ニューヨーク邦楽事情   石榑雅代
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その30 2005年1月24日

スイス、フランス、ロシア公演
明けましておめでとうございます。
生徒さんから「HP更新されてないですね、みんな読まなくなっちゃいますよ」と言わ
れビビッてます。

昨年の秋は何度かヨーロッパへ出掛けました。

ニョーヨークでいつも一緒に活動している太鼓と尺八のマルコ. リンハードさんと共
に、彼の出身地であるスイスでの公演。
彼はその昔太鼓グループ「鬼太鼓座」に15年くらい所属していた事もあって、日本語、
英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語が話せる器用な人。
ヨーロッパの人は、語学才能にすぐれていると一般的に言われていますが彼もその一
人。何でか知らないけど、象形文字なんかもよく知っていて、私が知らないと言えば
「雅代さん学校いきましたか?」って「シャラップ!」

その時、我々のショーを見に来ていたモスクワの方が公演を気に入り、2ヶ月後の12
月にモスクワ公演が行われることに事になった。(棚からぼた餅とはこの事)

2週間のスイス公演
メンバーはニューヨークから太鼓2名、琴1、日本舞踊1、カリフォルニアとデンバー
から2名の太鼓打ちが参加し合計6名。
ジュネーブから公演がスタートし、少しづつ北上しチューリッヒで終わり。
2週間で17公演。学校公演&一般公演有りで、とっても楽しかったです。
お客さん集めの為「ちんどんやさん」みたいな事もしたし....。


 写真左→チーズでカリフラワーの出来上がり            右→まさにチン問屋さんみたい?

既に日本の太鼓のグループが何度も公演を行っているので、結構琴や太鼓の事を知っ
ている人が多いことには驚きました。私は太鼓の中では、一番簡単な地太鼓と鐘の担
当。でも鐘って見た目は地味なんですけど、「四助」といって全員のリズムを刻む大
変な役割。
太鼓はフォームを覚えないと様にならないっていうんで「1兎追うものは2兎追えず」
になってもいけなから、残りは鐘しかチョイスがない。
そもそも太鼓を始めたきっかけは、マルコさんのグループで急に欠員が出た為、その
日その現場で頼まれたのがきっかけ。
生まれて一度も太鼓なんて叩いた事なかったこの私に「自分についてくればいいからっ
て」

あれから早4年、やはり簡単な太鼓も叩く運命となったが、どの曲もちゃんと覚えた。
いまひとつ技術が伴なってないだけ。在籍年数だけは誰よりも長い。
”あたまでっかち”状態、イエ〜〜イ!!

さて肝心の琴は?
太鼓の曲と曲の間に琴&尺八の合奏曲、もしくは現代曲を入れています。
あの太鼓の響きの途中で、お琴がどのようにお客さんに聞こえているのかとはじめは
とても心配でしたが、逆に静まりかえった会場に響く太鼓とはタイプの違う音は、聴
衆にはかえって新鮮に映るようです。会場の隅々まで響きわたる音で弾きたいです。

17公演のうちでも、静かな街(田舎という意味ではなく)での公演は、平均してお客
さんの反応も微妙に控えめだった様な気がする。もしかして私達受け入れられていな
い?と演奏中不安に陥ったりするのですが、一方ロビーではCDが飛ぶ様に売れていた
りします。単にお上品なのかな〜?

スイスと言えばなんと言っても乳製品が美味しい国。(私は常に食べることが中心)
一度本場のチーズを食べてみたかった。今まで見たことないような変わったチーズを
食べめっちゃ大満足。削るとカリフラワーの形になる。みなさんも食べたことありま
すか?どこのレストランででも、みんなの分までせっせと削ってメンバーに喜ばれた
のである。



フランスコンサート


     幻想的な会場に大満足の私達

数年前から活動している中国琴のグーチャン、韓国琴のカヤグム、そして日本の琴、
韓国の太鼓(チャンゴ)のグループ公演。
昨年3月の私達のパリ公演を見に来ていた、フランスの南に位置するグルノーブルと
いう街でのフェスティバルをオーガナイズしてる方が呼んでくれた。

このグループメンバーはアラスカ、ボストン、ベルリン、ニューヨーク在住。
近場で適当なメンバーが見つからず、練習は本番前の数日間だけ。で、いつもリハは
地獄。

おまけに今回は、サンクスギビングといってアメリカで一番大きい休日と出発日が重
なり空の便も大混乱。4人中2人の荷物(楽器も)が行方不明、1人は現地に到着せず。
もうどうにでもなれ状態。
私達も国際線なのに交通渋滞で空港に搭乗20分前に到着、ドア閉まる寸前に飛び乗っ
た私と主人だけがなぜか無事到着。誰もいなかったので練習もできず、しめしめと買
い物に出掛けたのでした。

山の上に建つ美術館内でのコンサート。音響もとても良く2回公演でお陰様で満席。
いつも会う度に中国のグーチャンをちょっと弾かせて貰うのですが、糸はメタル、糸
と糸の感覚が狭くたぶん琴より弾きやすい。さわっただけでもの凄い勢いで響くので、
いつもの調子で弾くとうるさくて大変。
琴のテクニックにもありますが、左手4本(小指を除く)薬、中、ひと差し、親指の
順で同じ音を何度も繰り返しますよね。彼らはマシーンの様に均等にとても綺麗に弾
くのです。糸の張りが弱いこともあり琴よりも多少楽なのかもしれません。

生徒さんの中に中国系アメリカ人が数人おり、グーチャンを弾いていた子がいるの
ですが、決まって彼らのその技には目を見張るものがあります。トレモロも多少弾き
方は違うみたいですが、琴のトレモロもとても綺麗に弾いています。
うちの生徒に”先にグーチャンを弾けば良かった”と笑えない冗談を言われる始末!

