歴史認識と公平・公正な課税
−F.エンゲルス著『家族、私有財産および国家の起源』の成果を参考として−
松井吉三
1,はじめに
上部構造である国家と税制を、土台である現代の資本主義的生産様式と併せて考察した場合、税制改革の方向性をいかに捉えるべきなのであろうか。現代資本主義社会では、国家が階級間対立のせめぎ合いのなかで、資本の側の勢力が、そのなかで、ほんの少しだけ有力であるにすぎないのにもかかわらず、国家の殆どの政策を決定している。これは他方、状況がほんの少し変われば、労働者・国民により良い状況が生み出されることを意味している。しかし、体制の変革は、反動勢力の国家権力装置の介入によって、簡単に実現されるものではないことも事実である。
税制では、第一に、次の基本認識が重要である。@税制でやれることは限られており、税制改革は選択の問題であるにすぎないこと。これは最大の基本認識である。A労働者側のわずかな剰余の取り上げが国家システムを通じて行われており、常に闘争をしていかなければ状況は悪くなるものであること。Bしたがって、税制改革の方向としては、方向性を指し示すだけでは足りず、生活悪化を防ぐものとして、闘争していかなければならないこと。
われわれは、新自由主義的方向の揺り戻しを展望するにあたっても、方向性ばかりでなく、規範を、すなわち、担税力を真正に掴む努力を主張するものである。現代の日本でいえば、租税法の原理を逆手に取り、労働者側から見てあるべき公平・公正な税制改革のあり方を模索することが重要なのに、批判的勢力にあっても、この努力がおろそかにされていると思われる。逆に、一時的には、民主的な方向の改革に見えても、長い目で見れば、庶民のためにならないことがある。こういうものを明確に指し示し、排除していかなければ、かえって制度面で悪用される可能性がある。
このようにわれわれは、対立軸としての規範を展望することを求める。これは、税制でいえば、現在的状況のなかで、応能課税を究極まで推し進めた税制改革のあり方をワンセットで実現することである。このために、経済理論分析も「利潤の費用化」などの会計学的諸問題にまで引き上げられなければならないし、さらに、制度的にも実現可能なものとして、提言されなければならない。そのために、法律学的な視点からの制度分析も重要である。
このような考えに至ったのは、エンゲルスの著書『家族、私有財産および国家の起源』を読み直して、改めて、その成果に注目したからである。法律は国家に関連するものであるが、国家に関する基本認識は、筆者には、全く不明であった。その成果を紹介することからはじめ、最後に、現代の税制改革のあり方について述べることにしよう。
1,私有財産の発生と国家の起源
@商品から貨幣
マルクスの『資本論』では、商品が貨幣になり、貨幣が資本へ転化するものとしている。この内、商品が貨幣形態を産むまでの流れを媒介するのが、商品の交換過程である。交換は同じ価値どうしのものの間でなされる。交換は、共同体の終わるところで、共同体の間で剰余生産物の交換がはじまり、ついで、それが内部に波及する。生産物は生産者のものなので、剰余価値は存在しない。封建的公租は、生産者が直接に自己の生産物のなかから支払うものであった。
商品は、その商品をつくるのに平均的な労働者が要する労働時間を基準として交換される。最初は、それこそ物々交換で、偶然的な交換であった。しかし、商品流通の一定の成熟は、一般的等価形態の商品を貨幣とするに至る。貨幣は、最初には、遊牧民の育てた家畜すなわち牛や羊であったのだが、次第に銅、銀それから最後に金に移行する。この段階では、資本は、まだ発生していない。
貨幣が資本に転化するのは、商品生産が相当程度に発展して、労働力の売買をすることができる社会状態が到来した時からである。これは、有史8,000年の内、最近の数百年間である。貨幣が資本に転化するには、労働者が労働市場で買われること。そして、資本家のために、労働者が自分の分以上に生産物を生産することによってである。したがって、労働市場というものが存在していなければ、資本主義的生産の社会はありえないことになる。資本主義的生産が支配的になるや、商品の価値の内、剰余生産物部分は「剰余価値」として、生産手段所有者が取得するに至っている。剰余生産物は、もはや生産者や労働者のものではなくなっている。剰余価値を取得することによって、貨幣は資本になる。商品や商品流通の歴史は長いが、資本や資本主義的生産様式の歴史は本当に短いのである。
