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 本当にそうでした。

翌日から涙を拭いて立ち上がって、東京へ出かけ、九州へ出かけ、北海道へ出かけ、知っている人の所へどんどん出かけて行って、頭を下げる毎日が始まりました。
そして一方、骨髄バンクを真剣に探し始めたんです。

 私はある大学で英語を教えておりましたから、生徒が検査に名乗り出てくれて、16人の生徒が、最初名乗り出てくれたんですが、検査場に行こうと待ち合わせの場所に行きますと、約2倍の31人の子達が私の為に検査に来てくれる。そんな嬉しい事もありました。
その子達を連れて採血検査に行きました。

16人が31人に膨れ上がって、とても嬉しい日だったはずなのに、その検査センターに「日本には骨髄バンクは、まだないんです。」という、「これだけが知りたくなかった」という出来事に出くわしてしまったんです。

「骨髄バンクが、何処かに在るかもしれない」という思いがまた、これは一筋の希望の光になって、そこから生きて行けるのに、「日本にはそういう場所がないんです」と言われた時、また希望を失ったんです。

でも私はその「骨髄バンクがないんです」と言われた、その先生に向かって、素直に、「はい」とは言えませんでした。

「私を見殺しにするんですか。」と泣き叫んで、先生の白衣の胸ぐらをガッと掴んで、先生にそう言ったんです。

姉はその日、私の側にずっといたんですけれども、姉はこう言いました。
「まあまあ、たかこちゃん、骨髄バンク、日本にないんやったら、あんた作ったらええやん。」

「そんなもん、私の命に間にあわへん。」

「そうね、あんたの命には間にあわへんかもしれへん。でもね、年間6千人もの人が新しく発病する白血病。そして、年間6千人もの人が死んでゆく白血病。しかも小児ガンの半分が白血病。そんな多くの患者さんの為に、あんたが骨髄バンクを作る運動を一歩でも作っておいたら、あんたが死んだ後、お姉ちゃんやお母さんが後を継ぐから。そしたら、あんたも生きてた値打ちがあるん違うか。」
と言いました。

「私は生きてた値打ちはいらんから、どうでもええから、私さえ助かったらそれでええ。」
そう言ったんですけど、姉はもう何も言いませんでした。

 一晩いろいろ考えたんですけど、1万人の内の一人と言っても1万人検査する友人が底ついた時、友人が100人ぐらいで終わった時、私はその後どうすればいいのだろうと思いました。

ふと気がついたことがあります。
1万という数字はとてつもなく大きい数字のようですが、100人の患者が100人づつ連れて来れば1万です。

それで、お互いに相互交換をすれば、もしかしたら私は助かるかもしれない。
これは、「すぐに骨髄バンクという組織を本当に作らなければ」そう思いました。

 実は姉は、後で聞いたんですが、そんな風に数学的に物事を考えたのではありません。
このままでは舌をかみ切って死んでしまうのではないか、と思わせるくらい落胆している妹を見て、前向きに生きてほしかったんだそうです。
人に出会ってゆく。骨髄バンクを作るという目標を持ったら、いろんな人に出会ってゆかなくてはなりません。
厚生省にも頼みに行かなくてはなりません。
お医者さん、患者さん、いろんな人に会って行かなくてはなりません。
その時に泣いてばかりいられないわけですよ。
つくり笑顔のひとつでも作らなくてはいけない。

そうしているうちに、目標が出来て、死ぬ瞬間に「ああ!いい人生だった」と思いながら死んでいってほしい。
姉も正直言って、助かるとか、骨髄バンクが出来るとか、「そうなるとは思わなかった」と言いました。
姉の思惑通りです。
骨髄バンクを作ろうと思えば、いろんな人に会って行かなくてはなりません。
そうしているうちに、人間の白血球というものは、非常に人種間に差があると知りました。
つまり「地域によっても差があるんだろう」と考えた私は、「生まれも育ちも大阪エリアで、白血球の型を探そう、それが一番てっとり早い」と思いました。

 私の白血球の型を京都の専門家の所へ持っていき、「どの地域を、大阪の中でも、どのあたりを探したら早いですか」と教えていただきました。
その時、こんな事を教えていただきました。
「両親のどちらかと合っているかもしれない。もしかしたら、目の前に提供者がいるかもしれない」という事を、教えてもらったんです。

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