しかしフランスって良いところですね。人当たりは良いし、食べ物は美味しいし次住
むなら絶対フランスよね。



ロシア モスクワ公演


     太鼓座のみんなとレッドスクエアー観光

自分が一生のうちに行くなんて考えた事もなかったロシア。ロシア語全く分からない。
行きの飛行機の中で”スパシーバ”(有り難う)だけ繰り返し練習。
何度か使ってみたが、たぶん通じてなかったかも?

空港に到着して入国を待つ間、旧ソビエトの名残、軍事色の強さを感じずにはいられ
ない。ちゃんとビザはあるけど、入国出来ないと言われやしないかとみんな緊張の趣。
審査官に笑顔でハロ〜、無視。まあ無事通過。

ロシアってどのくらい寒いのだろうと心配しましたが、思ったより寒くなく到着した
ら先週降ったという雪が山盛り残っていた。こりゃまたラッキィー!
その晩聞いたのですが、冬に数回-40度くらいになる日があるという。そんな日は仕
事にも行かず家でゆっくりするんですと笑顔で話してくれました。-40度って??バ
ナナで釘が打てますのコマーシャルそのままではないか!!笑って話せるトピックじゃ
ないだろうに。

会場はボリショイサーカスの円形舞台、客席数2000席。こんなに人来るの?と思っ
たが、初日はほぼ満席で2日目も70%の客入り。天井の高さが50メートルもあったの
で、勿論太鼓にも琴にもマイクを入れたのですが、反響音がおおすぎた事とマイク加
減がいまひとつだったこともあって、残響音に苦しめられ、今までに経験したことの
ない困難な演奏となってしまいました。係りの方に言葉の問題で上手く伝わらなかっ
た様でした。ちょっと残念だった。

約10年程前からモスクワ音楽学院で琴の指導に当たっている沢井箏曲院の方がいらっ
しゃいます。モスクワ音楽学院といえばエリート中のエリート音楽家が集まる学校。
その指導者の方とお電話でお話ししたのですが、鳥のようにや八重衣を弾く子もいる
らしい。凄いですよね!!

冬は一日中日が照らないし朝から空はグレー色で結構寒い。地下鉄は昭和初期に使わ
れていたような機種ばかり。でもめっちゃ早く走る。モスクワ市内の中級クラスのホ
テルに泊まったが、エレバーターはかなり古ぼけたつり上げ式。何を見てもローテッ
クの街にしか見えない。あと個人的な印象ですが、人々があまり笑わないかも。寒い
ので必要上に身体の筋肉を使いたくないのではないかという事で、みんなの意見がま
とまった。
全体的に若い女性は可愛らしい感じの子が多く、日本人メンバーで彼女なしのまさ君
は滞在中とてもハッピーだったようだ。毎日目が疲れるって言っていた。(女の子を
目で追いかけるに大忙し)


    左→ボッカ飲んで全く記憶がない?!  右→ボリショイサーカスの円形舞台

凄かったのは、みんなが揃って毛皮のロングコートを着ていること。安いと評判のフ
リーマーケットに行ったのですが、オシャレな毛皮や皮のコートが地面にも山積み。
たぶん日本のデパートの10分の1くらいの値段だろうと思う。当然ですが現金でしか
買えず、欲しい物があったけど泣く泣くあきらめる。
でもボリショイオペラも見たし、レッドスクエアーやクレムリン宮殿にも行けたし、
生まれて始めてボッカ飲んで、意識がなくなるくらいよっぱらったし。余は満足じゃ

また2005年5月と11月にロシア演奏あるらしい。しぃ〜〜ん....。


みんなで大笑いしたこと
欧州の人って平均して身の高い人が多いですよね。マルコさんも188センチくらいあ
るし。男性に限らず女性も大きい方が多くそんな人達に囲まれていると、私の様
な152センチのおちびちゃんは”小動物、はたまた微生物”扱い???大きいのが良
い訳じゃないけど...
写真の彼198センチだそうです。こんな人がゴロゴロいる。


   大きなお兄ちゃん、隣の自分が微生物に見えたりする...。

今年のニューヨークは寒い日と暖かい日の差が激しいみたいです。日によって手袋な
くても大丈夫だったり。けれど寒いといきなり-13度とか。うちの近所のお肉屋さん
は、店全体が既に冷蔵庫になっていてそこでお肉を売っているのですが、外が-13度
の日って、冷蔵庫の中の方が暖かかったりするんです(苦笑)
ああ〜〜春の来るのが待ち遠しい

3月にはブラジルでのコンサート、4月には沢井一恵先生をお迎えして、生徒35名と一
緒にニューヨーク、ワシントンDC近辺で4か所でのコンサートを予定しています。
ただいま猛練習中。


その31 2005年3月9日

あ〜恐ろしや...
92年から教えているウエスリアン大学の音楽部から、アジア楽器だけのホームページ
を新たに作るので、今までの活動写真を送って欲しいと連絡があり、久しぶりにアル
バムをめくっていたら出てくる出てくる懐かしい写真。
92年9月、アメリカに来た当時から撮り溜めた写真が一杯。その頃まだデジカメなん
てなかったので写真もある筈。デジカメって便利でいいけど、あまり振り返って見る
機会がないからちょっと淋しいかもしれないですよね。