このようなマルクスの商品、貨幣理論は、『資本論』では、歴史的事実で例証はされているが、資本論は歴史書ではないので、細かい史実の流れは分からない。さらに、商品交換の歴史のある段階で、国家が誕生するが、国家の起源は明らかではない。そこで、エンゲルスは、歴史的事実で商品から資本への流れを、国家の誕生と併せて、例証することにより、『資本論』をより確実なものとしておきたかったのである。
A資本主義に至るまでの通史−没落する生産者・労働者−
エンゲルスによれば、最初の原始共産的共同社会は、階級対立のない社会であった。したがって、太古からの一連の歴史は、その時代のなかで地位の転変はあるものの、資本主義社会に至るまでの歴史は、労働者が生産手段を奪われていく過程であり、零落の過程として、捉えるのでなくてはならない。それも、封建から近代へという狭い変化移行のなかではなく、太古からの歴史的変化としてもそうだということである。
また、エンゲルスによれば、絶対王政の確立も、市民階級が権力を握っていったのも、商品生産が支配的になっていく自然的な資本主義化の産物なのであった。資本主義より前の時代では、少なくとも、労働者・農民は生産手段・生産物の所有者であった。農民は自己の生産物のなかから領主に年貢を払ったのである。中世の農奴ですら、自分の家屋の敷地と共同地の所有権を確保していた。西ヨーロッパでは、14・15世紀頃までには、農奴制は終わり、その後の農民は、独立自営農民に発展していた。しかし、手工業など工業の発展によって、農民や労働者は、いまや土地を奪われ、ついには、乞食になるか、自己の労働力という「財産」以外に何ものも所有しない無一文の労働者に成り下がったのである。
確かに、ブルジョア市民革命によって、見かけ上は、労働者の地位は、古代社会の奴隷、封建社会の農奴の地位よりも大きく上がった。近代代議制度がスタートしたからである。近代代議制度は、まさしく、ブルジョア市民革命の結果、ブルジョア階級が封建領主から奪い取ったものであり、革命のときは、ブルジョア階級は労働者階級とともに戦った。しかし、権力を取った後は、工場主などのブルジョアは素知らぬ顔で支配者として収まった。労働者階級は依然、被抑圧階級のままであり、その経済的地位は、封建社会の農奴の地位よりもかえって下がったことに、後になってようやく気づいたのである。
その後、資本主義は、高度に発展して、独占段階に発展したが、初期資本主義社会との違いは、農村住民から生産手段を奪う速度が格段に早まったことである。日本では、第二次世界大戦後60年間で、労働者の数は5倍以上になった。それだけ、戦後、農民が土地を追われ、自営業者が没落して、都市の労働者となったのである。
B国家の起源
エンゲルスによれば、ルイス・H・モルガンの『古代社会』より前の家族史の研究は、混乱を極めていた。「古代史に現れる個々の民属や、さらにいまなお現存している若干の野蛮人のあいだでは、出自が父方でなしに母方によってたどられ、したがって女系がただ一つ有効な系統と見なされていたこと、また現代の多くの民属のあいだで、一定のかなりに大きい、当時はまだくわしく研究されていなかった集団の内部の婚姻が禁止されていること、そしてこういう慣習は世界中各地にあること−これらの事実はなるほど知られていたし、その事例もますます数多く集まってきた。だが、これらの事実をどう扱ったらよいのか、かいもくわからなかった。(注1)」。モルガンは、約40年間の研究により、家族の歴史に系統的な解釈を加えた最初の人であった。エンゲルスは、それに世界史的な意義を付け加えた。
エンゲルスの総括によれば、生産力の発展、とくに牧畜が、私有財産と父権制家族の発生・強化を招き、これら相互間に富の格差を招き、その対立を制限するために、国家が成立した(注2)。生産力→私有財産→家族→国家という図式である。実際は、制度の経済に対する反作用もあり、図式どおりに実現されたわけではないが、傾向・平均としては、そうであったということでよいと思われる。
古代国家は膨大な数の奴隷を抑圧するための奴隷所有者の国家であったし、封建国家は古代社会の共同体的所有が一部に温存された背景の下で、農奴を支配するための貴族の国家であった。同様に、資本主義国家は、労働者階級を支配するための資本家階級の国家である。資本主義国家は、国債や租税などの手段で、資本家階級に代わって、労働者階級から労働力の価値の一部まで、横取りする「ネコババ国家」である。これが租税国家の違う言い方である。ただし、階級対立を制限するために、より支配力のある階級に味方をするのが国家であったから、革命などにより、勢力が拮抗して、一時的に労働者の政権が誕生したことも何回かあった(19世紀のフランスおよびドイツ)。
