租税理論と租税体系

松井吉三

はじめに

資本主義の発展段階に応じて、それぞれ異なる経済思想や租税思想が形成された。租税の根拠・負担配分のあり方・租税体系としての税種の選択などについても、時の著名な経済学者により、最良の租税制度の条件が分析されており、「租税原則」として知られている。本章では、スミス、ワグナー、マスグレイブの租税原則を紹介する。いずれも税負担配分の公平性に最大の考慮がはらわれている。公平性に配慮して、主要先進国(フランスを除く)では所得課税を中心に消費課税、資産課税で補充する租税体系になっている。

しかし「公平、中立、簡素」というアメリカにおける主流租税理念の影響を受け、現代日本でも、成長を阻害しない租税政策(大衆課税、資本減税)が選択されがちである。公的部門の拡大を不可避として、格差・貧困の拡大に歯止めとなる税制が求められる。

1,租税原則

(1)   アダム・スミスの租税原則

資本主義に先行する封建時代には、農民などの直接的生産者を土地に縛り付けておくために、国王や領主の絶対的権力が必要であった。内容・手続きの双方で徴税当局の恣意的な課税になりがちであった。18世紀後半の市民階級勃興期=資本主義形成期のイギリスでは、国王の恣意的な課税を排除することが最大の目標であった。A・スミスは、著書『諸国民の富』第5編第2章のなかで、@国家からの受益に応じて公平に租税を負担すること(公平)。A徴税吏による恣意的な課税を排除するため、支払の時期、方法、金額は明確でなければならないこと(確実)。B納付にあたっては、納税者の便宜をはかること(便宜)。C徴税のための費用が租税を上回ると暴政を招くので、徴税費は少ないほど良い(徴税費最小)と主張した(1)。政府は安上がりなほど良く(安価な政府)、国家経費は防衛・司法等必要最小限にとどまるべきである。国王の暴政を排除するために、国家の費用は市民階級が共同して受益=支払能力に応じて負担する。国家からの受益は、各人の支払能力に反映されているものとされるからである。国家からの便益を最大限に受けているという意味で、租税としては、財産税と奢侈品課税が推奨される。他方、賃金に帰着するすべての課税や必需品課税は名目賃金を引き上げ、好ましくないものである。ちなみに当時のイギリスには一般の国民に対する所得税は存在しなかった。

また司法、行政費は一般財源の租税で、公共事業については利用者の受益に応じた負担として料金負担が好ましいとする。スミスの租税原則では、経費の特徴や租税の実際の帰着を個別に吟味することにより、租税負担の根拠としての応益説(利益説)が明確である。

(2)アドルフ・ワグナーの租税原則

19世紀後半の後発資本主義国ドイツでは、資本主義の危機を労働者懐柔のための社会政策によりおおい隠さざるを得なくなり、個人に優先する国家観が芽生えた。ワグナーは、後発資本主義国故の国家経費膨張を必然なものとみなし、当時整備されつつあった所得税制度に注目して格差是正のために租税政策として、累進所得税制度を当然のものとした。ワグナーの租税原則は下記のとおりである(2)

@     財政政策上の原則 @課税の十分性……十分な税収を上げうること。A課税の弾力性……財政需要に対して税率などが弾力的に操作可能であること。

A     国民経済上の原則 B正しい税源の選択……国民経済の発展を阻害しない税源(所得を基本として、財産は例外とする。C正しい税種の選択……租税の転嫁を考慮に入れて国民経済の発展を阻害しないように税種を選択すること。

B     公正の原則 D課税の普遍性……課税は普遍的に配分されること。E課税の平等性……負担は平等に、能力に応じて課税されること。

C 税務行政上の原則 F課税の明確性 G課税の便宜性 H最小徴税費…スミスと同じ。

ワグナーの租税原則では、一見相反する原則が並べられているが、重心は資本蓄積と徴税当局のサイドに寄っている。膨張する国家経費を賄うために、十分で且つ弾力的な税制が必要である。そのためには資本元本を食いつぶさないような税、すなわち所得税が中心となる。しかし負担配分については、平等な負担と支払能力に応じた負担となるべきことを説いている。一方資本主義の成熟により、税務行政上の原則の地位は後退している。

