「18話」・金谷生まれで東海道の此のあたりで大盗賊をした俗称「日本左衛門」は捕え
られ刑を受けるとき、「浄土は何処にあるか」と問われたとき、「清らかな月が出る処」 と答え、大盗賊ながらその心は「清らかな心の持ち主」と思う。「編集子」

「19話」 丸子宿の近くに宗長の草庵あり、自ら「柴屋軒」と号し風流を極める。
竹を好み「煙草盆」や庭園に吐月嶺や富士を配し清水流れて、老松枝垂れるなり。

「20話」 天下人・徳川家康は70歳を過ぎ駿河城に籠もり勝ちになり、天海や大樹寺
和尚登誉上人らに日課念仏として「南無阿弥陀仏」6文字を10bの紙に 6万回
唱えて、書くように悟られ、毎日千回・六文字を丹念に書き続け、常人ではできる
ものではなく、戦いで多くの死者を出し、瞑想しては書き、瞑想しては又書いた。
天下統一した家康は秀忠に譲り駿河城で隠居生活ながら、忍耐の上に立つ家康だからこそ、念仏に明け暮れ「南無阿弥陀仏」六万回供養を成し遂げたと言える。
山岡鉄舟もこれを認める「重要文化財」として、高く世に評価されている。
しかし、「徳川家康公の遺訓」は、歴史学者は「後世の名文」とする向きにある。
しかしながら、大いに人生訓として今の世風において「座右の銘」で噛みしめたい。

「21話」 日坂宿は西行の歌で名高い 泣き石の悲しい物語は「子育て飴」で育った子がついに池田宿で念願の母親の仇を討つ。母親の泣き声が宿った大きい「泣き石」は参勤交代の大名行列の諸侯たちも、どうしても 動かず、移動できなかった、という。
「年たけて 又越えゆべきと思いきや 命なりけ小夜のなかやま」 と西行法師は慰めた。

「22話」 東海道川越え「川渡り」を後白川天皇は詠める。 神に機嫌を伺い「貴方次第」。 東海道の川越は 賽の河原の水渡し 双六の賽の目にて 後白川天皇
「23話」 袋井宿は東海道の53次宿場の「ど真ん中」 ・どちらから見ても27番目。

「24話」 浜松城は徳川家康の出世城17年間ここで過ごし、元亀元年「1570」に
三方が原の戦いで生涯最大の負け戦を経験し、家康は糞を鞍に飛ばして城に帰った。 と文献に書かれるほど慌て、ふためいて命からがら浜松城に帰った、とある。

「25話」三方が原の戦いで勝利した武田信玄は、敗者家康を追わなかった事は不思議と 考えられ、また反省の多い経験をした。翌年信玄は死んでいる。家康は強運である。

「26話」 新居宿は箱根に似て関所。とくに武士・藩士の妻や妾、婦女子に厳格な関所、 ことのほか、商人や百姓には寛大であり、女改めとして「おさわり婆」が体検した。
逃げ道として婦女子は「姫街道」裏道街道を逃げた。「姫街道の名が残っている」

「27話」 白須賀宿は古くから京より東下りのときこの辺りから富士山が遠望され多く
古歌を残している。 白須賀とは「白い砂」を意味し、潮見坂公園か゛ある。
言の葉も 実にぞ及ばぬ 汐見坂 聞きしに まさる 富士の高峰 法印堯孝

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