渡米直後髪を短くしていた私は、若さを象徴するかのようなぽっちゃり顔で(良く理
解すればの話しですけどぉ〜)元気いっぱいだった...と、写真からもわかる。
いまいま日本から着きましたっていう顔の表情してる。


ウエスリアン大学は、ニューヨークから車で2時間くらい離れた片田舎にありました。
牛や馬こそいないけど、とにかくなにもない所。
代々ここでの沢井琴曲院のインストラクターが、アメリカの母と慕っていた日本文学
の教授淑子サミュエル先生が、よくニューヨークに遊びに連れてきてくださいました
が、先生から良く言われていたのが「石榑さんね、いかにも日本から着きましたって
顔してて、そういう人ってどうしても犯罪に巻き込まれやすいから気をつけてね」と
いわれて、ちょっとびびり万太郎。
そのことを当時大学に在籍していた日本人の学生に話したら「ばばあよく聞いておけ、
そう言う時はなあ〜、自分も変な人になれば本当の変な奴に狙われずにすむんだ」な
るへそぉ〜
アブナイ人の所へ行ってしまったら、自分もアブナイ人になる...。
たしかに良い考えだ!でも、その手段はいちかばちからしい。命がけか??

アメリカに来てから初めて大きな日本食スーパーに連れて行っていただいた時は、久
しぶりに見る日本の食べ物に感動しすぎて、私たぶん挙動不審だったと思う。
一緒に行った人に、まあ落ち着きなさいと言われしまったから...。

来た頃は英語は殆ど分からず、週に25人もの生徒をどうやって教えていたのか、いま
から思えば不思議で仕方がない。ただ記憶にあるのは、毎日溢れ出るエネルギーを感
じていた事。
といえども、勝手が違うことばかりで精神的に参って何度も地獄を見ましたが、当時
いた日本人の学生達にどれだけに助けられた事か。18才〜22才の学生と26才の琴の先
生。
”くそばばあ”と呼ばれても笑って過ごせた、本当〜に若かった時代。
今ならぶっ殺すところだが!今や日本の一流企業でバイリンガル社員として活躍して
いる君たちよ、先生はまだアメリカで琴弾いてがんばっておるぞ。みんなには心から
感謝している?


左 アメリカに来て1ヶ月26才の時                  右 とても世話になった日本人学生達

その頃男性の様に女の子もネクタイをするのが流行っていて、レストランのウエイト
レスがよくそんな格好をしていました。
似合っても似合わなくても、自分たちもやってみるべと、演奏会は決まって白のシャ
ツにネクタイ。
いまその写真を冷静に見れば間違ってもとても似合っているようには見えないが、そ
の時は似合っていると信じていたと思う....。しぃ〜〜ん?!
金髪じゃないと可愛くないのかもしれない(笑)
同じ頃日本でもそんな格好で演奏している方々をよく見かけましたよね。


左  いつもコンナ格好してました
真ん中 ニューヨークの駅構内での演奏 
左  94年大学の学生を連れて沢井忠夫.一恵先生と一緒に日本で演奏


14年経った今、英語力がすご〜〜く伸びたかといえば残念ながらそうではなく、単に
年を取ってあつかましく、間違った英語で堂々と押し切れるようになっただけ。
もう少し言わせて貰えば、私の英語が分からない相手が悪い。
通じないときは相手をじ〜〜と見て、大きな声で何度も同じ事を繰り返えせば良いと、
気が優しい旦那にはそう言っている。”君は凄いね”彼の目が引いている。あったぼ
うよ!! 
男の人の方が弱虫かももしれないと最近つくづく思う。

生徒の1人で、ご主人の留学のため結婚してすぐにこちらに来た子がいました。25才
くらいだったかな。初めてうちに尋ねて来たときは、私の質問にも蚊の鳴くような声
でしか返事をしなかった人が、3年後にはかねて自分が専門としていた科目でまたア
メリカの大学に入り無事卒業、いまはアメリカ社会で立派に働いています。彼女を見
ていて本当に思います。
やっぱり女性は強く、広い意味で男性より柔軟性があるかもしれないと。

20代の後半で渡米しましたが、当時この有り余るエネルギーが下降線を辿るなんて想
像も考えもしなかった。少なくとも自分は絶対にないと信じていましたが、やっぱり
私も普通の人間だった。40目前にしてエネルギー下降気味。あ〜〜がんばらないかん。

来週から1週間のブラジル公演、4月には沢井一恵先生と生徒達との4公演が控えてい
る。
ブラジルでの演奏為17弦フライトケース(飛行機にチェックインするスポンジ入りの
ケース)を作ってもらった。その大きさを見て愕然...。
想像はしていたが、ほんとでかい。あ〜寝るところがなくなっちゃう〜〜。


凄くでかい!!


前略 旦那様へ
狭いマンハッタンのアパート、荷物の85%は私の琴関係品です。
ホントごめんなさいね。

さあ、胃薬飲んでまたがんばろう。


その32 2005年6月28日

とにかく楽しい〜〜!!

終わった....