(3)マスグレイブの租税原則

 20世紀後半、財政政策(歳出・租税政策)により、雇用の確保と経済成長を支えるケインズ的な経済思想が主流となった。アメリカ・ケインジアンの主流であるマスグレイブは、ワグナーと同じく国家の役割に租税の根拠を与えている。彼の租税原則によれば、市場の失敗を財政が補正するビルト・イン・スタビライザーや投資など経済的諸決定に対する干渉を最小にすべきことを公平原則に次ぐ第2番目の租税原則とするなど、公平の視点は若干後退している。しかし同時に第3番目の租税原則に上げられているように、投資促進的な租税政策が負担配分の公平に対する干渉を最小にすべきこととしており、政策手段の行き過ぎを警告する(3)

@     税負担の配分は公平であること。

A     経済的諸決定に対する干渉を最小にするような税が選択されるべきこと。

B     投資意欲促進手段としての租税政策は租税体系の公平への干渉を最小にすべきこと。

C     租税構造は経済の安定と成長の目的のための財政政策の使用に促進的であること。

D     公正且つ非恣意的税務行政を可能にして、納税者に理解される租税体系であること。

E     税務行政と納税上の費用ができるだけ最小であること。

マスグレイブは、公平確保のための租税政策と公平を前提とする政策手段としての租税政策を区別していたものと考えられる。彼によれば人税は物税より優れており、望ましい税体系は上記諸原則を集約して、公平・効率・行政の容易性の条件を満たすように組み立てられるものである。以上、マスグレイブまでの租税原則の中心はあくまで負担配分の公平にあった。納税者の権利を確保するために、税務行政上の諸原則も必ず付け加えられていた。

しかし20世紀後期から21世紀初頭にかけて、公平・簡素・経済成長の目的を同時に実現させるという税制改革の実施理念の下に、極端な資本・企業減税政策と他方で付加価値税等の強化という格差拡大的な租税政策が世界に波及していった。ここでいう「公平・簡素・経済成長(又は中立)」は、経済成長を目指す資本・企業の立場に立った租税理念である。決して、階級利害の接点で最良の税制を求める租税原則ではないのである。

2,租税理念

(1)応益説と応能説、効率と公平

国家からの便益供与に比例して国家経費を分担するというのが応益説である。自らの地位確保、共同防衛のために、新興ブルジョワジーが共同して国家の経費を負担するという資本主義形成期に現れた思想に基づいている。時代が下り資本主義の綻びが目立つようになると、社会政策的観点から、累進課税などにより、生活に余裕のある者に対しては通常の負担率より大きい割合で国家の経費を分担させつつ、低所得層に対しては最低生活費免税により最小の分担を求めざるを得なくなった。個々人の支払能力(ability to pay)に応じた負担を求めるのが応能説(能力説)である。

応益説から応能説へのシフトは歴史的必然だといえる。支配階級により応益説への揺り戻しもおきる。資本主義のほころびに伴う貧困化、格差拡大は、つねに応能負担の考え方に基づいた税制を求めずにはおかない。

資本主義国家の政府の役割増大による経費の膨張は、政府サービスの帰着を特定の階級、個人に帰着させることを不可能とする。限界効用学派からも、高所得部分の限界効用は低いので、累進課税でも経済活動を阻害することは少ないという累進税率容認論も主張されたぐらいである。

さらに貧者の便益ほど高くするのが社会の正義にかなうという社会的正義論も生まれた。J・ロールズによれば、社会的経済的不平等が、最も不利な立場の人の便益を最大化して、公正な機会均等の下で全ての人に開かれている職務や地位に付随するというように取り決められるべきである(4)。ロールズの継承者であるアマルティア・センによれば、機会均等と結果の平等はどこまでいっても相反関係にあり理論的には折衷できない。むしろ悲しむべきものは、人間の可能性が閉ざされていることである。貧困とは「潜在能力」が機能していない状態である。「潜在能力」とは個人の主体的な選択が外的に妨げられずに、且つ現実に達成可能であるようなあり方である(5)。貧困克服の為には、所得アプローチだけでは足りず、人間の多様性に目を向けるべきものとされる。不幸な人はそれぞれに違って不幸であることを考えれば、すべての人に開かれているということが大事である。税制改革にあたっても、多様性を重んじることからは、不利な立場な者を税負担上配慮するということがでてくる。

