安藤広重 東海道五十三次 蒲間宿〜平塚宿

蒲間宿 1,歌川広重の東海道五十三次宿絵のなか、人気絵の名画中の名画は絵はこれ。
静かな雪のなか、背を丸め傘を半さし、簑を背負い、笠の人を配しての宿駅、
静かな佇まいは日本人も海外にも大人気の絵である。白と黒の2色構成で成り立つている。この絵のモデルになった模写の地点に、石碑が立ち名画を「夜之雪」で印象づけている。
2,ここには白子という町名がある。本能寺の変で信長倒れたとき家康は苦難な鈴鹿
峠伊賀越えのとき、家康を助けた人の「白子」名前を取って住ませたと言う。
家康は租税など免除するなど面倒見たと伝えられている。「白子町」
吉原宿 1,吉原の名勝地は「左冨士」広重も東海道が大きく北に迂回の道で松間に
富士山を描き並木が延々と続き、遠くに富士が松間に覗いている。
2,この辺りは葦が一面で湿地帯で浮島。高潮で昔吉原宿が全滅し移転した。
原宿 1,この辺りが富士山と至近距離になる。広重も一番大きく富士を描き「鶴」
らしき鳥と親子連れの旅人が大きな富士山を眺めている様に私には見える。
2,多くの書物に「このあたり浮島沼といい、富士の影が沼水に映え小鳥鳴く」
とあり、「鳥たちの楽園が書かれている」大正初期に開発され田畑になった。
沼津宿 1,広重は黄昏の寂しい沼津宿に通じる東海道の黄昏の月夜を絵で残した。
2,近くの千本松原は防風林と防潮林で植えた松林が今は名所になっている。
鎌倉時代は北条・武田の古戦場で今でも海浜から人骨や鎧刀が出るという。
3,黄瀬川や頼朝・義経の対面、平家・源氏の物語の史跡に富み物語が多い。
三島宿 1,広重は三島神社の大鳥居を霧に浮き上がらせ東海道往来の人物を描いた。
2,三島は「清水の三島」。富士山の豊富な地下水が湧くが近年減少している。
富士山の地下水が溶岩の洞窟を通り地上に湧き出る自然の利点がこの町にある。
3,かっては「三島女郎衆」の宿場で、客の多くは「助郷」と言う参勤交代の
近くの村々の出役者が占めていた。と当時の文献で知ることができた。
箱根宿 1,さすが広重も箱根峠山道を一列縦隊の大名行列と山の険しさを描いている。
2,古来から箱根は鎌倉と江戸の関東を守る要害として重要視されてきた。
「万丈の山、千尋の谷」の自然の要塞に関所を設け「入り鉄砲に出女」を
取締り、箱根西坂の石畳は泥と滑り止めのため延宝8年「1680」に敷いた。
3,天下の険の箱根名物・名産は「甘酒と寄せ木細工」で甘酒は箱根の山は高く寒いから 旅 人に喜ばれ、峠越えの旅人に接待茶屋があったし、大名諸侯は湯治湯を楽しんだ。
小田原宿 1,広重は酒匂川の渡河の様子を描いているが、小田原は城と城下町である。
2、今時忘れかけた二宮尊徳は「報徳の精神」質素・倹約・奉仕の先駆者で
尊徳精神「思いやり」は、いつの時代にも大切ではなかろうかと思う。
3,小田原宿の名物は「かまぼこ」「ういろう」。名産は小田原提灯である。
大磯宿 1,広重も街道の松並木に人馬を配し、今もこの大磯には松並木が残り嬉しい。
2,曽我兄弟にまつわる史跡が多いが、虎御前の化粧坂があり、兄十郎との恋
の井戸・矢傷が残る身代わり石「虎御前石」が大磯宿の延台寺にある。
平塚宿 1,平塚名所の高麗山を画家広重も東海道の行き先に大きく描いている。
2,僅か170bの山であるが、いろいろの伝説の山で昔高句麗の王族が移り
住んだ伝説がある。 3,番町皿屋敷のお菊墓を訪れてみたい。

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