あ〜〜〜〜長かった春が終わった...。
途中で何度もくじけそうになった。仏教徒だけど意味なく教会に何度も行った。意味
不明の涙が何度も流れた。とにかく現実から逃げたかったし何も考えたくなかった
(まあ、無責任と言われても仕方ないか?)。たぶん私がここで活動を始めてから一
番長く&辛く、終わってみれば楽しかった春だったかもしれへん。

2001年に引き続き、2003年に沢井一恵先生をお呼びしての演奏会を企画していたが、
助成金書類の不備で泣く泣く1年延期。が、翌年無事に国際交流基金の援助が得られ、
2005年春ニューヨーク、ワシントンDC、メリーランド、テネシーでの4公演が決まっ
たのが昨年の9月。ここの生徒の一人で、ワシントンDCスミソニアン美術館で仕事を
する彼女がオフィシャルな総括者、そして裏でこの組織を支配する私。二人三脚での
準備が始まった。
今回は、一恵先生がいつも一緒に演奏しているベーシストの斉藤徹さんもゲスト出演
していただけることになった。

まず4公演をいかに短期間で終えるかがはじめの課題だった。NYとDCも近いようで遠
い。
テネシーは勿論飛行機で行く距離。会場の都合もあるし、予算も先生を拘束出来る期
限も限られているので、とにかくbestと思う日程を選んだ。ここまで決めるのにすで
に1ヶ月以上。先が思いやられる。...すでに目がすわって笑顔が怖い。

公演日が決まったら、早速演奏曲目を先生と相談。NYとDCの生徒達も参加させて貰え
るようにお願いし、琴28名で沢井忠夫「ファンタジア」9名で同じく忠夫先生の三弦
曲「戯」に決定。
2004年10月 参加者を募って練習が始まった。ファンタジアは36ページの大曲。
楽譜をテープで張り合わせるだけで1時間もかかったという、ちょ〜〜アホな生徒
がいて、もうアングリ!1時間もかったという割に、出来上がった楽譜は見事にゆが
んでいる(?)

本番までには色々な事がおきる。張り切って練習していた人のご家族にシリアスな大
病者が出て、参加出来なくなってしまった人が数人いた。もち本人はかなり落ち込ん
でいるが、こればかりはどうもしてあげられない。自分の年齢のせいもあると思うけ
ど、あまりにもその手の話しが自分の周りで多い気がする。こうして元気に生きてい
られる事が奇跡だとさえ思う。

私は先生と一緒に残月(三)と百花譜(琴)を弾かせて頂くことに。久しぶりの先生
との合奏で私的にかなり緊張。特に三弦残月は....。生徒の手前もあるし、何がなん
でも形にせねばと焦ればあせるだけ時間がなくなる。で、なんで時間がないかと言え
ば、ほんとくだらないことで...。昼間は予算のやりくりやら、当日の弁当の手配か
らホテル&レンタカーの予約等いわゆる雑用、夜は合同練習、演奏会に出ない生徒さ
んのレッスンをその合間にしなくてはならない。1日が12時間くらいしかないみたい
な気がする。

3月には国際交流基金からの派遣でブラジル公演に行くことが決まっていたので、そ
の練習と準備も重なり、琴弾く=Email=雑用=めし喰う=寝るの繰り返し。誰でも
そうだと言われればそうなんだけど...。

ある朝、主人が「あんた寝言で”梅10個を、鮭おにぎりに変えてください!!”って
大声で言っていたよ」と。起きあがって丁寧に頭も下げていたらしい。「頭下げるな
んて、流石日本人だよね!」と言ったら、そんなことを言っているんじゃないと言わ
れた。うん、たしかに...。演奏会当日の弁当の手配で、頭が一杯だった頃だったと
思う。なにせ、弁当が必要な日が何日もあったから、頭の中は弁当一色だった。

そんな事は生徒さんに任せておけばよいとよく言われる。もちろんそんな事は100
も1000も承知しているが、それが日本とは勝手の違うところ。いろんな人種が混じる
このグループ。
たぶん日本人的な考えだったらこうなるだろうな〜という事でも、ここだと結果とし
てそうならないのです。考え方の違いから起きる見解の相違。前回の演奏会の時にそ
の事が分かってからは、だったら自分でやった方が早いと思い自分でやることに。


ちゃら〜〜ん
お決まりのパターン。自分の練習だけが間に合っていない状態で本番を迎えることに。
生徒達は余裕の体制。

はじめの公演はメリーランド州Towson大学、その翌日がワシントンDCスミソニアン美
術館。
4月23日 少し雨 土曜日 朝8時集合、15人乗りの大きなバン3台でNYを出発。メリー
ランドまでは4時間半くらい。ああでもない、こうでもないと必要もないのに携帯電
話でくっちゃべりながらなんとも楽しい道中。中にはいちいち電話してきて、「先生!
XXXXさんがトイレに行きたいから、休憩してもいいですか?」いいに決まっている。
いちいちそんなこと聞くなと言っても、おもしろがってまたかけてくる。「先生、い
まなにしてますか?」「運転しています....」幼稚園の遠足ってこんな感じじゃない?

