今日で月が改まってしまったが、昨月7月30日に台湾初代総統を務められた李登輝氏が死去された。
これは台湾という国家(世界的には批准されていない場合が多いが、ここでは敢えて国家と呼びたい。)の元元首が無くなったというだけではなく、日本の良い慣習である「公に奉ずる日本精神」を貫かれた方、という意味で我々日本人も改めて李登輝氏の事績を学び自らの糧としていきたいと思います。
作家の司馬遼太郎は、1993年と94年の台湾取材で親しくなった元総統、李登輝を「旧制高校生」と評した。2人とも大正12(1923)年の生まれだ。
互いに70歳に手が届いていたが、「僕はね」と語りかけた口調に、司馬は懐かしき旧制高校生に再会したと感じたのだろう。李登輝は旧制台北高から、京都帝大(現京大)に進んだ。
本紙連載「李登輝秘録」の取材で台北郊外の自宅を訪れたとき、李登輝は右手を首まで水平に持ち上げ、「僕はここまで、22歳まで日本人だったんだ」と言った。
李登輝は高校時代に新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)の「武士道」を読み込んだ。自著「『武士道』解題」(小学館)で「日本の伝統的価値観の尊さ」を訴え、戦後日本の「自虐的歴史観は誤り」と書いた。
台湾民主化の父と呼ばれた李登輝が「日本精神」にこだわったのはなぜか。
2002年11月、慶応大で学生向けに話すはずだったが、訪日ビザ(査証)を日本政府に拒まれ“幻の講演原稿”となった「日本人の精神」にこう綴(つづ)った。
「いま、私たちの住む人類社会は未曽有の危機に直面している。危機竿頭(かんとう)に面したとき、日本人に対する国際社会の期待と希望はますます大きくなる。数千年にわたり積み重ねてきた日本人が、最も誇りと思うべき普遍的価値である日本精神が、必要不可欠な精神的な指針なのではないか」
その実例として李登輝は戦前の台湾で、東洋一とされた「烏山頭(うさんとう)ダム」を作った日本人技師、八田與一(はった・よいち)を挙げた。工事は苦難の連続だったが、灌漑(かんがい)用水路も整備し、干魃(かんばつ)や洪水に苦しんだ不毛の地を広大な農地に変えた。台湾農民のために八田は生涯をささげた。
李登輝は、「人間いかに生きるべきか」「公に奉ずる精神」を実践躬行(じっせんきゅうこう)したとたたえた。八田は台湾でいまも尊敬を集めている。
李登輝は講演原稿をこう締めくくった。「皆さんの偉大な先輩、八田與一のような方々をもう一度、思い出し、勉強し、われわれの生活に取り入れよう」。私心ではなく「公」のために誠意をもって行動する。戦後の日本人が失った「日本精神」をいまこそ取り戻すよう、李登輝は事あるごとに日本人に説いたのだ。
台湾における教育改革にも心を砕いた。「(国民党政権の)反日教育をやめさせ、台湾の子供たちに正しく日本と日本人を理解させなければ」と考え、96年に新たな中学の教科書「認識台湾」を作らせた。それ以前の教育では、大中華主義の歴史観で台湾の歴史や地理は教えず、日本統治時代は一律に否定していた。
だが李登輝は戦前に普及した教育の制度やインフラ建設など、日本の功績も認める客観的な記述を取り入れて再評価させた。その結果、若い世代が公平な目で日本を見て判断し、親しみを感じる傾向が強まったという。反日教育を90年代から加速させた中国や韓国と台湾の差がここにある。
「僕はね、戦後の日本人が失ってしまった純粋な日本精神を、今も持ち続けているんだ。だから政治の苦難も乗り越えられた」。そう話した李登輝の生き方こそ、今を生きる日本人が手本とすべきものだった。(元台北支局長 河崎真澄、敬称略)
https://www.sankei.com/smp/world/news/200730/wor2007300017-s1.html
特に心に響くのは
私心ではなく「公」のために誠意をもって行動する。戦後の日本人が失った「日本精神」をいまこそ取り戻すよう、李登輝は事あるごとに日本人に説いたのだ。
という言葉だ。
卑近なことではあるが、自宅から緑が丘に向かう途中に、一部だけ拡幅工事が行われていない部分が有り、ここを通る人は、車ですれ違うのにとても困難している。特に歴史的な遺物が有るわけでもなし、景観が損なわれるわけでもないのだが、おそらくは地主さんが土地を売ってくれないのが原因だと思う。
これは成田空港でも同様なことが起こって、ほんのわずかな土地を売ってくれない地主さんがいるだけで、成田空港の整備は進まず、日本の国際化に大きな遅延を生じたことは論を待たない。
昔の日本人は、「それがお国の為なら」といって快く自らの土地を売るなり代替地をもらい積極的に協力してきた。だから東海道本線も新幹線も、あれだけの長距離を連続して土地を確保でき、日本の近代化に大きな影響を及ぼしました。
「先祖代々の土地を大事にし手放すことを拒否する」ことよりも「お国の為になる」ことを選択したご先祖様たちは立派だったと思います。
ここで「国」という言葉にも言及しておきたいと思います。
TVなどのニュースで「原告団は国を相手に訴訟を起こしました」っていうのが有ります。いつも不思議な言葉だなぁと思っていたのですが、こうした人たちは「一個人」と「国家」は全く別物だと思っているらしい。
でもちょっと待ってください。
国家とは、そこに住む人たちが協力し合い、平安な生活ができるようにするために団体組織であって、「国家」の中に「自分」も含まれていることを忘れてはいけないと思います。
「国家に損害賠償を求める」というのは、日本国民全体に損害賠償を求めているという事ですから、その一部には訴訟を起こした貴方も入っているのではないですか?!という事です。
「公(おおやけ」というのは、日本の場合、天皇陛下を権威の頂点とし、その天皇の直接の非統治者全体を示すことだと思うのです。もちろん非統治者といっても、奴隷のように虐げられるものではありません。逆に天皇陛下は毎日、国民の平安を祈ってくれる存在です。それを古来、日本人は信じ、公の為にというのはイコール自分たちのためになると信じ、思い、「自分という個我の前に公(おおやけ)を置いた」のだと信じます。
Comments
コメントはまだありません。