ニューヨーク邦楽事情   石榑雅代
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ひさしぶりの日本

これ誰だ〜〜〜?↓

(名古屋の地下鉄にて)      .

邦楽ランドに、「NYだより」を載せていただくようになってから何年経つでしょうか?

思い起こせば、彼氏が邦楽ランドを見つけて、早速管理人の”まんふぁんさん”に連
絡を取り、日本でお琴を教えている私のお友達をお琴教室欄に載せてあげて下さい、
とニューヨークからmailした時に、マンファンさんから「ニューヨークの邦楽事情」
を書いてみませんか?と言っていただいたのが最初でした。

私が書いた記事は、mailで送ってもらったらこちらでup date していきますから!と。
たしか、あれは99年だっかたかな?
今だにそうだけど、私はコンピューターに強くないから、ただ書くだけでいいんだっ
たら...と、あれから4年!!
mail上だけのおつき合いだったマンファンさん。
長年の二人の夢が叶い?この夏はじめて日本でお目に掛かることに。
マンファンさん愛知県の人、私岐阜の人。
なので、あいだ取ってJR名古屋駅で待ち合わせ。
3時ジャスト、”あ〜〜〜〜はじめまして〜〜!”

その後、名古屋近辺にある、奥様がお琴を弾かれる”串カツ屋さん”に邦楽演奏家が
集まって、あつあつのめっちゃ美味しい串カツをいただきながら、日本の邦楽事情を
聞かせていただき、とても楽しい時間を過ごしました。
その時の集まっていただいた皆さん、はじめてお邪魔したのに快くお仲間に入れて下
さって有り難うございました(^_^)。


ところで、マンファンさんはとても静かな方。
現在は、愛する奥様とお嬢様を愛知県に残し仙台に単身赴任中。
早速「単身赴任天国」と言うHPを作っていらして、それがテレビ関係者や有名作家の
目に止まり、つい最近雑誌に載ったんですよ。(雑誌の名前は忘れてしまったけど)
その雑誌、しっかり見せてもらいましたよ。
みなさんも、一度そちらのHPにも行ってみて下さいね。
www.sinfonia.or.jp/~jose/
いまやマンファンさんは有名人。
お見逃しなく!

マンファンさんが数年前ににおっしゃっていた ”クリスマスに、ロックフェラーセ
ンターのクリスマスツリーの前でクリスマスソングの演奏がしてみたい”って。
その言葉、今でもちゃんと覚えていますよ。
チャンスがあればマンファンさんを御招待したいと思っているんですが、(嘘じゃな
いですよ!)NYの12月はちょびっとさみいべ..。
雪降って連日マイナス、(聞くところ、雪が降れば暖かい証拠、降らないときの方が
もっと寒いらしいですよ)風吹きさらしのあの場所で、琴や尺八が出来るかな?とま
じめに考える。
とはいえ、それでもあそこで演奏したい人は何万といる筈。
凄い競争率.....。
もしも頼まれたら、死んでもやる自分がここにいる。
一人で凍死はいやだ。
マンファンさんと数人の生徒巻き添えに!


今年の夏は珍しく日本で2つ演奏会をしました。
1つ目は、いつもニューヨークで一緒に演奏している尺八のマルコ・リンハードさん
と、都内江戸川区でのライブ。
アメリカから戻って次の日、この演奏で着る為の浴衣を探しに、あの暑さの中浅草へ。
マルコ氏が浴衣を買ってくれるというので、LUCKY!と喜んでついていったのだが、
見れば見るほど、どの浴衣もだんだん同じに見えてくる。
彼は、”もう、どれでも良い”と言いながら、隣で汗だらだらながしている。
彼を見ていたら余計に暑苦しい。
折角買うのだからと、すでにはじまっている、おばはん根性むき出しにして(すでに
数年前から確かに始まっている)ワゴン内を引っかき回し「これは?」と聞くと ”
ちょっと、おばんくさい”の一言。
もうThank you の世界である。


そして次の日、ところ変わって岐阜市内でLunch time concert。
岐阜での演奏は、疲れすぎて時差ボケを感じる時間もなく終わった。
またここで前に書いたことと同じ話を繰り返すが、周りの人の心配通り、演奏時の私
のトークは支離滅裂...。
妹は2度と人前でマイク持つな!と御立腹の様子。
妹の怒りを見て、そんなに駄目だったのかと更に落ち込む。
わかってはいたが....。
何でも勉強である!と言い返したら、”お姉ちゃんはいつもそういって、全く学習出
来てない。よっぽどカラスの方がもっと学習能力があるわ!”と激しく岐阜弁で怒っ
ていた。
妹よ、姉をカラスと比べるか?
でも、身内としてそんなに恥ずかしかったのかな...。
マジ下手である。それはもう仕方がない。

しかし、日本の夏がこんなに暑かったとは知らなかった。
今年は例年よりも少し暑め?だったと聞いたけど、それでもあの暑さには驚いた。
しばらく8月には帰国したことがなかったので、世の中に恐るべき ”湿気”と言う
ものがあることを忘れていた。