重要なのは、共同体社会の解体の上に、国家が生まれたという事実である。文明以前の「しがらみ」は今日でも慣習などとして残っており、より高い段階での再生もまた可能だということである。
2,野蛮から文明へ の展開
@野蛮
生産力で見た最初の時代は、モルガンによれば、「野蛮」という先史時代である。モルガンは野蛮をさらに、低・中・上の3段階に区分した。歴史年代の野蛮とは、既成の自然産物の取得を主とする時代である(注3)。モルガンによれば、野蛮時代の家族形態の特徴は、氏族の発生と発展であった。エンゲルスが『家族、私有財産および国家の起源』を書くにあたって持ち合わせていた資料によれば、氏族は野蛮の中位段階で発生して、高位段階でさらに発展して、未開の低位段階で全盛期に達する(注4)。氏族とは、血縁関係による集団であり、「氏族」、「胞属」、「部族」の3つのどれか1つ以上又は全部を含み、血縁関係のつながりのなかで、徐々に、広がっていったものとされる。部族が一番大きい血縁的共同体であり、部族は後に部族同盟を経て「部族団」を形成することがある。氏族、胞属は部族団への過渡形態だとされる(注5)。部族には大酋長がいたが、支配者ではなかったようである。最初の支配者は、後に、戦争遂行上必要な軍事司令官から生まれたものとしている。殺人により殺された親族の遺恨に対しては、血の復讐が認められており、その代わりの賠償金もまた、氏族制度から生じたものである(注6)。血縁関係で結ばれた社会は、生産物の外部との交換が部分的なものである段階の社会である。したがって、それは、大家族の自給自足的な原始共産的共同社会にならざるをえない。
婚姻形態は、血縁婚の紐帯を排除していく過程であった。世界各地で、異なった「分族間」での、集団婚から、対偶婚、ついで個別婚へと移行した。ちなみに、対偶婚というのは、多くの相手のなかで主要な夫又は妻をもっていることである(注7)。原始社会では、すべての人は1つの共同体を単位に暮らしていたという。700人が同じ軒の下で生活していたところもあったようである。夫婦の離合集散も容易であり、すべての生産と取得は共同でおこなわれた。比較的自由な性交のもとでは、父権を確実に知ることは不可能であり、出自はもっぱら女系によってたどるほかなく、原始社会では、女は母として、高度の尊敬と信望がはらわれていたことと思われる。原始史の研究によれば、男たちは多妻であり、女たちもまた多夫であった。最初は、どの人も父と母がたくさんいたのである。女にとって、姉妹の子は自分の子と同じように自分の子であった。その姪はその女を母と呼んだ。また、女にとって、兄弟の子は甥、姪であった。姪から見れば、母は、それだけで2人以上いることになる。一方、男にとって、兄弟の子は自分の子と同じように自分の子であるが、姉妹の子は甥、姪であった。母親どうしが姉妹である子たちは、互いに兄弟姉妹と呼んだ。父親どうしが兄弟である子たちも、互いに兄弟姉妹と呼んだ(注8)。
『家族、私有財産および国家の起源』を著述した後、エンゲルスは、上記のモルガンの説を若干修正した。家族が部族に発達したのではなく、反対に部族が、血縁関係にもとづく人類の社会形成の本源的自然発生的な形態だったのであり、部族の解体がはじまってからのちにはじめて多種多様な家族形態が発達するものとした(注9)。いずれにせよ、家族の始まりは、始めから、大勢で暮らしていたのであり、現在の一組のカップルを核にする家族の延長という考え方では、全く捉えられないということである。そこでは、自分の子ではない子も一様に共同体の子であり、扶助すべき対象であったのである。そこには、いまでいう「公共の福祉」が無意識のものとして、すでにあったのである。
『家族、私有財産および国家の起源』のなかに見られるエンゲルスの功績は、初期の本源的共同体には、その後の社会構成体に見られる階級対立はなかったとして、マルクスの階級対立の歴史観を補充したことである。氏族社会は、国家のない社会であった。王や裁判官や官吏などいなくても、それでも、うまくやっていたのである(エンゲルス)。
A未開
