安藤広重 東海道五十三次 桑名宿〜御油宿

前ページに従い、1,は広重53次絵の解説 2,は見どころ 3,は街道名物・名産、

桑名宿 1,海上7里の渡し場と伊勢参宮出発点。大型帆船で大鳥居が舟を迎える。
2,十辺舎一九の弥次と喜多さん懐に焼き貝を落とし、熱い熱いの大騒ぎ。
3,桑名の焼き蛤はここの名物、軒先に火鉢にて松毬で焼くたまり味格別。
宮宿 1,熱田神宮の神事。暴れ馬の奉納の図。向こうは追い立てる人と止める人。
見物衆が薪を焚き見物。 2,七里の渡し常夜灯・鐘楼で時を告げる。、「宮
の渡し跡」を復元され当時を偲ぶ。3,名物は清め 餅と熱田きしめん。
鳴海宿 1,広重は女旅人の心を掴み、鳴海宿の絞り売る店の軒先で籠を止め品定め。
2,俳聖芭蕉が五人の弟子を育て俳句が盛ん。鳴海の宿は潮満ちるとき陸道
・潮干すとき干潟を渡る。千鳥塚に「ほしざきの闇をみよやと鳴く千鳥」句碑。
池鯉鮒 1,広重は馬喰の売買談合松で馬市の図。1本松は今もあるとか、無いとか。
2,鎌倉街道が直ぐ北の八つ橋村を通り、カキツバタで有名、業平の古歌。
3,池鮒鯉は旅人が付けた名前とか。「鯉料理水したたる池の鯉」此処の名物。
岡崎宿 1,太平記に「星霜重なりてゆく川水古今変わらず流れ、四海の波風穏やか
にして、参勤交代の諸侯は弓を袋にして威風橋上凛々たり。五色の虹天に架せ
し長橋とは三河の大河矢作のなが橋をいうことなり。「家康誕生・天下普請」
3,岡崎宿は職人の町と言われ、二十七曲がりの道で大繁盛名産八丁味噌
藤川宿 1,棒鼻で幕府か天皇に献上する馬の背に「ごへい」を飾り村役人が出迎え。
2,古歌に「かわれども昔のやどのゆかりとぞ むらさき匂う花の藤川」
また、俳聖芭蕉は「ここも三河 むらさき麦のかきつばた」寛政五年
「1793」の句碑がある。 3,名物はむらさき麦の茎で織った民芸品。
三河本宿 法蔵寺村 1,法蔵寺の始まりは大宝年間702年頃高僧行基創立で、天皇の后が難産
で二村山「法蔵寺裏山」の大杉で行基自作の観音様に安産の祈祷をしたら、
第一皇子が生まれ、その吉祥により観音様のお堂を出生寺と名付けた。
後の世に法蔵寺となった。また、境内の「賀勝水」は日本武尊が東征の時
二村山に武運を祈願したとき、鉾で岩石を突けば清水湧き出て、賀勝水と名付けた。
鎌倉街道や東海道を行き来した多くの戦いの武将はこの賀勝水を飲み勝ち戦とせり」
との伝えあるなり。このほか徳川家康幼名「竹千代」この寺で伯父教翁上人から文武
の手習いあり草紙掛けの松が現存する。 2,江戸時代法蔵寺門前町で「東海道名物」 「法蔵寺団子」と法蔵寺草履が旅人に人気、本宿村の名物団子としてもてはやされた。 文学は「誓いとかけて法蔵寺 南無阿彌袋は ここの名物」と 滑稽な江戸文学を残した。
赤坂宿 1,昔も今も家庭で一飯一汁の生活から解放され酒肉にしたり、名物料理に
舌つづみは悪いはずが無く、風呂に入って旅の疲れを癒す広重の赤坂宿の絵
は人間の至福の姿で、今も昔も変わらない、広重もその心が解る絵である。
2,見どころは江戸時代の旅籠・大橋屋が営業しており、広重の絵の蘇鉄が近くの寺
浄泉寺に植えられ、飯盛り女の墓や悲話が残り、語られる赤坂宿てある。
3,大橋屋はかっては「鯉や」で創業は慶安2年「1649」当時の雰囲気がある。
御油宿 1,客引き女「相部屋ござらぬ」「いいこおるよ」「入りやされ」広重の絵か
ら想像される。 2,持統女帝が赤坂宮路山遊ばれ、都の天皇に従
うための旅行であった。 3,国指定の東海道御油松並木は一見の必要あり。

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