「10話」大磯宿
此のあたりは鎌倉御家人たちの遊び興じる地として知られている。
松並木も美しく、化粧坂は特に静かな佇まいの中に井戸があり、鎌倉時代の遊女
「虎御前」が毎夜此の井戸で化粧を重ね、恋仲の曽我兄弟の兄の十郎を待ちわびた
場所で敵の工藤祐経が放った矢を、石となって防ぎ「虎御前」が身代わりとなった
石は延台寺境内に今もあり、この石に矢傷が残り、虎御前の身代わり石がある。
「11話」小田原宿は関東八州を統治した北条早雲3代の居城で城下町として発展した。
堅城は目を見張るものがあった。上杉謙信や武田信玄に攻められても落城せず、難
攻不落の城の名をはせた。しかし、天正18年「1590」秀吉が率いる豊臣軍の
大軍が小田原城近くの山の頂上に一夜城の石垣山城から長期間攻められ、この長期
の防戦に絶えきれず遂に落城した。この長期の戦いを「長い時間の会議に結論が出
ない、「だらだら」した会議を、今、「小田原評定」とか、「小田原会議」という。
「12話」二宮尊徳の報徳精神。
日本の物質第一主義の影に隠れて、二宮金次郎は質素
・倹約・思いやりの精神を呼び戻す「報徳手法を実践」の時代が来つつあるこの頃。
二宮金次郎は水害の故郷を建て直し、3人の兄弟を呼び寄せ
世間から注目された。 1,金治郎は収入に見合った倹約精神。
2,余剰が生じたときは社会に還元を実行
し、そのことで自然に「自分も救われる」ということを、理論でなく実践した。
この時期「天保大飢饉が襲い小田原や箱根は乞食が集団で右往左往し丁度寒冷期で
目を伏せる」大飢饉であった。金治郎は病魔の薬として、とろろ汁を掘り摺り、灰
を混ぜ、木の実で団子とし保存食とし餓死に立ち向かった。しかし金治郎の思想はこれ以上進まず、二宮金次郎は「われ誠心足りず」と落涙した。藩士たちは農民たちのエネルギーを恐れて農民と金治郎の結びつき絶った。「小田原資料館資料より。」
「13話」
東海道の箱根宿で俳聖芭蕉は自然体、
箱根来て なにやらゆかし すみれ草 芭蕉
「14話」
三島宿の千貫樋「とい」、は天文22年「1554」伊豆の水を駿河に流す。
この水流し樋は北条武田今川の三氏が同盟を結び、北条の娘と今川との結婚式の
「引き出物」として贈ったものである。金千貫の価値がある樋ではなかろうか。
「15話」吉原宿で左手に富士山が望む。東海道は江戸から総て右肩に富士を友として旅
をするがこの地だけ左に富士を見る。古い文献に「道の歪みにて起こり候」とある。
「16話」 蒲原宿
の「夜の雪」の東海道広重絵は国内海外とも人気が高い。この写実の
処に石碑が建ち名画の記念碑であろう。「夜の雪」は白と黒2色の原色画と言える。
「17話」 歴史エピソード。幕末動乱の最中、勝海舟の密令を持ち山岡鉄舟は官軍に追われ望嶽亭に逃げ込み主人は事情を知り、変装させ裏口から逃がし清水次郎長に渡し鉄舟は西郷隆盛と会談に成功、江戸城無血開城となる。鉄舟が望嶽亭にピストルを預け家宝。