生産力で見た次の時代は、モルガンによれば、「未開」である。未開は、牧畜と農耕を習得し、人間の活動による自然産物の生産増大のための方法を習得する時代である(注10)。
それ以前はといえば、女が相続継承権利者であり、家財道具一式の所有者であったのに比べ、男の所有物といえば、狩猟道具ぐらいであったという。未開の始まりでは、女の家事労働に比べて、男の狩猟活動の地位は低かったのである。
しかし、エンゲルスによれば、その後に始まった牧畜がすべてを変えた。男は母権制社会の家のなかで第二位の地位であったのが、いまや牧畜により、家畜の所有者として第一位に格上げとなったという。共同体間での交換が共同体内部での分業をおし進ませるなかで、家畜が貨幣商品になり、家畜をゲットできる家族内での男の地位が上がったということである。
「生産過程のなかに分業が徐々に割り込んでくる。それは、生産と取得の共同性を堀りくずし、個々人による取得をおもな通則にし、それによって個々人のあいだの交換をつくりだす。・・・・。しだいに、商品生産が支配的な形態になる。(注11)」。
B文明
生産力で見た次の時代は、モルガンによれば、「文明」である。文明とは、天然産物の一層の加工、本来の工業と技能を習得する時代である(注12)。エンゲルスによる再定義によれば、「文明とは、分業と分業から発生する個々人のあいだの交換と、この両者を総括する商品生産とが完全な展開をとげて、それ以前の全社会を変革するような、社会の発展段階である。(注13」。
商品生産がそれほど進まない段階においても、分業がある程度進むと、一方で多量の労働者が必要になるが、これは古代では、当時始終あった戦争によって生じた戦争捕虜により賄われたという。文明の初期段階である古代では、労働者を補充する面から、奴隷制社会が必然であったという。ただし、古代でも、生活の基盤は原始共産的共同社会であり、そこでは、いくら捕虜といっても、同じ生産者である以上、奴隷を奴隷として理屈上、社会的に位置づけは困難である。この困難を回避するための装置が古代国家だったといわれる。
エンゲルスによれば、氏族社会の解体の上に成立した、国家の特徴は、第一に、それまでの氏族制度のように、血縁ではなく、地域によって、国民を区別したことである。第二に、住民と一致しない公的権力を確立したことである。その理由は、住民が諸階級に分裂しまったので、自主的に行動する武装組織が不可能になっていたからである。その公的権力は、階級対立が未発達な社会では微々たるものであるが、国家内部の階級対立が激しくなり、隣国が大きくなり、その人口がふえるにつれて、公的権力は強化される。(注14)
また、私有財産と家族制度に目を転じれば、分業が進んで、私的所有が共同所有に優るようになると、相続についての関心が強まり、その結果、父権制と一夫一婦愛・個別婚が支配的になるものとしている。遺言制度と売春が生まれる。遺言は本人が死んでからも財産を自己の家族に留め置くことであり、およそ、それ以前の未開の共産主義的共同社会では、考えられなかったことであった。エンゲルスによれば、売春は、私的所有が進んだ結果生まれたものであり、それから生まれた一夫一婦婚には、つきものだということである。
古代では、生産力が未開よりはるかに上がっており、私的所有もある程度進んでいた。財産を守るために、結婚相手は親が決めていたので、夫婦愛は、婚姻の原因ではなく、婚姻の結果、もたらされたものであった。奴隷のあいだ以外では、自由民の自由な恋愛は、その相手が外国人か解放女奴隷か、それとも姦通であったとされる。エンゲルスは、集団婚から個別婚への移行には女の力があずかり、対偶婚から一夫一婦婚への移行には男の力があずかったと比喩している。
このように、父権制と一夫一婦婚が支配的になると、結婚相手は、ますます、経済上の考慮すなわち財産などできまるようになった。エンゲルスによれば、中世の騎士階級の結婚生活が鉛のように冷たかったのは、こうした事情からであった。その後、市民階級の勃興によって、婚姻についても契約の締結自由が承認され、階級内ではある程度選択の自由が認められるようになったが、契約の権利のもとになる生産手段と生産物は、もっぱら支配階級の独占物であったから、支配階級内では、夫婦関係は、中世以来の鉛の関係が続いており、自由な婚姻が認められるのは例外であった。一方、被支配階級内では、婚姻は、古代の奴隷のあいだと同じく、比較的自由であったとしている。
3,国家と租税、その歴史的性格
@国家とは何か?
