新箱根 観光バス

本宿駅から鉢地トンネルを潜り宮路山麓を曲がりくねり、眼下の三河湾の景色は竹島橋 に繋がる竹島弁天島、更に少し沖合に大島の島々の合間に白帆を挙げた数々の小舟や、海岸に続く長い白浜松原など、さすがに小学唱歌に歌われた様にまさしく、素晴らしい景色 で絵のようで、昭和10年頃のこの 風景は、日本の優れた景色の代表的な景色であった。

その景勝地に当時超一流の蒲郡ホテルが小高い丘の上に勇姿を表し 人気はすごく、 外国の人々も大いに人気の蒲郡海岸になった。この本宿駅から鉢地トンネル・見下ろす 三河湾・竹島と竹島橋などは、まさに箱根の風景に似ており、このドライブコースを東海の「新箱根」観光道路と名付け、さらに名鉄はアメリカ製 の 観光バスを走らせた。 多くの人々の注目する観光地になった本宿村は景気を付けようと、「本宿音頭」と本宿 小唄 をつくり盛り上げた。本宿音頭は今、本宿夏祭りに歌われ親しまれている。 本宿音頭や本宿小唄の発表会のパンフレットを見て当時の様子を想像して戴きたい。

本宿駅前の賑やかさは和洋喫茶店「太陽軒」・カーライス店、映画、芝居小屋、芸者、料理旅館など今の「梅忠」を中心に大繁盛で、本宿駅は早朝から深夜まで賑わっていた。 このような本宿村と蒲郡町の賑やかさに、名鉄は本宿駅の大改造で特徴ある駅にした。 第一に素晴らしい蒲郡ホテルの屋上の楼閣をまねて、本宿駅の屋上に同じ形を作り、楼閣の付いた駅、と駅長室横に国内・外国の政治家・経済人、有名文化人が名鉄本宿駅から 新箱根ドライブコースで蒲郡海岸と有名な蒲郡ホテルに行き来し、貴賓室を造った。 この屋上の楼閣のなかに照明灯があり、夜には本宿駅周辺を明るく照らしていた。 屋上楼閣の尖塔は風格があり、貴賓室の室内電灯グローブ、壁の一部、頂上の尖塔など 今の旧本宿村役場に本宿資料館として陳列してある。

「本宿村役場2階資料館」 このよう本宿の発展も不幸に、戦争の波は押し寄せて行楽の自粛とガソリン統制などで政治と経済が一変し、暗い日本が本宿の村に本宿の人々、日本、世界の人人にも暗い世の中に沈んでいった。日中戦争の拡大・太平洋戦争の勃発で大変な世の中に入っていった。 本宿村も他の村々と同じように戦時色に一変し、数々のことが起こった。その1つに約200人の名古屋の今池小学校の生徒が、本宿の法蔵寺と衣文村の謂信寺に疎開児童として名古屋の空襲から逃れてきた。法蔵寺に100人余り、謂信寺にも大勢、付近の農家の風呂に入り、本宿国民学校の生徒等と交流生活・毎日の食事など田舎の生活にとけ込んでいた。いま、法蔵寺の本堂の柱に子どもたちが登り、走り回った跡があり、戦時体制を物語る数々の出来事が思われる。幸いに本宿は爆弾の被害もなく、敵の艦上戦闘機の機銃による被害があったが、数人のけが等で終わったのは不幸中の幸いであった。

本宿村の出来事、戦争前後はふる里本宿1300年史に詳しく記述されている。 伊勢湾台風は雨風共に強烈であり、生々しい鉢地川の被害等あり、岡崎市の防災風力計が余りの雨風で吹き飛ばされて、仕舞ったことで本誌による記事を読んで貰いたい。 本宿村が岡崎市に合併する種々の意見条件は本誌参照で割愛するが、世間の趨勢である。

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