有限会社シンフォニア

愛知県岡崎市 Local Internet Service Provider

今日は岡崎の花火大会が行われます。

子供の頃は家の二階窓から遠望するくらいでしたが、結婚後の約3年間は、明大寺町に住んだこともあり、家内の両親などを招いて眼前に広がる大きな打ち上げ花火と、お腹に響くような音響を楽しみながら、楽しいひと時を過ごしたことを思い出します。

そうした楽しい思い出の花火大会ですが、今年は巡り会わせで今日、8月7日に行われます。
そこでふと思い出したことがありました。それは第二次世界大戦において戦死した、伯母のことです。

当時、17歳だった伯母は、兵器製造のため豊川海軍工廠に行っていました。
昭和20年8月7日午前十時十三分。米国の大型爆撃機B29の大編隊が襲来し、数千の爆弾と焼夷弾が投下されました。
この爆撃によって海軍工廠の職員、従業員、そして伯母のような学徒、女子挺身隊員、さらには12~3歳の国民学校児童等二千有余の尊い命が失われました。
わずか30分足らずの空襲だったようですが、海軍工廠では「総員退避」の放送直後に空襲が開始された為、実際には退避行動もとれなかったと思われます。

父から聞いた話ですが、伯母の安否を心配して、父をはじめ両親・兄弟揃って、海軍工廠まで行ったそうです。
空襲跡一面に転がった、焼け焦げたり、バラバラになった遺体を、ひとつひとつ確認して回ったそうですが、とうとう伯母を確認することは出来なかったそうです。
ですから遺骨は無く、「豊川海軍工廠ニテ敵機爆撃ニテ死亡 豊川海軍工廠長清水文雄報告」と戸籍謄本に死亡記載が残るだけです。
かろうじてセーラー服姿の写真が一枚残っており、17歳の少女の姿だけが、残された家族に「確かに生きていたと」という存在を知らせてくれます。

この一週間後には、ご存知のように終戦を迎えるわけで、本人も残された家族も、さぞ無念であったろうと想像されます。

岡崎に話を戻しますが、ここ岡崎市も7月20日午前一時五十分頃、多くの焼夷弾が投下され、明大寺あたりからあがった火の手は、大西から市街地へと広がり、死者は200名を超え、行方不明者13名、重軽傷者348名、家屋の全半焼は7500戸を超え、被災者は3万2000余名に及んだそうです。
当時16歳だった父は、「空襲警報が聞こえたので屋根に上って岡崎の方を見たら、空が真っ赤に染まっていた」と、話していました。

こうした悲しい過去を経て、今日の花火大会を迎えるわけですが、夜空を鮮やかに染める大輪の花火を、戦災で亡くなられた多くの方たちも、きっと眺めていることだろうと思います。

花火の下には、喜色満面の老若男女が集います。
夜空を照らす明かりが、人々を幸せな気持ちにしてくれる花火大会。
ど~ん。ど~ん。という音を聞くと心が沸き立ち嬉しくなってきます。
花火大会を楽しめる今に感謝。その礎になってくださった多くの方々に感謝。

ありがとうございます!

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有限会社シンフォニアSinfonia 山本
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プロダイバー業務、パソコンの販売・修理、モバイル端末も扱います。
近頃はネット技術の革新が続いており、ウェブの標準も暗号化だけでなく、同時に通信を高速化する HTTP/2 が主流になりつつあり、同時にPHPもVersion8 への移行が進んでおり、弊社サーバーでも標準仕様となっています。

他にも、クラウド、ウェブメーラー、スパムフィルターなど常に新しいものに挑戦するのが大好きです。

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