そこで、国家の限界もまた明らかであろう。国家の歴史的性格、限界並びに将来の展望について、あらためて、エンゲルスの総括を紹介しよう。
「だから、国家は永遠の昔からあるものではない。国家なしにすませていた社会、国家や国家権力のことなど夢にも考えなかった社会が、かつてはあった。諸階級への社会の分裂を必然的にともなった経済的発展の一定の段階で、この分裂によって国家が一つの必要物になった。いまわれわれは、これらの階級の存在が必要でなくなるばかりか、かえってはっきり生産の障害となるような、そういう発展段階に急歩調で近づいている。(注15)」。
大きい部族の、より小さい家族への分裂の結果、国家が出現したのは日本でも同じだと思われる。日本地域でも、例外ではなく、婚姻形態は、集団婚から対偶婚、個別婚へと推移している。このなかで、母権制が父権制へと変化した。よく知られているように、平安時代での貴族のあいだの妻問婚は、対偶婚の一種といってもよいであろう。
歴史家の網野善彦氏によれば、日本国は、西暦700年頃に成立したが、勢力範囲は大和を中心とする地域から九州北部に限られ、九州南部や、関東以東には及んでいなかったとしている。その後も国家が影響力を失っていた期間も長く、日本国や天皇制に目立って勢力が集中したのは、明治以後であるといってもよいであろう。日本国もまた西洋の家族制度や国家の歴史と同様、昔から日本国や、したがって日本人があったわけではないという網野氏の指摘を真摯に受け止めることが大切だと思われる。日本では古代を特徴づける文字も中国から移入された。階級対立をそれ自体として見れば、日本の場合、西欧諸国に比較してかなり弱いものであったということができるであろう。イザヤ・ベンダサンはその著書『日本人とユダヤ人』のなかで、日本では、戦国時代でさえ、世界では最も平和な時代であったと述べている。
その分、日本では、国家が、農民層分解を画策して、階級対立を無理矢理に拡大した特徴がある。「地租改正」を中心とする明治政府の一連の政策がこれにあたる。貨幣で租税を納付するために、日本の農民は、娘を売春宿に売り飛ばしたが、それでも足らないので土地を売り飛ばし、労働者と化したのである。日本の場合は、国家自らが、無理矢理、住民の生産物や生産手段を奪い、したがって、資本家階級が労働市場を拡大するのに手を貸したのである。
A租税とは何か?
公権力を維持するために、いまや「国家市民」の費用負担が必要である。これが、租税である。租税もまた氏族社会には存在しないものであった。ますます増大する戦費を中心とする費用のために、将来の租税を担保にして、借入れを行う。これが国債である。近代国家は、単に租税国家なのではなく、その前に、帝国主義的戦争国家、国債国家なのである。
国家権力を背景に、官吏は、公僕でありながら、社会の上に立っている。エンゲルスは、現在の公務員も、昔の大酋長以上の権力を持っているが、大酋長より尊敬されることはないと断定している(注16)。
国家は階級対立を抑制しておく必要から生じたものであるが、共産主義的平等の慣習を残している労働者に、そのようなことを宣伝するわけにはいかない。そこで、新しい擬制が必要であるが、それが、有名な「社会契約説」である。資本家階級も労働者と同様に1個人として、契約によって国家を形成して、その運営を委託する。このような法律上の文言であれば、労働者を納得させることができるからである。
そこで、古典派経済学の創始者であるアダム・スミスによれば、国家の臣民は、いまや国家によって、私有財産を保護され、且つ自由を保障されているのであるから、政府活動からの受益に応じて租税を支払うのは当然だという「利益説」(あるいは「代償説」)の考え方が発生した。産業資本の勃興期で、資本家と労働者との階級対立が少ない時代の国家観だといえる。スミスは、税源を、資本に対する利潤、労働に対する賃金、土地に対する地代として捉えた。賃金に対する課税や必需品に対する課税は、賃金を増加させることにより、結局、産業利潤に課税された場合と同様に、産業利潤を減らすことになる。スミスは、産業資本を保護する観点から、租税の分配としては、地代にたいする税、と奢侈品にたいする消費課税を妥当な近代的租税だとした。とくに、敷地地代をもって、いかなる種類の産業も阻害せず、特に課税目的物たるに適するものとした(注17)。
その後、利潤と賃金との対立が激しくなるや、利潤に対する課税が正当化されるようになる。古典派経済学の確立者であるリカードは、スミスの現象論的三位一体の経済調和論を、租税転嫁論として発展させた。スミスと同様に、転嫁をしない租税を妥当なものとして、地代に対する税だとした。しかし、同じ割合で全ての産業の利潤に課税される税もまた、相対価格を変更しないものとして、利潤税の可能性を開いた。古典派経済学では、産業資本の利益を代弁したが、それなりに純経済学上の議論として、それなりの説得力があった。
