「41話」 池鯉鮒宿は
ちょっと変わった名前だが、昔海道横に古社の大明神「知立」・
の池に鯉鮒が多く、旅人達が池鯉鮒の宿と名付く。江戸時代太田白雪は東海道に琵琶湖に八つ橋・富士山の三名所あり。と書いている。有名な八つ橋が池鯉鮒宿北五丁の処にカキツバタ・蜘蛛の手に架かる八つの橋は業平の歌で広く知られている。
「42話」 鳴海宿は文字通り、宮乃宿から呼続・星崎、鳴海は江戸時代も海濱が続き、潮満ちるときは、陸道・潮引くときは海の道と道路が分けられていたと本で知った。
「遠くなり 近く鳴海の浜千鳥 なく音「ね」に
潮の満ち引きぞしる」 は名高い。
「43話」
木曽三川・揖斐、長良、木曽川はこの辺りで集まり、東海道の通行を困難にした。普通は「海上七里の渡し」で、酔い客は佐屋街道があった。旅人は疲れた足
を休める機会の「船旅であり」。コースは満潮、引き潮、普通で「満潮約四時間」
「44話」
一時期衰退した東海道の旅も享和二年「1802」十辺舎十九の東海道膝栗毛の初版はこの年だが、これにより爆発的に旅が回復した。面白おかしく書かれた、
この旅物語は「七里の渡し」「飲みねえ」「喰いねー」有名になり、ベストセラー。
【45話」同じく弥次さん・喜多さんが桑名宿で「焼き蛤」騒動は滑稽で愉快である。
あまりのうまさに、たらふく食ったご両人、あやまって「焼き蛤」を胴巻きと肌の
間に落として大変・「熱い、熱いの大騒ぎ」は有名な話である。
「桑名宿」
「46話」四日市を語る上で大切な人物は、稲葉三右衛門翁
である。1854年大地震 四日市港が全滅した。
このとき稲葉三右衛門は私財を投げうって復活運動、明治6
四日市港は復活した。いま石油コンビナートを始め、四日市港の隆盛を港湾で眺めるとき、稲葉三右衛門翁の功績は計り知れない偉大であり、末永く語られている。
「47話」庄野宿に「女性強し」の記念碑が建つ。幕府の禁止令を振り切り「足で固めた」
ここ庄野の女たちは「罪を恐れず」の「女人堤防」は、隠れて「夜毎」に踏み造った
「女人堤防」がある。幕府の目を避け、夜毎に足で踏み込んだ女たちの強さに敬服。
「48話」亀山宿の「野積の石垣」の壮大さ重厚さは格別である。ここに「のんこ茶」が
あり、元禄二年「1690」禅僧能古が開いた茶店であるが立ち寄った俳聖芭蕉は
「枯れ枝に 鳥止まりけり 秋の暮れ」
と句を詠み、さすがに俳聖である。
「49話」 関宿の地蔵院お地蔵さまは「最古のお地蔵さん」と伝統的建造物群保存地区と、「関のお地蔵さまに着物を着せて
奈良の大仏さんを婿とろか」 ともに有名。
「50話」
坂下宿は鈴鹿山中の難所。昔画聖・狩野元信がこの絶景を描こうとしたが、あまりの風景に、うまく描けず「筆を投げた」話は有名で、筆捨山は名所である。
「51宿」石部は大和の道で長寿寺が有名。石部宿場の里・「石部金吉」の発祥地である。