連日、朝起きるなりもう汗びっしょり...。
早速日常通りにシャワーをあびていたら、家族から非難ごうごう。
水がもったいないとか、朝から贅沢だとか、仕事に行かなくてもいい人は時間があっ
ていいとか...。
「...............。」まあ、すべて事実、返す言葉がない。
実家への楽しい筈の帰省が、以外と肩身が狭い。
何をするのも、”遠慮”の言葉がついてまわる。

やっぱり滞在は、2週間が一杯いっぱいなんだろうと思う。
でしょ?妹様よ!
しかし今年は違った。なんと3週間の帰省だったのである。
生まれて始めて、人間ドックを受けるために少し長く休みを取った。
胃カメラ、噂通り死にそうだった...。2度とやりたくないな。

検査結果は予想通り健康優良児として、お医者さんからお墨付きをいただいたのだが、
人生そう甘くはなかった。

帰国の3日前になって、ある事が気になり、念の為にまた違う病院に行った所、ある
病気がわかり、なんと!手術の必要があると言われてしまった。
自覚症状がなかったので余計にショックだった。
本当に言葉がなかった。
MRIの検査までして来たのです。
この先生は、「完全に人間ドックでの見落としだ」と。
35000円も払って受けた人間ドッグなのに。

ここアメリカでは、殆どの入院治療の場合、(たとえば開腹手術だとしても、帝王切
開であっても)入院は長くて3日、早ければその日の夜には家に帰される。
友人は、卵巣の開腹手術を朝方に受け、夕方には自力で帰宅。
ガンで手術をした友人も、なんと2日で退院してきた。
話を聞いた方が、気分的に身体のどこかが痛くなるような気がする。
ゆっくり病院に置いて貰えない大きな理由は、入院費が高い事である。
一日約$1000(約12万円)が平均らしい。

一晩でそれだけ払うのならと、開腹したお腹の痛みと$1000を天秤にかけて、結局み
んな、泣く泣くタクシーで自宅へ戻るのだろうと思う。

うちの、生徒さんが”大腸炎”で、大事を取って普通の病室に3日間入院させられた
時、後で来た請求書は$7000だったそうです。(約85万円)
それも、その額はすでに保険会社が払ったあとの本人の負担金額らしい。
これがアメリカの医療体制である。
$7000も払って何をしてもらったのだと聞けば、念のために安静のため寝ていろと言
われただけで、特別な事は一切してもらってないと言っていた。

それを思うと、日本はなんと素晴らしい国でしょう!
保険料さえ払っていれば、国がちゃんと一定の金額を保証してくれるし、一応手術と
名のつく治療を行えば、たいていの場合最低10日間くらいは病院で良くなるまではしっ
かり管理して貰える。
やはり自分がその立場になったら、日本で手術を受けたいと思う。

この10年、アメリカに来て元気だけが取り柄だったが、いよいよ”ガタ”が、出始め
たかな〜〜!!
演奏の仕事も生徒に割り振り、お稽古もしばらくお休みさせてもらうことになってし
まいましたが、良い充電期間だと思って、この際親元で日本でゆっくりしてこようと
思っています。
(というか、ゆっくりしていないといけない)

次回号は病室からおとどけしま〜〜す!ってか?
ちょっと、大袈裟ですね。
皆さま、お身体には呉々もお気をつけ下さいね。


その222002年12月19日
生還?

すっかり寒くなっていたニューヨークに、11月の終わりに戻ってきました。
え!どこかへ行っていたの??って話ですが、10月半ばに日本で手術を済ましてきま
した。
家族をはじめ、周りの多くの方に随分ご心配をおかけいたしましたが、現代医学と、
日頃からの体力のお陰で、結構順調に回復できたように思います。
手術後の方がすっきりしていて前より元気そうじゃない?と、みなさんにからかわれ
ています。

普段、2ヶ月間も帰省できる機会はないので、病気になった事は決して”はっぴぃー”
ではありませんでしたが、10年ぶりにゆっくりと自宅で家族と過ごし、とてもリラッ
クスでき、ちょっとだけ ”ニューヨークの毒”が抜けた様な感覚でいます。
今回の長期日本滞在は、神様か仏様かわからないけれど、「アメリカ滞在10年ご褒美」
だったかもしれないと、勝手に思っています。

日本から戻る時はいつも 「あ〜もう行きたくないな」でも、「行かなければ....」
という想いが激しく入り混じります。
ニューヨークとワシントンDCの生徒さんが、こんな私の帰りを待っていてくれると思
うとね....、飛行機に乗らない訳にはいきません。
今回は帰る前から、ちゃんと12月の始めに演奏の仕事を幾つか入れてあったので、ど
こもこうもありません。
絶対に戻らなければならない理由を作っておく事は、良いかもしれませんね。いつも
そうしています。

そして、戻りたくない理由に食事も。
ある人が以前、「日本に住んでいる日本人は、アメリカの食事の1000倍おいしい物を
毎日食べている」と興奮気味に声を張り上げていたのを思い出します。
私も同じく声を張り上げて、その方に同意しちゃうな。
すしに、さしみ、すき焼きに、鍋....。オーノォー!