しかし、遅れて資本主義化したドイツでは、その「後発性」によって、日本などやはり遅れて資本主義化したと同様な特徴を示すことになった。自然調和的な国家観のほかに、15〜17世紀の中世都市国家の国家経営術として発展した「官房学(kameralisum)」など、国家経営の必要性観点の影響を受けたことである。官房学は、「国家目的を公共福祉の促進とスリ替えるイデオロギー的な技術論(注18)」だといえる。代表的論者はA.ワグナーである。後発性というのは、共同体的所有が残存したままで、近代工業化したということである。それゆえ、国家からの資本主義化という特有を持つ。いまや、国家は、国家経済又は公共経済と、自由な共同経済や家計の私的経済との混成物となった。国家が階級対立を抑制するために、大幅に出番が多くなればなるほど、サービスと租税をリンクさせるのが困難となる。ワグナーは、資本主義の矛盾を除去するという考え方を踏まえた国家社会主義の観点から、租税負担配分のあり方として、勤労所得と不労所得の区別や、高額所得者に対する累進課税を主張した。
20世紀に入って、ますます資本主義が発展して、資本主義が最高の発展段階に達すると、体制維持論が格段と強まってくる。新古典派の経済理論が頼りとなる。新古典派経済理論の特徴は、すべての財が私的に分散所有されていて、したがって、消費者主権が支配する、自由な競争市場において、経済効率的な資源配分が実現されるということである。新古典派理論からすれば、そのような競争市場を確立することが国家の分担する役割になる。マスグレーブ(R.A.Musgrave)やサミュエルソン(P.Samuelson)などのアメリカの経済学者によれば、国家は、経済の安定成長、資源の望ましい配分、それに望ましい所得の再分配を行うべきものとなる。租税負担配分についても、利益説が復権して、資本家や独占的大企業が税制面で特別に有利に扱われることになった。
現代資本主義は、私的所有が最高度に発展して、少数の大資本に独占されている社会であるから、利益説は、大資本家を格別に有利に扱うことになるのは当然である。国家の出番が巨大化した段階にもかかわらず、「民主的な政治過程」を想定せざるを得なくなったということである。
現在では、新自由主義といって、ますます資本弁護論的な税制になっている。しかし、租税の根拠としては、国家が同等な個人による信託で成り立っている建前は現在でも変わっていない。
B近代税制
近代税制は、資本主義の初期に生まれた税制あるいは資本主義の発生に力を貸した税制である。近代税制では、賃金と利潤はその性格が全く違うのにもかかわらず、近代代議制度・普通選挙制度の上では、各人を同等なものとして、取り扱うように無理強いされてきた。そこでは、剰余価値・利潤の分配にほかならない、企業者利得・地代・利子・配当などに重課せよという動機を米一粒ほども持っていなかった。一方、労働者階級は、資本家階級に、賃金による搾取のほかに、主に、間接税や地租などの租税制度によって、労働力の再生産に必要な価値部分まで搾り取られ、生産手段を手放さざるをえないようになった。日本のように、「地租改正」が資本主義を育んだ面がある。
しかし、第一次大戦前に、広範囲な所得課税や、課税範囲の広い間接税は存在しなかった。賃金をはじめとして、全般的に、所得水準が低く、一方で、ごく一部の資本家が社会の富を独占していたからである。近代税制を特徴づけるものは、酒、たばこ、砂糖などの嗜好品に対する個別消費課税であった。
C現代税制
資本主義が高度化して、独占段階に入るや、格差の拡大ということが近代国家の礎を危うくするのであって、現代資本主義国家は労働者階級を懐柔するという意味で、かすかであるが、累進課税などの要素をとりいれざるをえなくなり、近代税制の殻を脱ぎ捨てることになった。これが、独占資本主義段階に適する現代税制である。法人所得税や個人所得税が現れるようになった。それでも最初は、課税されるのは僅かな人々であった。その後の帝国主義戦争が税制を大衆化させた。それでも、労働者が我慢できたのは、好景気時には、労働力需要の逼迫の結果、賃金の増加というおこぼれにあずかれる場合があったからである。これが一時的なものだということは、相当の年月が経たなければ分からないが、現代の労働者は、幼稚にも、「完全雇用」のみが最高の基準のように思い込まされているのである。
