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ハマちゃんの突撃レポート
【ハートフルコンサートの巻−2】編
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〜「残されたことは、伝えること」〜朗読劇の生まれた日
 いつもは、ノリノリのハマちゃんですが、今日の話は、ちょっとしんみりしたお話なので、心を入れ替えて(?)じっくり読んでくださいね。
ハンカチの準備もお忘れなく……。(^^ゞ
中堀由希子【提供:山手フォトスタジオ】
山手フォトスタジオ様から提供いただいた中堀由希子さんの写真

 今まで、骨髄バンク運動を支えてきたのは、患者さんやその家族、ドナー経験者がほとんどだと思います。
その人たちの話は、経験に基づいていますから、とても貴重です。たとえそれが数年前のことで、今のバンクの体制と違っている部分があったとしても、真実の重みに変わりはありません。
そういう人達は、その人の存在自体が、そして口を開くことだけで、骨髄バンク運動に貢献していると言えます。
でも、私は違います。患者でなく、患者家族でもなく、ドナー経験者でもない。それどころか、健康上の理由でドナー登録さえもできない。いわばハンパ者なのです。ただただ、中堀由希子さんの本を読んで感動して、どうしてもバンクのために何かしたいという想いだけで動いている人間なのです。

 いくら私が、バンクのことや骨髄移植のこと、熱心に説明しても、所詮それは知識にしか過ぎません。真実に裏打ちされていないのです。

 うすっぺらな言葉なのではないか。

 私にできることは、こんな事しかないのだろうか。

 本当にこれだけでいいのだろうか。

 「えんじぇる」の仲間と例会のたびに「出来ることから、ボチボチやっていこうね」と話し合いながら私の心は、とても迷っていました。
迷ったときは、原点に戻ろう!
私は机の上の本に手を伸ばしました。「21歳の別離」表紙のゆっこちゃんの瞳をじっと見つめました。
 「ゆっこちゃん。私は何をすればいいの! 教えて!」

ページを開いてゆっくり読みました。

 前に読んだときは、夢中になって前へ進むことばかり考えていたので、今度はじっくり読みました。
ゆっこちゃんが、いつ・どこで・何を考えていたのか・どんな想いで過ごしたのか・どんな言葉を話し、どんな手紙を書き、どんな心を日記に記したのか。

 読みながら私は、一人の女性として、精一杯生きた由希子さんが、もし今、元気でいたら、いったい何をしているだろうかと考えました。
そして本を読み終えた時、ひとつの答えを見つけました。
由希子さんが元気でいたなら、この本にちりばめられた多くのエピソードをおりまぜて、多くの人々を感動させる素晴らしい講演をしに、全国を駆け巡っているだろう。
あの大谷貴子さんのように。

じゃあ、そんな由希子さんの想いはいった何処へ行ってしまったの?

由希子さんが死んでしまったことによって、その想いも消えてしまったの?

由希子さんが自分の命を見つめながら訴え続けた想いは、どうすればいいの?

私はまるで、由希子さんに頼まれたかのように、絶対朗読劇を作るんだと決心しました。
どうしてそんな事思い付いたのか、今でもよく分かりません。
その時まで朗読劇というものを、一度も見たことも聞いたこともありませんでした。
劇のシナリオも、小学校の学芸会のシナリオを書いたことしかありません。
でも朗読劇であれば、随分年のサバをよまなければいけない私でも、ゆっこちゃんを演じることは出来ます。
それに劇のセリフであれば、私の口からでる言葉は、すべてゆっこちゃんの言葉なのです。それは、紛れもない真実の言葉なのです。

「ゆっこちゃん、ありがとう。私やっと見つけたよ。
私のするべき事。私に残された事は、ゆっこちゃんの想いを、訴え続けていたあの想いを伝えることなんだね。
私がんばってシナリオ書いて、必ず伝えるからね。私を見守ってね。」

 表紙の由希子さんの瞳に、自分の決心を告げてから、私は原作者の遠藤允先生に朗読劇の許可を得るために、受話器を取りました。

こんな私のために快く承諾してくださった遠藤允先生、本当にありがとうございました。

ハマちゃんは、今日も「えんじぇる」の仲間と骨髄バンクのために、がんばっています。


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