンクは、まだないんです。」という、「これだけが知りたくなかった」という出来事に出くわしてしまったんです。 「骨髄バンクが、何処かに在るかもしれない」という思いがまた、これは一筋の希望の光になって、そこから生きて行けるのに、「日本にはそういう場所がないんです」と言われた時、また希望を失ったんです。 でも私はその「骨髄バンクがないんです」と言われた、その先生に向かって、素直に、「はい」とは言えませんでした。 「私を見殺しにするんですか。」と泣き叫んで、先生の白衣の胸ぐらをガッと掴んで、先生にそう言ったんです。 |
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姉はその日、私の側にずっといたんですけれども、姉はこう言いました。 |
| それで、お互いに相互交換をすれば、もしかしたら私は助かるかもしれない。
これは、「すぐに骨髄バンクという組織を本当に作らなければ」そう思いました。 実は姉は、後で聞いたんですが、そんな風に数学的に物事を考えたのではありません。 このままでは舌をかみ切って死んでしまうのではないか、と思わせるくらい落胆している妹を見て、前向きに生きてほしかったんだそうです。 人に出会ってゆく。骨髄バンクを作るという目標を持ったら、いろんな人に出会ってゆかなくてはなりません。 厚生省にも頼みに行かなくてはなりません。 お医者さん、患者さん、いろんな人に会って行かなくてはなりません。 その時に泣いてばかりいられないわけですよ。 つくり笑顔のひとつでも作らなくてはいけない。 |
| そうしているうちに、目標が出来て、死ぬ瞬間に「ああ!いい人生だった」と思いながら死んでいってほしい。
姉も正直言って、助かるとか、骨髄バンクが出来るとか、「そうなるとは思わなかった」と言いました。 姉の思惑通りです。 骨髄バンクを作ろうと思えば、いろんな人に会って行かなくてはなりません。 そうしているうちに、人間の白血球というものは、非常に人種間に差があると知りました。 つまり「地域によっても差があるんだろう」と考えた私は、「生まれも育ちも大阪エリアで、白血球の型を探そう、それが一番てっとり早い」と思いました。 私の白血球の型を京都の専門家の所へ持っていき、「どの地域を、大阪の中でも、どのあたりを探したら早いですか」と教えていただきました。 その時、こんな事を教えていただきました。 「両親のどちらかと合っているかもしれない。もしかしたら、目の前に提供者がいるかもしれない」という事を、教えてもらったんです。 |