新刊本の紹介


書名: 九鬼憲子著『おじいさんの柿の木』199712月、九鬼憲子自費出版、ヨシノ印刷。

いままで文学、小説などというものは「うそ話」「作り話」として嫌いで読む気がせず、またノンフィクションにしても「お涙ちょうだいもの」が多く、興味もなかったのですが、この本にはさすがに泣けてしまいました。著者は九鬼憲子(くきのりこ)さんといい、これまで書きためていたエッセイを一冊の本にしたものです。凝縮されたさりげない文章は著者独特の作風であり、主婦ではありますが、おそらくエッセイにおいては日本の第一人者と断言してよいと思われます。

エッセイのなかでは、「おじいさんの柿の木」と「メロンと明ちゃん」の2つのエッセイが出色であり、いずれの作品も文芸春秋社が選ぶ、その年度のエッセイの優秀作品として選ばれているものです。この二作品はプロの方のエッセイと比較しても群を抜いており、選ばれてさもありなんというものです。

私も「おじいさんの柿の木」が最初に「文藝岡崎」という地方の文芸誌に発表された当時、感動して著者に手紙を送ったことがあります。

いずれの作品も重度の知的障害者の二男との日々の生活の哀感を切り出すことで、読者の涙を誘うものです。しかし他の素人の作者との違いは、ただかわいそうという事に尽きるのではなく、さりげない文章で、日本のあるいは地域の社会福祉の寂しい現状を嘆き、自らも当事者として「この子を残して」は死ねないというやるせない情感を読者の深奥に突き刺していることです。現在の社会経済構造に基づく日本人の寒い精神に対する問題提起であると私は考えています。実際、九鬼さんは「手をつなぐ親の会」の会長を経験し、授産所などの福祉施設の建設を陳情し実現にこぎつけた地域の功労者であると聞きます。

また、福祉の現状を少しでもよくするにはどうすればよいのかということを行政に暗に伝えているのだと解することもできます。表立ってこのようなことを提言するよりも、生活感ある題材を得て、さりげない文章で綴ることの方がよほど読者の胸をうつことがあります。著者のエッセイはやはりこのようなものとして珠玉であると考えます。

障害者は働きたくても働き場所が限られているのが現状です。弱い者いじめは絶対に許されないことです。この簡単なことが日本では、上から下まで守られておらず、階層間の諸格差がこの10年間拡大しているという現状があります。このことも大いなる問題であると考えます。

なおこの著作は自費出版であり、値段の表記はありません。印刷所は愛知県岡崎市の(株)ヨシノ印刷です。