安藤広重 東海道五十三次 吉田〜金谷

吉田宿 1,広重の吉田宿の絵は吉田城の城造りか工事か、工事足場から人夫が景色を
楽しんで見ている。豊川が満々と水を貯えて高い位置から下を見ている。
2,昔は今橋といい、大永2年「1522」吉田宿となった城下町である。
「吉田通れば2階から招く、しかも鹿の子の振り袖で」色めいた歌がある。 3,吉田城の城下町は今の札木町当たりが中心で、「菜飯田楽」が街道の名物だった。
二川宿 1,三河の一番東の東海道の宿場、広重絵は寂しげな「猿が馬場」で柏餅を売
る店屋の前で、女3人旅人がここの名物柏餅見る。別名「勝和餅」と言う。
2,貧乏宿場で苦悩の多い宿場であった。岩屋観音 立派な資料館が有名。
3,名物は先に書いた柏餅とたまり醤油、古い建物がある。
白須賀宿 1,広重はよく富士山を画くが、昔は白須賀から富士山が見えるが、この絵
に富士はない。2,太平洋の潮見坂として海との関わりが多い。
新居宿 1,53次広重の宿場絵は、参勤交代の海上大名行列だ。大名家紋入り幕舟。
2,新居の関で所で有名、特に武士の妻・娘・女子どもに厳格、おさわり婆。
3,昔の関所が現存する貴重な建物である。昔は橋本宿があった。
舞坂宿 1,浜名湖に囲まれた舞坂宿を広重は描いている。昔は白砂が多かったが、
江戸時代には無かったようだ。
2,弁天島のレジャー基地 3,養殖鰻が盛んで、魚介類が豊富で美味い。
浜松宿 1,広重は街道横の畑で百姓と旅人が焚き火して話をしている。長閑である。
2,近くに三方が原の古戦場がある。家康が馬の鞍に「糞」を付けて慌てて
浜松城逃げ帰った、数少ない負け戦で゛武田信玄は家康を追わなかった
ことが不思議とされているが、翌年信玄は死んだ。家康は人質で成人した城だ。
見付宿 1,広重は天竜川中州の渡し船で客待ちしている。
2,日本最古の洋風見付小学校で国の史跡。5階建て大正11年まで使用、
3,今は市立郷土館と資料館になっている。
袋井宿 1,百姓と旅人が焚き火でお茶をわかし、よく見ると路傍の立て札に小鳥が
鳴いているのんびりした絵です。 2,由緒ある寺院が多い。
2,東海道五十三次宿場の丁度中間・真ん中の宿場である。「二十七番目」
掛川宿 1,広重は遠州の風吹くさまを描いている。腰を曲げて歩く人、高く上がる
凧、糸が切れて飛んでゆく凧。 2,平将門の首塚があり、家来十九首塚
が並ぶ。 3,復元した掛川城は必見のする必要あり。名産は葛布。
日阪宿 1,有名な夜泣き岩を旅人が不思議そうに見ている。「小夜の中山峠」,
2,夫の元に帰る妊婦が小夜の中山で賊に殺され、胎児は近くの地蔵さまが
助けたが、母親は泣きながら息絶えた。その石に泣き声が染みつき夜毎に
石が泣く。胎児は飴で育ち、成人後母の仇討ちを果たす。3,名物は子育て飴。 、 道の中央の石は大名行列でも石は動かせなかったという。命なりけり小夜の中山。
金谷宿 1,東海道の難所「大井川」。川渡りを祝し、祝い酒を金谷宿でしたという。
2,天下の大泥棒・日本左衛門は金谷宿で処刑された。
3,日本有数の「茶の産地」・開拓は大井川渡し人夫が廃業で茶畑を開墾した。

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