しかしアメリカ、日本で現在支配的な租税理念は不利な立場の者又は多様性に目を向けるのとは全く異なる。租税は公共財の反対給付・価格であるという想定の下で、小さな政府に向けて応益説が復権している。受益者負担原則を突き詰めれば、貧困者に向けた公共サービスは貧困な家庭がより多く負担すべきという驚くべき結論が出る。資本の効率性を阻害しない税制が最適となり、公平性・多様性の視点は希薄となる。資本蓄積第一主義というのは社会的公平に反し、間違っている。効率は手段であり、資本の効率性として、それ自体が目的となってはいけない。公平を重視することにより、経済の持続的成長も達成していくということでなければならない。

(2)水平的公平と垂直的公平

支払能力に応じた負担を求めるというだけでは、公平の中味が明確ではない。そこで担税力が同等な者を課税上平等に扱うことと、担税力の異なる者の応能負担課税が区別されるようになった。ワグナーによれば、所得格差拡大の折、平等課税のルールだけでは足らず、最低生活費免税・累進課税などの仕組みがあってはじめて課税の公正が確保される。現代では、負担配分の公平原則が水平的公平という一面的な租税理念に置き換えられ、租税体系の一律比例課税を求める税制改革の理念の形成に寄与している。日本税制の水平的公平について言えば、クロヨンなどの「所得の捕捉率」(サラリーマン9割、自営業者6割、農家4割)などが問題となる。

1970年代以後の低成長期に入り、資本主義の危機の一層の深まりにともない、先進資本主義諸国では、税制が積極的に経済効率を援助するものとして位置づけられるようになった。その場合の公平は水平的公平の基準である。現実とは異なり、所得分配の公平が前提とされている。格差の急速な拡大が止まらない21世紀初頭にあっては、応能負担原則の根本に立ち返り、税体系及び各税目を通じて、応能負担構造を確保することにより、結果として税の公平(垂直的公平)を達成することが要請される。

(3)包括的所得税と支出税−課税ベースの選択−

@包括的所得税 公平原則にかなう租税体系は、最低生活費免税、累進課税など個人の支払能力に配慮する人税の所得税を中心に組み立てられなければならない。理想的には、すべての自然人の経済力の増加の合計額(包括的所得又は総合所得)に累進課税がなされることである。これが包括的所得税の考え方であり、先進資本主義国家の租税体系や個人・法人所得税のあり方に生かされている。支出面を基準に定義すれば包括的所得は、当期消費額と資産価値増加額との合計額である(第3章第1節を参照)。経済力増加側面がすべて所得としてカウントされる。未実現のキャピタル・ゲインや帰属家賃も課税ベースに含まれる。

しかし、未実現のキャピタル・ゲインや帰属所得については、金銭に置き換わっていないこと。受益額の認定も困難なことにより、世界的にも、個人所得課税の対象になることはまれであった。法人利潤についても、アメリカ以外の先進諸国では法人擬制説を採用することにより、法人税を個人所得税の前取りとみなして、法人税と個人所得税の二重課税を一部排除している。法人擬制説のねらいは、法人所得を課税ベースから除外することによって、資本・企業所得に対する負担を軽減することにある。意外に知られていないが、第二次大戦直後、西欧諸国では法人実在説的な課税方式へと変化していた。正しくは法人擬制説が復活したということである(6)。したがって、包括的所得税イコール法人擬制説ではないのである。

A支出税 課税ベースの選択としては、上記の包括的所得に代わり、課税ベースを消費だとすべきだという考え方もある。消費に課税すべき理由は、第一に、社会のプールに入れたときではなく、社会のプールから引き出したときに課税すべきではないかということである。第二に、生涯所得と生涯消費が一致するものとすれば、所得税と消費課税の間で税額は同額である。違いは、いつ税を負担するのかという問題だけということである。課税ベースを消費とする租税としては、直接税の消費課税と間接税の消費課税の二種類が考えられるが、包括的所得税に代わるものは、直接税としての消費課税であり、一般に支出税といわれる。