現代税制においては、賃金ともう一方の利潤にたいする課税を、税体系と税制のなかでどう調和させてゆくかということが問題となる。賃金と利潤は相対立するものであることのほかに、労働者がいなければ利潤そのものが発生しないという相互依存関係がある。現代税制では、このほか、格差の若干の緩和のために、利潤に対する課税のなかで、利潤が蓄積された場合の課税(資産課税)を考えなければならなくなった。
現代税制を特徴づけるものは、所得税と法人税、それに課税範囲の広い一般消費課税である。資本主義が高度に発展して、帝国主義戦争をつきものとする、資本主義の全般的危機の時代の税制である。労働者は好況によって、一時的におこぼれにあずかった時もあるが、資本家はそれ以上に儲けていた。階級対立の激化が、累進所得税や大企業への独立課税を発生させた。それでも、税収が足らなくて、付加価値税を発明して、賃金の一部を横取りしたのである。
D対立する資本主義観
現在の資本主義が封建制度に比較して、格段に自由で、生活水準が上がっているものと考えれば、現在の体制を比較的良いものとして、現在の制度の民主的改良のみを捉える愚に陥ってしまう。資本主義への転化過程だけに注目して、ブルジョア市民革命を封建制度からの解放として捉えることになるからである。一方、国家に目を転じれば、私有財産が増えた分、国家は「無産国家」に転落した。封建国家は、自ら財産を所有する「家産国家」であった。資本主義国家は、単に、租税のみに頼る租税国家に縮小したのである。シュンペーター租税国家論は、その典型である。シュンペーターによれば、資本主義は階級対立が発展するのにともなって矛盾が増大する。資本主義は、発展することによって、社会主義に移行する。このような単純な考え方ではないが、日本でも、資本主義を一つの構造体として捉え、資本主義の原理を政策論と峻別して捉える「乾いた」理論がある。これが「宇野学派」の経済学であり、意識的に受けているか否かにかかわらず、日本の経済学(マルクス経済学など)に大きな影響を与えている。宇野学派の影響は、我が国では、神野直彦氏を含めて、多くの財政学者に見られる。
実際は、資本主義は移行期において、すでに不公正で、不平等なものであったのである。そこで、その不平等は、資本家と労働者との新たな対立に基づいており、その対立を抑制するのが、国家の役割であったのである。資本主義の最初から、労働者の生活は良くなることはなかったのであり、良くなったのは資本家の生活であった。資本主義の発展の結果、生産手段は生産者・労働者から取り上げられ、労働者の生活はますます零落したのである。
こうした場合、搾取国家の基本的あり方の転換が求められるのであって、大企業の民主的規制によって、あくまで暴力によらなくても、社会革命ができる可能性が残されている。西欧先進諸国では、福祉国家の成熟によって、特にそうなのであって、日本でもそうである。政策の大転換でできることが多くある。このような状況では、対立軸として、あるべき租税のかたちを求めることが重要である。次に、それを目指した税制改革のあり方を求めることである。現実に、悪い方向に向かっている政策状況があるといって、単に是正に協力すべきではない。あくまで、公正な社会とあるべき税制を睨んだ税制改革でなければならない。租税理論とともの租税法の大転換が求められる所以である。
しかし一方で、資本主義は、慣習など民衆の生活において、原始共産社会の面影を、かすかに、引きずっている。資本主義は、単なる封建社会の否定ではなく、続きとしての側面もある。そういう意味で、資本主義は、封建社会からの移行の結果なのである。資本主義的生産様式のなかにも、そのような残滓は残っているのであって、来るべき社会は、それらをより高い次元で再生することにある。
4,今後の税制改革のあり方−公正な課税を求めて−
国家権力は、階級対立のせめぎ合いのなかで存在しているものであるから、状況によっては、被抑圧階級の力が強まる可能性はある。そこで、民主主義国家の可能性が開かれる。ただし、この可能性は、ただ、待っておれば実現されるような種類のものではなくて、民主主義的闘争によって、闘いとられるものである。近代市民法の契約自由の原則自体が妥協の産物なので、現代の諸法はブルジョアにとって都合の悪くなることも多いからである。したがって、労働者が民主的制度の改革などを勝ち取っていく場合でも、せっかく闘い取った制度の枠内で闘争することは当然である。財政・税制面で言えば、これは国民の多くの選択の問題から出発することだといえる。もちろん財政政策や金融政策などで、社会の根本体制や制度を変えることなどできない。しかし、現在の選択範囲の中では、よりましな選択があるはずではないかということである。租税は、資本主義の発展の段階により、近代税制から現代税制へと発展したが、矛盾は増大したのである。