4時間半もあっという間。
会場に着いてから、本番までは時間との戦いです。生徒達もそれぞれ自分の出来る事
をお手伝い。先生もいらっしゃる舞台、おまけに30面の楽器、正直なところお琴屋さ
んなしでプロフェッショナル的に舞台を進めるのはなかなか厳しい。
そこでご登場、ご主人様方。いつも決まってお手伝いしてくださる人が数人いて、も
う慣れたもの。殿方のみでのミーティングもバッチリである。彼らに足を向けて寝ら
れる訳がない。

初日の会場は客席800、地方ということもあり満席ではなかったが無事終了。
外国では近くで楽器を見る機会がないので、直接触れさせてあげることが大切という
先生からの提案で、公演前にロビーで琴のデモンストレーションを行いました。7人
で「鳥のように」演奏の後に質疑応答の場を設け大変好評でした。多くの人が直接楽
器に触って満足しておられたようです。

 演奏会前で200人越すお客さん

後片づけを終えてホールを出たのがすでに11時半過ぎ、10時半に予約してあった韓国
レストランへと急ぐ。着いてみると、すでに店の明かりが消えていて真っ暗!?
お店の玄関に張り紙がしてあって「ぜんぜん来ないから一端家に帰る」と。...まじっ
すか?
レストランのオーナーに電話をすると10分くらいでお店の人がやって来たが、店員全
員揃ってふてくされ顔。女性達はどうやら風呂にも入ったらしくすっぴんである。そ
れって結構勇気がいるのでは?と、こちらも日本語で言いたい放題。
こんなに大勢で食べに来ているんだから文句なんか言わせるものかと、みんなどんど
ん注文。さあ働けはたらけである。腹が減っている人間は意味なく強気である。腹も
ふくれてホテルへ。3台うち1台がなかなか来ない。噂では迷いつでにどこかに行って
きたらしい・・・!?

次の朝9時出発。迷ったのは自分の車だった。アメリカ人の生徒が運転している横で
私はナビをしていたが、どこかで間違えたらしく何度も「ごめんね...」と謝る私。
「Never mind.」と彼女の冷たい返事。後部座席の沢井先生には「怒られるから、も
う何も言わない方がいいわよ」と言われる始末。何度も生徒に「ごめんね...」あた
しって一応先生?とか思いながら、日本じゃ考えられな〜〜い....やっぱりここは間
違いなく外国だった。

公演2カ所目はスミソニアン美術館 2時デモンストレーション、4時コンサート。
このデモンストレーションには200人を越すお客さんが来て下さり、8人で栗林秀明
「あおく」を演奏。ここでも、本番に強い生徒が増えた事を確認。まあ、それはそれ
でええことや。

 先生もお手伝い         可愛い三味線暴走族達!

本番で生徒の一人の三味線の糸が切れたが、緊張と足のしびれで結局最後まで替え三
味線を取りにいけなかったと嘆く彼。本当に残念だっただろうと思う。もし足が痛く
なくても、替え三味線を冷静に取り上げ、そしらぬ顔でまた演奏に戻るには、度胸&
冷静&舞台経験が必要だとつくづく感じました。
250席しかない会場に、すわりきれない人達が通路にわんさか。お客さんの熱気を身
近に感じ、演奏者もやりがいを感じる公演でした。
公演が終わって一路ニューヨークへ。ニューヨークに着いたのは夜中1時半過ぎ。
明日は月曜日。出演者の90%が仕事を持っています。ホントみなさんご苦労様でした。

次の日の午後、お願いしていたお琴屋さんが到着。残念ながら予算の関係でツアー全
行程手伝って頂くことは不可能でした。
今回のお琴屋さんの仕事はニューヨーク公演の舞台だけではなく、糸締め40面が待っ
ています。よく糸締めはどうしているのですか?と聞かれますが、今のところ1年に1
回、長くても1年半に1回の割合で、日本から楽器屋さんをお呼びして糸締めをしても
らっています。
毎回生徒から希望者を募って約40面程度集め、5日間〜7日くらいでやっていただきま
す。
18番の糸で8本強に締めるので、10面終わったくらいから殆ど楽器屋さんは喋らなく
なり(しゃべれなく??)ご想像の通り腕はぱんぱんに腫れあがり、両腕テーピング
の嵐。
締め終わってない楽器の山を眺め、それはそれは悲しげな顔。
そんな時私は横から「大丈夫?がんばって全部終わってね!」と励ましの声援を送り
ますが、本人いわく、その言葉が一番きついらしいです。

楽器屋さんに糸締めをして貰っている時、先生、尺八のマルコさん、生徒のジョアナ、
私の4人で3カ所目の公演場所テネシーの大学へ出掛けました。こちらの大学でウエス
リアン大学時代の琴の教え子が教鞭を取っており、彼女が是非一恵先生の生の音を聞
かせたいとの強い希望で、2年間に渡り予算を守り続け招待してくれました。アジア
系の学生は殆ど在籍せず、日本を紹介する事から始めなくてはならない雰囲気さえ持
つ大学。
コンサート会場の大きい事...600席。
呼んでくれた彼女、テネシーに移ってからは一人でちびちび練習していたので、大舞
台での演奏は久しぶりと緊張しまくっている。
「ミッドナイトレイン」を一緒に弾いたのですが、この1曲にかける彼女の熱意が演
奏を通して観客にも伝わり、先生からも「とっても良い音楽だったわよ」とお褒めの
言葉を頂き二人して大喜び。
公演の後食事に出掛けたが、アメリカの田舎とは...。
開いているのはワッフルのお店だけ。夜の11時にワッフルを食べるのはちと苦しい。
「酒、酒もってこい」と騒いでみたが、酒屋が開いているわけもなかった。
仕方がないので寝た。

聞いてもらえる場所なら世界の果てまででも出掛けていくとはいいながら、琴、17弦、
三味線を持っての飛行機移動はなかなかきつい。特に17弦はフライトケースに入ると
スペシャルでかくなる。写真をご覧下さい。マルコさん以外、みんな揃っておちびちゃ
ん。
とにかくなにもするにも背が足りない。「あー届かないのお〜〜」と、あちこちから
マルコを呼ぶ声が...。