支出税は、借り入れを含む総収入から非消費支出(貯蓄)を差し引いた額に対して税率(比例税率又は累進税率)を課すのが基本的ルール(古典的支出税)である。消費そのものではなく、消費可能資金を課税ベースとする。ただし、実行上の難点があり、先進主要諸国で実施されることはなかった。資金の総流入額から非消費支出額を差し引く際に、控除可能な非消費支出を納税者自らが申告しなければならないからである。

しかし、1970年代後半に支出税の実施構想が復活した。支出税の提案が復活した最大の理由は、控除すべき貯蓄を控除しないこと(同時に貯蓄の支出時には課税ベースに算入しないこと)とすることによっても、古典的支出税と同等な効果が得られることが知られるに至り、支出税の提案がにわかに現実味を帯びてきたことである。加えて、貯蓄非課税の支出税は、世界的低成長下での税制としては、より資本蓄積促進的にはたらくからである。

アメリカでは1977年に、公平・簡素・経済成長という目標を実現するという租税理念のもとに、現実の消費額を課税ベースに比例又は累進税率を適用する支出税の実施構想が提案された(財務省報告)。貯蓄はいずれ消費されるから、当期の現実の消費を課税ベースとしても構わないこととされた。支出税の提案が見送られ、さらに付加価値税の導入の提案も見送られる場合には、所得税の課税ベースの拡大、税率の引き下げ・フラット化が実行されるべきであるとされた。両者の導入が見送られた結果、アメリカでは、現行所得税の不公平の解消、並びに累進税率とインフレーションによる税負担の急増を排除するために、1980年代に大幅な所得税率の低下とフラット化が実施されたのである。現代の支出税はもはや包括的所得税の代わりではなく、資本蓄積促進税制の一つの選択肢になっている。

(4)最適課税論の批判的検討

課税により、需要量や供給量が低下する場合、近代経済学では、資源配分上の中立性が乱されたと考える。経済活動に悪影響を及ぼさない税制、言い換えれば資源配分上の中立性を有する税制が望ましいことになる。最適課税論は、経済への悪影響を「超過負担」として、超過負担が少ない税制をめざすものである。1927年にラムゼーによって最初に発表された。

超過負担は、消費者にとっては消費者余剰の減少額で表される。消費者余剰とは、支払うつもりはあるが、たくさん買うことにより価格が下がり、結果的に支払額が節約できることである。例えば、500円なら1個、400円なら2個、300円なら3個買うという計画の場合で、結局1300円で話がついたときは、1,200円支払っても仕方のないところ、結局900円(300円×3個)で済んだのであるから、消費者にとっての余剰(節約額)は300円(1,200900)だと考える。

超過負担を少なくするためには、価格が上がっても買わざるを得ない必需品に対する課税が最適だということになる。話を国民経済に広げれば、需要の価格弾力性が小さい必需品に対して重課すれば、社会全体の超過負担がより少なくなることは容易に想像できる。

1個につきいくらといった従量課税の個別消費課税が課された場合を想定しよう。図11で見れば、課税前の消費者余剰は三角形A0、課税後の消費者余剰は三角形AFP1である。課税によって、社会から消えた消費者余剰額は三角形FEGであり、これが超過負担である。なお税額は政府の税収となるので、失われた価値ではないと仮定されている。贅沢品では需要曲線はなだらかであり、そこで贅沢品に対する税率(PとP1との差額)が引き上げられると、三角形FEGで近似される超過負担は税率の増加の程度以上に大きく増加することが分かる。また個別消費課税と一般消費課税の比較では、個別消費税よりも全商品に対して同じ税率で課税するのが望ましい。超過負担の話を個人所得税に援用すれば逃げ足の速い資本性所得に対しては軽課税、労働所得に対しては重課すべきことになる。また累進所得税は、経済の中立性を損ねるものとして排除される。

 

 

11  超過負担

(注)課税により需要曲線が上方に移動する。超過負担は、三角形FEGの面積で表される。供給価格一定を仮定。需要曲線が垂直に近づくほど(必需品)、超過負担は小さくなる。Pは価格、Qは財の量。定率の従価税でも同じ。