階級間の対立が激化すると、妥協的なかたちで、税制自体が複雑になる。いまや、税制改革においても、労働所得だから軽課税、不労所得だから高税率という差別的課税というわけにはいかないのは当然である。複雑な税制がかえって支配階級を利することを知らなければならない。あくまで、入ってきた量または持っている量に応じる簡潔・統一的な基準で、多く持っている人にはより多く、貧しいひとにはより少ない税負担を求めるということを出発点にすることが、苦労して獲得した普通選挙権の延長線上にある唯一の選択だと考えられる。そして、日本を含め、この単純なブルジョア的公平の基準さえ、守られていないということを逆手に取らないで、財政学のなんの進歩があるであろうか。間接税や目的税については、勤労者・国民の観点からいえば、将来の公平な社会を展望した場合、選択することはできない。間接税の廃止はかつてマルクスが主張した意見でもあるが、これは大衆への所得課税や消費課税が強化されている現在の日本においては、ますます重要な主張となるのである。同様に、間接税が邪道であれば、間接税である目的税もまた、国民の監視ができないということにより邪道である。これに対して、直接税は、納税者が自発的に直接税務当局に給付することで、納税者の監視が効くから、間接税よりも望ましいことになる。
個々の税制のなかでは、このような基本的な選択に続いて、個々の税制内部の諸矛盾を突いた選択肢がある。税内部の矛盾や理不尽な事は沢山ある。大企業の規制ということが最重要課題であるにもかかわらず、法人税の負担は軽減される一方である。法人擬制説自体が資本の側の税負担の軽減のために創作されたものであるにもかかわらず、それに基づいた議論が多い。現行の制度のなかでも、実行可能な変革として、とりあげなければならないことは山ほどあるのである。
注
(1)エンゲルス著村田陽一訳「家族、私有財産および国家の起源 第四版序文、1891年」(『マルクス=エンゲルス全集』第21巻、大月書店、1971年、478頁)。以下全集版は、この初版による
(2)戸原四郎「解説」(エンゲルス著、戸原四郎訳『家族・私有財産・国家の起源』、岩波書店、1965年、282頁)。
(3)エンゲルス著村田陽一訳「家族、私有財産および国家の起源 第四版序文、1891年」(『マルクス=エンゲルス全集』第21巻、大月書店、1971年、34頁参照)。
(4)エンゲルス著村田陽一訳「家族、私有財産および国家の起源 初版、1884年」(『マルクス=エンゲルス全集』第21巻、大月書店、1971年、158頁参照)。
(5)エンゲルス著村田陽一訳、同上書、178頁参照。
(6)エンゲルス著村田陽一訳、同上書、141頁。
(7)エンゲルス著村田陽一訳、同上書、51頁参照。
(8)エンゲルス著村田陽一訳、同上書、34頁参照。
(9)戸原四郎前掲論文、280頁参照。原文は向坂逸郎訳『資本論』岩波文庫版、第3分冊より。
(10)エンゲルス著村田陽一訳、「家族、私有財産および国家の起源 第四版序文、1891年」(『マルクス=エンゲルス全集』第21巻、大月書店、1971年、34頁参照)。
(11)エンゲルス著村田陽一訳「家族、私有財産および国家の起源 初版、1884年」(『マルクス=エンゲルス全集』第21巻、大月書店、1971年、173頁)。
(12) エンゲルス著村田陽一訳、「家族、私有財産および国家の起源 第四版序文、1891年」(『マルクス=エンゲルス全集』第21巻、大月書店、1971年、34頁参照)。
(13) エンゲルス著村田陽一訳「家族、私有財産および国家の起源 初版、1884年」(『マルクス=エンゲルス全集』第21巻、大月書店、1971年、172頁)。
(14) エンゲルス著村田陽一訳、同上書、169-170頁参照。
(15)エンゲルス著村田陽一訳、同上書、172頁。
(16)エンゲルス著村田陽一訳、同上書、170頁参照。
(17)リカアドオ著小泉信三訳『経済学及び課税の原理』岩波書店、1952年、210頁参照)。
(18)遠藤三郎「租税本質論と現代税制」(愛知大『法経論集 経済・経営編』第86号、1988年、5頁参照)。
参考文献
網野善彦『「日本」とは何か』講談社、2000年。
カエサル著、近山金治訳『ガリア戦記』岩波書店、1964年。
ヴェ・エム・チヒクヴァーゼ編、中山研一訳『カール・マルクス 国家と法』成文堂、1971年。
KARL MARX ”DAS KAPITAL” ERSTER BAND,BUCHT,DIETS VERLAG BERLIN,1953, pp.90-99参照。邦訳長谷部文雄訳『資本論』第1巻、青木文庫、第1分冊、「第2章 交換過程」参照。
イザヤ・ベンダサン『日本人とユダヤ人』角川文庫、1971年。
2006年11月4日(土)