宮城道雄  浜木綿忌   

   宮城道雄
宮城道雄(1894〜1956)の業績は『水の変態』
『春の海』等をはじめとする和洋音楽の融合
による多くの作品の作曲・編曲さらに邦楽器
の演奏技巧の飛躍的拡大、邦楽器の改良など
たいへん多角的です。
「浜木綿忌」は宮城道雄が亡くなった愛知県
刈谷市の事故現場近くの供養塔にて毎年命日
(6月25日)頃に営まれます。一般の方も
参加出来ます。
事故当日(昭和31年6月25日)の宮城道雄の
様子を克明に記録した「悲しき記録」が掲載
してあります。

宮城道雄が私(邦楽らんど管理人)の住む岡崎市のすぐ近く、刈谷市で列車から転落して
亡くなったことは知っていましたが転落後、意識があり、病院で亡くなるまでに駅員や看護
婦達と多くの会話があった事は知りませんでした。事故当日、最初に病院へ駆けつけご遺
体のお世話からその他一切のお世話をされ、宮城道雄の供養塔が建立されるまでの経緯
を直接お世話をされた高瀬忠三様、悦子様ご夫妻よりお話を伺いました。         


愛知県刈谷市神田町
の供養塔です
 宮城道雄先生は14才の時の処女作「水の変態」
から数百の名曲を世に送られ、楽聖と謳われました。
 歌曲「浜木綿」は白浜の平草原で作られたご自分
の詩に、ご他界直前に作曲された極めて格調高い
名曲として知られ、不滅の光を放っております。  
 刈谷市供養塔前でご命日に営まれているご法要
に平成3年から最後の名曲に因み浜木綿忌」と名
づけ永く先生をお偲びすることになりました。当日は
全国の宮城会員を始め、先生をお慕いする人々が
大勢参詣されます。             高瀬忠三


高瀬忠三さんを訪問した時に宮城道雄に関する貴重な資料を見せていただきました。 
その中に宮城道雄の刈谷での遭難の真相を調査し、自らカメラで撮影し、関係者の証言
を元に編集された「悲しき記録」という一冊がありました。これは昭和31年発行の「宮城
会会報、宮城道雄追悼号」に掲載されました。その内容は遭難直後の重傷を負った宮
城道雄と駅員や看護婦との会話の内容等、当時のことが克明に記録されています。  
「悲しき記録」は執筆者高瀬忠三さんのお許しを得て、全文を掲載させていただきます。
クリックして下さい。→ 
「悲しき記録」 (プリンターで印刷すればA4用紙9枚程度) 

                     

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