(出所)井堀利宏(1990)『財政学』新世社、p.119

ラムゼー型の最適課税論の問題点は、代表的家計が超過負担を最小化するように消費を決定するという枠組みにある。そもそも超過負担が少ない、所得水準の低い多くの家計の消費行動は何ら考慮されていない。

最適課税論とは、現状の民間の経済活動にゆがみを生じさせない課税をめざす、資本の効率性を重視する議論である。現状の生産、分配の維持が大前提であり、現行の所得・資産格差の内容を問わないで、超過負担の最小化を言っている。前提が崩れれば、超過負担の議論は飛んでしまう。日本の最適課税論は、資本性所得に対する低率比例課税の傾向をさらに助長する根拠となっている。

これに対して、租税の負担配分の公平性を重視する考え方からいえば、必需品には低税率、贅沢品には高税率を適用すべきだということはいうまでもない。

3,租税体系

(1)複税制度と租税体系

 資本主義の発展にともなって、所得・税源が分化し、多岐にわたるようになった。所得単一税では、唯一の税源である所得・利潤を捕捉できず、複数の税種で税源を捕捉せざるを得ない。資本主義の発展段階、特殊事情に応じて、資本主義各国でそれぞれ異なった租税の編成のあり方(租税体系)が生まれてきた。

近代以後の租税は、資本の循環を基礎にして、収入の増加に備わる税源を所得課税により捉える。収入が支出される場合の担税力を消費課税により捉える。資本そのものにも担税力があるものとされ、資産(財産)税として、所得課税・消費課税を補完している。

所得課税の税源は、資本の循環における前貸資本(賃金)の払い出し局面での従業員給与、並びに利潤の分配局面での企業者利得、役員・事務員給与、利子、地代等である。これらの税源は、個人・法人の所得税により捉えられる。このほか、収入がもたらされる源泉(従業員数、事業所床面積など)に税源を求める営業税等の企業者課税の収益税がある。

収入が支出される場合の担税力は、間接消費課税のほか直接消費税(支出税)によっても捉えることができる。支出税の実施例は殆ど無い。消費課税にあっては、機械や材料などへの投資は、実行時に課税ベースから控除される。これに対して賃金は控除されない。労働者が消費課税の殆どを負担する。

資本・資産そのものを税源として捉える租税が資産(財産)課税である。資産は資本として機能しているものと、利潤の処分の結果として個人資産として蓄積されたものとに大別できる。資本が増える原因は、実現・未実現の視点から、利益の配分などによる実現済みのものと、単に値上がり益を反映する未実現の利得(ゲイン)に大別できる。資本元本として機能する資産に対しては、資本元本不可侵の要請により、免税とするか又は収益税とみなして低率比例課税である場合がほとんどである。

他方、個人の蓄蔵財産に対しては、実質的財産の増加という意味合いから、相続税、富裕税等が課税される(実質的財産税)。財産の増加には本来所得税と同様の税率が課せられるべきことからすれば、現在の日本の相続税の課税水準は著しく低い。生活目的の固定資産に対して課税される日本の固定資産税(地方税)も、実質的資産税である。資産の取引そのものにも担税力があるものとされ、印紙税等の流通税が課されている。流通税は資産税に含めてよいものと考えられる。

資本主義国家では資本元本不可侵の要請から、所得課税、消費課税が中心であり、資産課税のウェイトは低いのが通例である。資本主義の危機の深まりにともない、西欧諸国では消費課税の地位が高まっている。他方、資産課税を含めた所得課税のウェイトは低下しつつある。

(2)租税の分類

 租税は様々な観点から分類される。転嫁の有無という観点からは、租税は直接税と間接税に分けられる。納税者が租税を負担するのが、直接税である。課税のインパクトを他者に転嫁することを想定するのが間接税である。通常、所得課税、資産課税が直接税であり、消費課税が間接税に区分される。法人税も転嫁すれば、立派な間接税である。一方、零細企業が納税義務者になれば、消費課税でも完全に転嫁しない場合がある。価格を決定する立場にある側と受け入れる側との違いは大きい。直接税と間接税の割合が「直間比率」である。日本では、一般消費課税の導入にあたり、間接税の割合が低いことが根拠とされた。