    見事に揃ったったおチビ        17弦のでかいことといったら

翌朝ニューヨークに戻り、空港から最後の公演の為のリハーサル会場に直行。
全員恐ろしく疲れている筈だけど、体中アドレナリンが大量に流れているせいか意外
と平気。
このツケは後で来ると思うと、それはそれで恐ろしい。

いよいよ最後のニューヨークコンサート。お天気になってくれとみんなで願った
が....。
朝から雨。結構降っている。アメリカでは4月と言えば1年中で良い季節の筈。が、我々
の公演の日だけ選ばれたようにいつも雨。
同じ日にマンハッタンの多くの劇場でも大きなイベントが行われている事も分かって
いたので、だんだん客足が気になる。

午後からリハ開始。先生との合奏も3回目になり、生徒達も随分慣れた感じ。表情に
余裕さえ感じられる。またどつぼったのは私ひとり。
ファンタジアの合奏の中で、たった1小節だけ1琴がソロになる所があるのですが、あ
る事情で急遽私が弾くことに。別に弾く手は難しくないのですが、練習してないから
手が固まって、リズムがコロコロころがって全く弾けない。
先生に「あなたが本番でも弾くの?」「...そうかも...。」
本番まで何がイヤだったって、そのソロ1小節の事で雅代先生は頭が一杯だった。
ちょっと情けない。

地元マンハッタンでの演奏なので、演奏には参加しない生徒さんや、裏方さんも達も
混じり、スタッフ混ぜて50人を越す人。楽屋もひときわ賑やか。着物を着て演奏を始
めた5年くらい前、殆どの人が着たきりだったのに、いまや誰もが目を見張る豪華さ。
演歌歌手みたいな人もいた(おっと、失礼)今後更にエスカレートの予感。

いよいよ最後の本番。
沢井先生が最近よく一緒に活動していらっしゃる、バイオリンの五嶋みどりさんもお
越し下さいました。

    公演後五嶋みどりさんと対談        ニューヨークリハーサル中

沢井先生の「六段」から始まり、「戯」、「ファンタジア」と続く。最後の公演になっ
てはじめて先生の「六段」を舞台の袖から聞かせて頂いた。一音一音から溢れる音の
深みにああ感動。
緊張の三味線の番がやって来た。リハーサルの時から2と3の糸がバンバン切れて、次
は誰のだ??っていうノリ。もうどうにもならない状態。最後には出番待ち舞台袖で
も切れる始末で、仕方がなくナイロン(3)を掛ける。ほんとタフな楽器だ。続いて
全員でのファンタジア。みんな衣装も演奏にも気合いが入っている。自分のソロはな
んとか間違えない程度のレベルで終わり、どっと疲れた。

演奏会って、始まるとあっという間ですよね。
後半は先生の17弦ソロ「華になる」になるに続き、五弦琴による「畝傍山」。この楽
器は文献に基づいて復元されたのだそうです。
最後の曲17弦とダブルベースのよる「かむなぎ」。私的にはかなり面白いと思ったの
ですが、いわゆる琴を聴きに来た人には、少々インパクトが強すぎたようです。

最後にお客様を舞台に上がっていただき、また琴に直接触っていただく機会を設け、
ほぼ全員の方が上がって来ました。
で、これですべてのプログラム終了。なんとも早いではありませんか!!
今日まで2年間準備してきた公演が終わったのです。

しかし翌日は毎年恒例、ブルックリン植物園での桜祭りへの参加が決まっており、ファ
ンタジアと戯を出すことになっていました。沢井先生にご参加いただけるようにお願
いしていました。
桜祭り初日はお天気が悪かったので、その分日曜日は凄い人出です。
生徒達はもう弾き慣れたと言う感じで(怖いもん知らずってやつですね)特に「戯」
は糸のトラブルもなく、みんなの音がのびのびしていました。

片づけを終えてみんなで夕食会場へ。車と止めてから少し遅れていくと、男の生徒
がThank youカードにコメントを入れてくれといいます。送り主は「三味線暴走族よ
り」となっています。わても暴走族の一員かい??

     ニューヨークにもこんな綺麗な桜が咲きます

一恵先生にちょっと面白い日本語で”お食事中大変申し訳ございませんが、こちらの
カードは暴走族から感謝のカードです。お受け取りになってよんだらいいです”とか
なんとか。
先生たぶん???だったと思うのですが、快く受け取ってくださって嬉しそうにして
いらっしゃいました。本当に可愛い子達です。

次の朝早く、空港まで先生と斉藤さんを空港までお見送りしてすべてが終了。
絶対に泣かないとがんばったが、言葉なくただ涙が溢れる。
恐ろしくX線検査の列が混んでいたので、ゆっくりとお話しする時間もなくお別れし
たのが逆によかったのかもしれません。


先生がお帰りなってから4日後に、シカゴでアメリカ在住沢井メンバーが集まっての
公演が待っていました。
シカゴ出身で現在日本在住のカーティス・パターソンさんが企画したコンサート。
サンフランシスコから日影さん、ニューヨーク地区から水谷さん、シカゴからジェフ
さん、オレゴンから太宰さん、そして私。

