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ラジオが縁で
「ちょっと待って」これが僕が骨髄提供をした直後の感想です。
僕は朝から晩までラジオを聞いて仕事しています。ラジオが僕の情報源のほとんど全てです。骨髄バンクのことを知ったのも、やはりラジオでした。

「不治の病」じゃないんだ!
 名古屋を中心に活躍してらっしゃる、つボイノリオさんが当時やってた、CBC「パンプアップラジオ塾」に大谷貴子さんがゲスト出演されたのです。東海骨髄バンクが立ち上がって2年後くらいでしたか。連絡先も大谷さんの自宅でした。白血病が、今や不治の病でないと知って、びっくりしました。同時につボイさんがすでに登録されたと聞いて、またもびっくりでした。なにしろ「金太の大冒険」のつボイノリオですからね。その日から骨髄バンクのことが僕の頭の隅にずっと居座ることになりました。なりましたが、なんにもしないで放っときました。
 つボイさんはその後、番組を替わりながらずっとCBCに出演し続けて、現在の「聞けば聞くほど」に至るわけですが、番組毎に大谷さんもゲストに入られて、爆笑を交えつつ熱っぽく語られるのでした。つボイさんが大谷さんを紹介する言葉はいつも決まってて、「あんたほんとに白血病だったんか」
 さて、そうこうするうちに、日本骨髄バンクが立ち上がりました。FMでは公共広告機構のCMもはじまってました。ぼくも登録しました。平成6年の夏です。実は逆上ること1年ばかり前、登録しようと当時三の丸にあった献血ルームへ行ってみたんです。
 僕はここで初めて「チャンス」を見、その場で登録はできない事も知ったのでした。献血のついでだったのに前の日に薬飲んでて(うっかり)献血もできず、登録もできずで、「チャンス」だけもらって帰りました。で、ハガキ出したんですが、どこかへ行っちゃったらしく返事がきませんでした。

ついに来ました3次検査通知
 登録したのは、岐阜の血液センター。「人手不足で平日に申し訳ありません」とセンターの方。ここが受け付けてるのは、一週間のうち、火水だけ。暑い日でした。説明と採血は1時間半程で済んだんですが、オートバイで出かけた僕は外の日差しにくじけて、その後30分ばかりテレビ見てました。うちで仕事が待ってるし、ぐずぐずしてたらなお暑くなるばっかりなのに。
 これで僕もドナーとして登録されたわけですが、特に何の感慨も湧きませんでした。
 それから1ヶ月ばかり後、2検査の連絡が届きました。また岐阜の血液センター。今度は車で行きました。この時点でも、まだまだ骨髄提供なんてはるかな宝クジくらいの認識でした。実際ここからしばらくはバンクから何の沙汰もありません。
 中堀由希子さんのドラマ「21歳の別離」が放映されると、その直後にまた大谷さんが「聞けば聞くほど」に出られて「私役の東ちづるさんは実物よりだいぶきれい」みたいなお話で盛り上がりました。リスナーの中にもこのドラマを見た方がたくさんいて、たくさんの反響が寄せられました(生放送中に電話とファクシミリでメッセージを受け付けてるんです。)
 愛知大学で開催された「骨髄バンクフォーラム」は、進行役がつボイさんと番組でアシスタントをしているCBCの小高アナウンサーのお二人だったので、つられて見にいったんですが、ここで初めて大谷さんとドナー経験者という方を目にしました。大谷さんは、やっぱりおもしろい人でした。
 暮れも押し迫った頃、来ました。3次検査の通知です。ちょうどMLCからDNAタイピングに切り替わった時期で、封筒には両方の資料が入ってました。

東ちづるさん、お先に〜
 年が明けて、呼び出されて僕が出向いたのはとある総合病院の一室。ここで、実際に骨髄採取したときは、そのことを公表しないように、と言われました。言われてみれば確かにナルホドなんですが、こいつはあてがはずれました。というのも骨髄採取の様子を「聞けば聞くほど」で実況できないか、なんてことを考えてたんです。それが無理でも「今から手術室に入りまーす」と電話の一本もいれて、その後の病室通信もしようと思ってたんです。それはともかく、骨髄提供は僕の中でにわかにリアリティを帯びてきました。確率は5割だと言われたけど何とか当たって欲しいと思いつつ帰りました。
 ちょうど2ヶ月後。きましたきました。当たりです。その通知は、なんだか大学の合格通知よりも嬉しかったです。さあもう後は手続きだけ。最終合意には父親を連れてゆきました。こないだとおんなじ病院のおんなじような一室。立ち会い人として同席された弁護士という人を見たのも初めてでした。ここから先は健康に十分気を付けてないといけません。
 何しろもう自分一人の身体じゃないんだから。よし、と僕はその日からオートバイ断ちを決意しました。
 この日から手術まで乗ったのは一度きりです。
 そしてある日、電話で採取の日程がきまりました。東さん、おさき〜。
 健康診断はM鉄病院。この日、僕の前に座ったM島先生がそんな大変な方だとは露ともしりませんでした。
 自己血採取もM鉄病院。この日、僕の血を抜いたK折先生がそんなどえらい方だとは露とも知りませんでした。入院なぞ中2の時の盲腸以来だから、前日は修学旅行の前みたいに大騒ぎでした。わくわくしてました。


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