人税と物税という区分もある。人税は納税者の個人的事情を税額に反映できるあつらえ税として、累進課税が可能である。個人の給付能力の多様性を斟酌することができる。物税とは、課税物件の生産量や消費量などの数量に応じて課される税であり、比例税又は逆進課税となる。所得に比例して課税される法人税は、物税に近く、消費課税と同様に転嫁する可能性がある。

このほか国税と地方税の別もある。地方税は国税に付加して課されるものと、独自に課税するものがある。このほか普通税と目的税という区分もある。また特定財源や目的税が、特定の政策支出目的のための財源として課税されている。目的税は、公共の経費の使途はすべて議会で決めるという財政民主主義の思想に反する。

ここで確認しておかなければならないのは、間接消費課税を含めてすべての租税の税源は第一に当期の所得であるということである。当期の所得で租税が賄われない場合に限って、過去の所得の蓄積である資産・資本が食いつぶされる。租税原則からいえば、個人所得税を中心としつつ、支出、蓄積などの特殊事情を考慮して、種々様々な段階や経路での課税をつうじて、最終的に所得に対する応分な負担を求めることである。

 

租税原則論は、受益説、能力説を問わず、伝統的な租税原則に特有な原則は公平の原則だということを教えている。現代資本主義では公平性に配慮した租税理念は包括的所得税の考え方に到達した。戦後日本でも、シャウプ税制で包括的所得税の考え方に沿った租税体系が確立した。しかし、シャウプ税制の直後から、分類所得税への傾向を強め、公平性が阻害されてきた。1980年代末期以後、一般消費課税の導入とその後の税率アップ、他方での所得税・法人税の減税に見られるように、課税ベースの所得から消費へのシフトが進み、税制全体の累進性は目立って低下した。この結果、今日では、金融所得に対する課税は大幅に軽減されている。また、巨額の研究開発投資をおこなっている大企業が応分の法人税を納税していない状況がある(コラム参照)。一方で、日本の貧困率は先進資本主義国の間では、アメリカに次ぐものといわれる。格差が急速に拡大する今日だからこそ、租税原則に特有の原則である公平原則に立ち返り、税制全体が応能負担に向けて改革することが必要だと考えられる。

 

1)  アダム・スミス著、大内兵衛・松川七郎訳(1976)『諸国民の富(四)』岩波書店、pp.239-243参照。

2)遠藤三郎(1998)『現代の財政理論』ナカニシヤ出版、pp.90-91参照。

3) Richard A. Musgrave & Peggy B. Musgrave., Public Finance in Theory and Practice,3ed.,1980,pp.235-236参照。

4) ジョン・ロールズ著、矢島欽次訳(1992)『正義論』紀伊国屋書店。pp.47-64参照。

5) 鈴村興太郎・後藤玲子(2001)『アマルティア・セン−経済学と倫理学−』実教出版、p.25参照。

6) 遠藤三郎(1978)「租税本質論と現代税制」愛知大学『法経論集 経済・経営編』第86号、p.22参照。

参考文献

高橋誠・柴田徳衛編(1994)『財政学〔第3版〕』有斐閣。

アマルティア・セン著、大庭健・川本隆史訳(1980)『合理的な愚か者』勁争書房。

井堀利宏(1990)『財政学』新世社。

宮島洋(1998)『租税論の展開と日本の税制』日本評論社。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―コラム―    

納税額より多い消費税還付金

製品をすべて輸出する輸出大企業を想定します。輸出にはゼロ税率が適用されるので、機械・原材料・経費に含まれる消費税は、全額還付されます。そこで多額の研究開発投資を行うことによって、消費税の還付を受けるとともに、法人税を減らすこともできます。研究開発費は損金となるからです。また法人税を下請企業や社員に転嫁させる可能性も知られています。下請けいじめにより法人税を転嫁させることにでもなれば、法人税は実質間接税となり、企業は法人税負担を免れることになります。こうして浮いた利益は再度研究開発費に回すことができます。2004年分では、輸出大企業上位10社の内2社(トヨタとキャノン)だけが法人税、消費税を通じた納税企業です。