このツアーが始まってからあまり寝ていなかったので、ひたすらぐーぐー寝ること
丸2日。
3日目は恒例の学校公演をして、もう明日出発となった時に曲のパートさえ分からな
い状態。仮病で休もうかと思ったくらいで....。
先に集まっているメンバーに電話してパートの確認。もち大ひんしゅく。
気休めで一晩だけ練習?
20年ぶりに内弟子時代に戻ったみたいだねと、実に楽しい時間でした。
こちらのコンサートは500人の大入りで、当日までの企画者の苦労が手に取るように
分かる。公演が終わって、次の日に他の演奏もあったらしいのですが、私はニューヨー
クで演奏があったので、折角の機会ではあったけどゆっくり滞在することは出来ず、
次の朝一番で戻り、空港から直接演奏会場へ。
「鳥のように」の演奏でしたが、もう自分の頭の中が完全に鳥のようにだった。


ニューヨークで活動を始めて8年、多くの生徒に恵まれ、こうして一恵先生に来てい
ただいて演奏会が出来るまでになった。思い出したくもないが、ニューヨークに越し
てきて毎日朝起きる理由がなかった。こんな日々はとても想像出来なかった。やりた
いことが明確にわかっていても、外国人であるが為にできないこと、またそのような
機会に恵まれない色々な分野のアーティストが沢山いるニューヨークで、とにかく自
分は幸せ者だと、誰かに何かに感謝。日本の様に同業者同士の競争が殆どないかわり、
アジア音楽対他国の音楽と共存、小さいマーケティングの中での生き残りは想像以上
に厳しい。
この先琴が音楽的にどのようなポジションに位置していくかはよくわからないけれど、
想像するにいろんなチャンスが待っていると思う。

つい先日ロスのユニバーサルスタジオに行って来ました。
日本が舞台になっている映画に琴が使われることになり、なぜか私が選ばれて作曲家
のジョン・ウイリアムスさんにお目に掛かりました。
彼はET、ジェラシックパークなどに音楽をつけている映画音楽の巨匠と言われている
方で、おまけにチェロはヨーヨーマ氏だそうで、あまりに大きなお話しで実は腰が抜
けそうですが、たぶん2度とないチャンスですので8月の録音がんばります!!

春の大きなコンサートが終わったら「一人で暫く旅に出ます....」と宣言していたの
ですが、実はまだどこにも行ってない。
コンサートツアーの後、更に忙しくなっている。なんてこっちゃ!!
明後日から公演でモスクワに行きますが、旅は旅でもちょっと違う....。
一人手ぶらでヨーロッパにいる自分を夢見ていたんです。運動靴で琴担いで行く旅じゃ
ないちゅうの〜。

夏は生徒さんたちの帰国が多く、少し時間が取れる筈。
モスクワから一度戻って、1週間後になぜかまた公演でモスクワに行きますが(あち
らに住んだ方がいい?)その後、岐阜県人会主催のワイナリーツアーにも行く予定を
しています。娯楽のことで一瞬忘れそうでしたが、映画の録音の練習も待っている
し...。
まあ、なんだかんだで楽しい夏になりそうでございます。
みなさんも、夏ばてしないように気をつけて下さいね。

ブラジル公演の事も書きたかったのですが、とても時間がありませんでした、残念。
ここ数年もしかして?と思っていたが、私って雨女みたい。岐阜での演奏会、結婚式。
今回も4公演中3回は雨だったし。ああいやだ。



その33 2005年7月28日

ミンスク公演
「またロシアへいくんですかぁと??」と。
前回のモスクワ公演の評判が良かったらしく、また太鼓(太鼓座)と琴、舞踊のグルー
プで、ベラルーシの首都ミンスクに行ってきた。

たった6日間とはいえ旦那様をほったらかしにし、お稽古も休んで行かなければなら
ないので、始めは少々渋っていたのですが、主催者からミンスクは都会で遊ぶところ
も沢山ありますからとそそのかされ、遊べるなら!と期待して行ったが思いっきり騙
された。
でも後で分かったのは、騙された訳ではなくって、あそこは彼らにとって充分都会な
んだということが。ロシア語ジェンジェンわかりません〜〜ん、あちらも英語話しま
しぇ〜んなもんだから...これまた困った旅だった。全くお互いの意図が通じない。
ゼロです。みなさんも想像してみてください。これはきついですよ。

ミンスク在住&出身の人に半殺しの目に遭うかもしれないけど、あえて言います。
街全体が昭和初期の様な風景。
恐ろしく古いバスが走っていたり、建物の作りもかなりの時代もの。
デパートと呼ばれる建物に行ったが、これまた自分が子供の頃に見た記憶があるよう
な館内の作り。昭和初期を感じたのは、このデパートが一番だった。
バスなんて写真の通り。真っ黒な排気ガスを出して走っていました。

左 鳩の一休み?                  右 まだこんなバス走ってます...。

空港に至っては、人誰もいない。し〜〜〜んと静まりかえっている。世の中にはこん
な空港もあるんだろうかと。
それはまあどうでもよかったんですが、最悪だったのは私の荷物だけ着かなかったん
です。
琴とスーツケースの両方。幸い公演は翌日だったのでよかったんですけど。途中フラ
ンクフルトで乗り換えたのですが、航空会社の方で出発時に積み忘れ荷があること分
かっていたみたい。知っていてなぜ乗せぬ、頼むからちゃんと仕事してくれ〜!

