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昭和57年 家元川崎瀧雄(名古屋)の名取り になり、川崎瀧春枝(写真左)の芸名になる。 川崎ファミリーの川崎千恵子先生(写真右)の 代稽古を10年ほどつとめ芸を学ぶ。 平成7年に会社を辞め、お弟子さんを 「大きい舞台に出してあげたい」という 思いで指導している。 |
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追われず悠々一生懸命 伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は 城で持つ・・・」でご存じ伊勢音頭。うたうは中京が生 んだ民謡”端唄”の名門「川崎会」の師範川崎瀧春枝 さん。実はこの人、昼と夜では別の顔。昼はマキタ電 機製作所第1工作部組立係、鵜野ハルエさん。勤続 30年の大ベテランだ。若者に交じりグラインダーを組 み立てるオバサン。だが、ひとたび三味線を手にすれ ばそこはお師匠さんに早変わり。この人と民謡三味線 の出会いは30年も前。秋田から出てきたばかりの少女 にとって工場勤めはつらく、寂しく、悲しいことばかり。 そんな時、同社中興の祖、故後藤十次郎社長に直接 励まされ「努力すればきっと報われるはず。好きな民謡 と一緒なら・・・」と三味線を手にした。 それから10年、本格的に学ぼうと川崎会の門をたたい た。家元川崎瀧雄の前で故郷の”秋田もの”をうたい、 道場破りと間違えられたとか・・・。2年後、家元から「瀧」 の一字をもらい、名取り「川崎瀧春枝」に。そして師範。 音楽の都ウイーンやベオグラードでも公演した。 今では川崎瀧春枝一門を構える。 4年後には定年。じょんがらに挑戦しようと2年分のボ ーナスで津軽三味線を手に入れた。仕事も芸も決して 追われることなく悠々、一生懸命。居間に飾った民謡歌 手佐藤和雄の「芸は夢で遊ぶ」を実践する。 |