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大谷貴子氏講演Previous PageNext Page
 皆さんこんにちは。今日は、手話通訳の方もこちらで話をして下さいますので、私自身ついつい早口になってしまいますが、できる限りゆっくり話をさせていただきたいと思います。

私は、手話通訳はできませんが、自分が病気になった時最初に学ぼうと思ったのは手話でした。 それは白血病という治療は、無菌室という所に入いらなければならなくて、私は無菌室に入ったら、外との会話はガラスごしですからインターホンがあるとか、そういった事は全然考えず、きっと手話で家族と話をしなくては、ならないだろうと思って、勉強した経験があります。

まあ幸いにして、インターホンで話ができたり、カーテンごしに話ができたものですから、そのまま勉強はしませんでしたけれども、唯一もし意識がなくなる直前には、言葉が話せなくても「ありがとう」という言葉だけは覚えようと、それだけは今でも、簡単な事ですが、しっかり覚えています。

今日は手話通訳の方がついて下さるという事で、心強いかぎりでお話をさせていただきたいと思っております。

先ほどのご紹介の中に私の事を言って下さいましたけれども、私自身は、約9年前に慢性骨髄性白血病と診断されました。

私は、白血病と診断された時全く自分の病気だとゆうふうには思いませんでした。 私と同じ年代の方も今日ここに大勢いらっしゃると思いますが、白血病のイメージはテレビの中の世界、そういう感じでした。

だいたい奇麗な女優さんが、素敵な男性の胸に抱かれて死んでゆく、私には縁もゆかりもない病気だと思ってました。

しかし、不幸にして白血病だという事がわかった時、戦う目標がはっきりしなければ闘病ができない、私はそう思いましたので、病気について勉強をはじめました。

 白血病は血液のガンです。

まずガン告知について家族は話し合ったようです。 私は4人家族で父と母と姉といるわけですけど、その中で一番若い私がガンになったものですから、父や母はガン告知について悩んだようです。

1才9ヶ月違いの姉ですが、姉は私に全ての事について話して、治療を始めようとしてくれました。

理由はごくごく簡単な事ですが、長い闘病生活になるのに嘘はつけないだろうという事、そして「もし私があんただったら全部知りたいと思うから」、そう前置きしてガンを告知してくれました。

しかし「白血病だよ」と教えられただけで、白血病がどんな病気で、どのような治療法があって、もしかしたら死んでいくか、どのように死んでいくのか、という事は教えられませんでした。

実は姉もよく分かってなかった。

みなさんは盲腸になった時、盲腸がどんな病気で、どのような手術をして、そしてどのように治っていくのか教えられてこそ、病名告知だと思いますけれど、私は病名を知っただけでその日は終わってしまいました。

当時は大学院の学生でしたから、病名を知ったらすぐしなければならない事があります。

それは卒業するまでの、論文の提出です。

その論文を提出しなければ学校は卒業できません。

その場におよんで学校の卒業もなにもあったものではありませんけれども、その心の中で、これしか私には残されたものはないと思いました。

私が最初に入院した時、それは大阪生まれの大阪育ちです。大阪エリア関西エリアで白血病の治療をしっかりやってくれる所で、京大病院、京都大学の付属病院に私の主治医の先生は、論文を書く事にとても協力的で、消灯を過ぎても一生懸命勉強している私を応援してくれました。

過去をさかのぼってみると勉強なんて大嫌いな学生だったんですが、明日の生命がないかもしれないと思った時になぜ人間はあんなに頑張れるのだと思うぐらい、一生懸命頑張りました。

二週間後に大学院論文の締め切りが迫ってましたので、それで頑張ったわけですが、論文を出してしまったら丁度クリスマスでした。 クリスマスだ、お正月だと私にとっては、とても楽しいイベントがまってましたので、又しばらくの間、病気を勉強する事から自分の身を遠ざけ、そして姉や姉の家族と楽しいお正月を過ごしておりました。

お正月も過ぎ、私の身に急変は起こる事はないだろうと姉は思ったので、嫁ぎ先に帰って行ったわけですけれども、姉の子供たち、にぎやかな子供たちが病室から去った後、しかたなく初めて病気と向き合いはじめました。

しかしガンてすから、父や母は病名を私が知っているといっても病気の内容から私を遠ざけようとします。

例えば「この本を買ってきて」、と頼んでもそれは本屋さんになかったとか、今頼んでいるからとか、嘘ばかりつかれまして、私が病気に対する知識を深めるにはなかなか難しい状況でした。

心の中では病気を知ってしまうと安心するだろうと思いつつ、知る事の怖さももちろんあります。

そんな心の不安がある頃です。

それは発病して一月たった頃でした。私は白血病を患いながら入院をしている、でも生きているわけです。

なんと毎日毎日お見舞いに来てくれていた大学時代の友達が、私が発病して一ヶ月後、心臓麻痺で命を落しました。

私が白血病になった事で、その子はもちろんすごく驚いてくれて、今はもう言葉に現せないぐらいショックを受けました。

それは忘れもしません1987年の1月11日の事でした。

夕方、私の病室の電話が鳴ったんです。

大学時代の友人からの電話で、その仲のいい友人が死んでしまったという連絡でした。

最初は交通事故だと思ったんですね。でも前日の夜、私と電話を切ってから、くだらない話で深夜まで電話をしていたんですが、「おやすみなさい」と電話を切った後、そして両親にもおやすみなさいと言ってベットに入られて誰にも見取られずに、死亡推定時刻午前3:00命を落しました。

私は自分が白血病なのに生きていて、元気な友人が命を落したという事、どうしても理解できなくて、泣いてばかりでした。

私はすぐに友人の元に駆けつけて体を揺り動かしたかったのですが、私の主治医の先生はこうおっしゃいました。

「白血病でも生きていてほしいと思うのが親だろ。君はガウン姿で、スリッパ姿で、友達の所へ行くのか。ご両親の気持ちになったらどれほど辛い事か」と悟されました。

結局、残念ながら私はお通夜にもお葬式にも行って差し上げる事ができなくて、そして病室の窓から彼女を天国に見送りました。

一月ぐらいは泣いて泣いて暮したと思います。

自分の病気の事を勉強したかったんですが、それよりも死ぬ事、そんなことばっかり考えていました。

死んだ後はどうなるんだろうとか、そんな事ばかりです。

友人の死が私に教えてくれた事はこういう事でした。

人間の命は、それぞれ明日の事は誰もわかりません。これは寿命と言ったらそれまでですけれど、短いか長いかわかりません。

脅すようですが、今日ここにいらっしゃいました皆さん方も今晩ちゃんと帰って、明日の目が覚める保証は誰にもないんですね。

病気を抱えようが、抱えまいがそうなんです。

けれども、ついつい明日があると思ってしまいます。だからこそ、楽しい毎日があるわけですけれど。私は友人の死でこういう事を学びました。

一瞬一瞬を大切にする事の大切さです。一瞬一瞬を大切にする事がその日一日を大切にする事につながり、その日一日を大切にすると当然ながら、その一週間がとても大切なものになり、その延長線上で一生がとても大切なものになる。

短いかもしれないし、長いかもしれません。その一生を充実したものにする為には、今を大切にする事、そんなふうに学びました。

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