寒い国の人はあまり笑わないと聞いてましたがまさにその通り。やっぱり笑わない。
レストランでもウエイトレス、ウエイター笑顔ひとつなし。
顔の表情が寒い感じ?(決して暗いのではないが)言いたい事わかりますか?顔の作
り自体が「寒顔」なのだ。たぶんね。

ホテルに着いて小休止してから、私の下着やパジャマ等を買いにメンバーの9人全員
で行って、2人の殿方が私の下着を一生懸命選んでいる。
ちょっとキモい、世にも不思議な光景。

今回は国営ホテルに泊まりましたが、電気代の節約なのかなんなのか、ロビーもレス
トランも殆ど電気がついてなくて薄暗い。
3度の食事といえばまずいわけではないが、とにかくめっちゃシンプル。
揚げ物の下には、通常レタスなのではないだろうかと思われるが、いつも白菜が敷い
てあってどうしても「えさ」にしか見えない。但しコーヒーは美味しかった。
公園に行けば鳩ちゃん達は飛ぶことを忘れて、みんな揃って一休み。
ニューヨークで鳩が一休みしてようもんなら、彼らは生死をさまよう自体に陥るので
はないかとさえ思い、つくづく平和を感じる。

左 白菜が...。                       右 ボルシチスープ これは美味いです

さて今回の演奏会場は競技場真ん中の特設ステージ。
競技場の席数12000席、その真ん中にかなり大きいステージが設けられたが、とにか
く周りが大きすぎて舞台が小さい。

休憩を挟んで45分2回show、演奏の最後頃には花火も上がると聞いて、まあ楽しい演
奏になればいいかって感じ。
どうせ客席からは、誰かがそこにいるくらいにしか見えないだろうし。
今回はオリジナルの太鼓の曲に琴の手をつけて尺八も入れた。島唄も。

左 ステージまで歩くの恥ずかしいです              右 小さい舞台

太鼓との曲は半分は即興で結構楽しい。勿論太鼓は楽譜は舞台では見ないので、
A-B-C-Aを3回-B2回半-D-ってな感じでメロディーを繰り返えすことで順序を覚えま
す。毎回いまどこにいるか分からなくなるのがスリル満点。
掛け声を通して自分がはぐれている事を伝えると、その返事が掛け声に混じって帰っ
てくる。ついでに「またか!」とか「しっかり数えろ」とか言ってきやがる。あほか。
一生懸命数えとんねん。残念ながら、日本語が分かる人がいるときには使えない手。
そんなことも、花火が上がり始めたら、もうどうでもええッテ事になります。
演奏内容よりも雰囲気重視。

太鼓座がいつのまにか新しいコスチュームを作っていた。休憩の間に、太鼓のみんな
が衣装を変えている。赤、黄色、緑、近くで見たらまぶしい。ぱっと見て、内心趣味
わる〜〜と思ったが、後から遠目で見たらなかなか可愛らしくオシャレだった。
衣装替えがあるなんで全く知らなかった私はびっくりぶったまげて、自分も衣装変を
したくなったが、浴衣1枚しか持っていってなかったから....。あー私も着替えたい
〜〜!

休憩の後、衣装を替えて楽屋裏からステージまで歩いて出ていく我らにスタンドから
黄色い声援。なんかえらいビッグスターになった気分。私なんか逆にこっぱずかしくっ
て....まともに顔を上げられない。他の人達は客席360度に向かって手を振ったりし
ているけど。
自分はビッグスターにはなれないんだと悟った。だってなんか恥ずかしいから。

今回のミンスク公演の2週間後に、またモスクワ公演の話が決まっていたのですが、
飛行機でミンスクに向かっている間に、主催者の女性が脳溢血で倒れて病院に担ぎ込
まれ、意識がないという事を空港に到着するなり聞かされれた。その彼女まだ33才だ
と聞いて一同絶句。我々が帰る日に、幸い意識は戻ったのですが、生きていたのがラッ
キーという状態らしい。やむを得ずモスクワ公演はキャンセル。
最後の晩ウオッカをがぶ飲みしながら、健康の有り難さを語り続けたのでした。



      左 日本刀ですよ     真ん中 メンバーと        右 とても可愛い花嫁さんちょっと珍しいデザインのドレスだと思いませんか?

日本で放送されている某テレビ番組に、この度録画で24秒ほど出していただいた。
メインで香取慎吾さんが司会をしている。聞けば結構な視聴率がある深夜番組らしい。
担当の方からは、日本の文化に関係する仕事をしている人を紹介する企画だと聞いて
いる。スタジオには三味線の吉田兄弟さんが。
実は過去にも何度かテレビ関係者の方から取材のお話しをいただだいたことがあった
が、いずれもボツ。
一度なんて大至急返事をと言うことだったので、スイス公演中に時差を計算して
スイスから何度も日本に連絡をしたこともあった。

                      .
          あー撮影緊張

今回はニューヨークの自宅でインタビューを受けたのだが、これまたまた緊張して
えらいこっちゃ。支離滅裂
放送を見た母はご立腹だったようで、電話口で
1..青い着物がゼンゼン似合ってない
2. 琴を弾いている下向き加減の顔が自分にそっくり
3. 質問の受け答えが早口すぎる
4. アップに耐え難いしわが多い顔
5. 腕が太いのにタンクトップなんか着て出て....ETC
思わず自分でやってみれば?と言いたかったが、お稽古の途中だったので平静を保つ
のがやっと。
一言いわせてください。間違いなくあなたの子です。

結果はどうあれ、楽しい貴重な経験をさせていただきました。

その34
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