何も覚えていない!「時間ドロボー」だぜ!
入ったのは個室。冷蔵庫とテレビ付き。あとはロッカーとソファと勿論ベッドと食事するときの机。これからむこう4日間の生活空間です。この日は、血液検査だの血圧だの昼飯だのこの後の説明だので午後の1時頃から暇になりました。で、先生の説明が済んだところで、外出していいかと聞くと、いいよときたもんだから、そのまま夕食の時間まで遊びにいっちゃいました。これがじつに大失敗。帰ってくると「外出届」という紙がおいてありました。しまったこいつを提出するのであったのか、と思ってたところへ看護婦さんが入ってきて「もー探したわよう!」おまけに夕食を食ってから、お風呂に入ろうとすると、なんとお風呂は5時までだったのです。今から骨髄提供をしようとする人はこのことをしっかり覚えておいてください。すなわち、入院したその日に忘れずにお風呂に入っておくこと。あとは退院するまで入れませんよ。
この日、すなわち採取の前日の午後9時からは絶食です。テレビをつけたけど大して面白くなく、することもないので、本を読みながら寝ることにしました。ねむれない。
2日目、採取当日です。いきなり浣腸です。これはつらいっ。でも手術中にもれたらタイヘンですからね。そして、点滴を打って、ベッドごと手術室へシュッパツ。ずっとポケットラジオで聞いていた「聞けば聞くほど」ともここでお別れ。骨髄バンクフォーラムのときお話を聞いたTさんは、ここで看護婦さんを相手にギャグ飛ばしてたそうですが、僕はたいしたネタも浮かびませんでした。
M鉄病院の手術室は寝たままはいれます。素っ裸にされ、入ると、名大病院からみえた麻酔の先生が僕の体重について文句を言いました。そして注射を一本打たれると急に眠たくなります。が、うとうとしながら天井をみてました。なかなか始まらんなーと思ってたら、「終わったよー」の声。おおおぅちょっと待て!!なんということでしょう。ごろんとうつ伏せにされて尿道カテーテルが入って、ぶすぶす針が刺さって、また仰向けにされたというのに、僕は自分が眠ったことにすら気付かず、今こうしてなすすべもなく手術室を後にするのです。これじゃまるで時間ドロボーです。金色のクジラなんて。
美女にアレつままれて、トホホ…
病室に戻ると、美人のHさんがやってきました。採取直後アンケートに応えるとともにここからが実に最大の試練です。採取後2時間ぐらいは安静にしてなくてはなりません。トイレに立つことも許されません。そのために美人のHさんがボランティアで来て下すってるワケです。しびんです、しびん。寝転んでおしっこするのは、重力の助けがなくてそれはそれは大変です。今から骨髄提供をしようとする人は、この訓練をしとくと良いでしょう。おまけに点滴打ってるせいで15分おきにしたくなるんです。そのたびにHさんが、その、つまんで下さるワケで。僕はあんまり恥ずかしかったので先生に頼みこんで1時間後ぐらいから自分でトイレに行きました。
絆創膏と点滴のせいで寝返りが上手にできなくて、ごろごろしてるだけとはいえ随分くたびれます。点滴のスタンドをがらがら引きずってトイレに行くのが実に病院ぽい。
夕食が済むともうすることはありません。点滴引きずって売店までいこうかとも思ったのですが、くたびれそうなのでよしました。
ずっとごろごろしてたのでちっとも眠れません。あーーーよるがながいっ。
3日目は、たまーに採血やら血圧計るやらだけです。暇です。せっかく空いた時間なんだからなんか有意義に過ごさなくちゃとも思うんですが、時間はネローンと過ぎてゆきます。夕方、点滴が取れたので、屋上へ出てみました。たいした高さじゃないので見晴らしがいい。というものではありませんでしたが、病院ったら屋上です。屋上なくしてなんの病院ぞ。
4日目、最終日。朝御飯までは出ました。その後で先生が傷痕やら見て、もう大丈夫です。だそうなので帰り支度を始めました。そうこうするうちに美人のHさんから電話がありました。退院直前アンケートです。総じて極めて順調でありました。
ラジオで体験を公表しちゃった
この日はいつ帰れるかわからんと言ってあったので、そのまま夜まで遊び呆けててもよかったんですが、結局真っ直ぐ帰りました。そして午後から仕事に就きました。身体は採取前とほどんど変わりません。傷口をおさえるとちょっと痛む程度。骨髄提供は僕にとって大変にノンキな体験でした。最大の敵は退屈で、最大の試練は、しびんでした。あとはタダ飯食ってごろごろしてただけ。
入院中心配だったのは、第1に仕事のこと。第2に自分がヘマをやらかさないか。そして第3に骨髄提供したことがばれないか、ということです。とくに3番目のことですが、旅行にすら滅多にいかないような者がいきなり3泊4日ですからね。パートのおばさんはどう思うか、取引先はどうか、また僕は「聞けば聞くほど」以外にもFAXでいろいろな番組に投稿してるんですが、日に8枚も7枚も送ってたのが急に1枚も送らなくなったら変に思われないか等様々考えました。
骨髄提供して以来、いろんな方からえらいえらいと言われるんですが、こんな具合ですから大変心苦しいです。言うまでなく大変大勢の方の尽力で成されたことですし、なにより患者さんのほうがうんとえらい。言うまでもなく。
サテある日、友達を介して、日にちさえばらさなきゃ骨髄提供したことを公表しても構わないとしりました。それならと、ラジオで公表するきっかけをうかがってましたらば、以外と早くその機会はやってきました。大谷さんが「聞けば聞くほど」に三たびゲスト出演されたのです。渡りに船で公表できて、肩の荷がおりました。この直後、岐阜県各務原市でシンポジウムがあって、大谷さんと直接お話もできました。この日は、「霧の中の生命」を買いました。一晩で読みました。そして、自分が特に患者さんについて何にも知らなかったんだと知りました。
またつながるといいな「赤い糸」
この年の12月、愛知県主催の推進キャンペーンでは、小高アナウンサーが司会でつボイさんが講演されました。最前列で笑っていた僕は、なんとまぁお話の最後に紹介されてしまいました。
明けて2月と、9月、シンポジウムで今度は僕が発言することになりました。つボイさんも番組で紹介して下すって、リスナーさんも来てくださいました。毎年CBCでは、ラジオまつりといって大学祭みたいなイベントをします。「聞けば聞くほど」も出店を出してるんですが、その収益は愛知の会に寄付されています。このほかにもつボイさんは、いろんな機会をとらえてバンクの話題を出したり、イベントを紹介したり、並々ならぬ協力をなさってます。
こないだ、骨髄提供からようやく1年経って「登録継続意思確認書」の「継続します」にマルつけて投函しました。再びドナーとして患者さんどんと来い状態になれました。家の壁には、東さんのポスターを貼りました。
ラジオ聞いてると、様々なボランティア募集の情報が流れてきます。大変申し訳ないんですが、なかなか腰を上げることができません。多くはそのうち忘れてしまいます。そんななか、最初に耳にして以来ずーっと心にひっかかり続けてそのままドナーになっちゃった、というのはやっぱり何か運命的な縁、みたいなものがあったのかなと思ったりします。
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