今回2ヶ月間の帰国の割には、あまりひどい時差ボケのなかったことが、何よりの救
いでした!ひどいときは45時間位は平気で寝続けます。実際過去に何度もあったこと
で〜す。
(自由業の特権??)

今回荷物持ちとして、母と妹が観光がてら一緒に来てくれたので、6日間の観光が時
差ボケ防止にも良かったのかもしれません。
観光気分で付き添ってきた2人には少々訪米するタイミングが悪く、クリスマスには
まだ一足早く、日本と同様5時前にはすっかり真っ暗になってしまうし、結構寒い。
これと言ってマンハッタンに何もない時期だったんです。
ま〜今回は荷物持ちというお役目付きですから仕方がないですよね。

母と妹が帰り、いつまでも家族や日本をミスしている暇もなく、予定していた演奏会
の準備が始まりました。当然の事ですが、忙しくしているほうが色々と考えなくてい
いんですよね。

生還後はじめての演奏は、日本でも指折りの脚本家である蜷川氏による「マクベス」
の公演にあわせての邦楽コンサートです。
術後初めて琴を持って電車とbusに乗らなければいけないので、ちょっとばかりびびっ
ていましたが全然平気でした。まじで良かったわ〜〜!

演奏時間は、マクベス公演の休憩後から。
あちらが終わる前には、こちらのコンサートが終わっているという...???
全く理解に苦しむ設定ではありましたが、まあどうでもいいけど。
2日間演奏しましたが、演奏会場がレストラン兼劇場の休憩場となっているので、レ
ストランにいる方々が私達のお客さまです。

この公演は”シエークスピア”なので、勿論アメリカ人のお客さんも多いのですが、
蜷川氏の知名度、そして大竹しのぶさんと唐沢寿明さんが主演ということもあり、珍
しくここは日本か!と思うほどの日本人のお客さん。
鏡に映った自分の顔。あら!私もみんなと同じだわ?!ってね。(びっくりする自分
に、びっくりしたりもする)
たしかにニューヨークに住む日本人は多いのですが、アジア系の顔をまとめて見るの
はちょっと異様。

このような企画で考えさせられるのが演奏曲目。
全く客層の見当がつかないのです。日本人が多いだろうと予想して、あえて現代曲を
中心に準備していけば、あけてみれば日本人はゼロだったり。アメリカ人が「これは
千鳥の曲と言ってね」と、奥さんらしき人になにやら英語で説明している人やら。
そんな事を小耳したときにゃー ”おぬし素人ではなかろう”と、身構える私がいる。
しかし、どんな時でも自分のCDの宣伝を絶対に忘れない私。

みなさんも同じだと思いますが、コンサートを行う上で演奏曲目はとても大切ですよ
ね。特に外国の場合、日本の伝統楽器の演奏会となれば、来場者の多くが日本の特徴
を表現した舞台、また曲を頭に思い描き、時には美しい桜の花びらが天井から”ひら
ひら”と落ちてくる場面を想像&期待してくる人が実際多いのも、これまた現実です。
日本人個人の感覚としては、桜の花びらが天井から舞落ちてくるって???
昔の私なら、少々背中がむずかゆいような感覚を覚えてしまうところですが、こうし
て外国にいる限り、ある程度自国の文化表現を演奏会の中に含む事も、他の方の舞台
を拝見して、かなり重要な事だと感じ始めている今日このごろです。私が観る立場だっ
たら、やはり同じ事を期待するでしょうし。

子供向けの演奏もしていますが、親御さんから「こちらで育った日本人の子供にでも
わかる曲で、なにかお琴で演奏できませんか?」と聞かれることがあります。
基本的には、どんな曲でも琴での演奏って可能ですよね。それでは、ディズニーの曲
等はいかがですか?と申し上げれば ”ひえ〜〜お琴でそんな曲も弾けるんですか!”
って。残念ながら、一般世の中での琴の認識はそのレベルなんですよね。一体何をど
うしたら、一般の方にもっと琴が身近に感じていただけるのか?
最近始まった義務教育邦楽の授業によって、なにかしらこの先、確実な手応えがある
ことを祈らんばかりです。

今年も残すところ、あと半月となりましたね。
健康に感謝し(めっちゃ説得力あるでしょ?)どうか素晴らしい新しい年をお迎え下
さい。


その232003年3月11日
教える事、教えさせていただくこと

昨年の1月から、ワシントンDCのあるお琴のグループの方からの依頼で、月に1度お稽
古に行っています。現在その6名の素敵な女性グループの他に、数人の沢井琴曲院の
会員にも教えています。
このメンバーの中には、もしかして私が生まれる前からお琴を弾いていらっしゃった
のではないかしら?というベテランさんもいらっしゃいます。
殆どの方がすでに退職していらっしゃいますので、定期的にボランティア演奏に出か
けたり、個人練習&合奏練習に燃えていらっしゃるようです。
自分の祖母の年に当たるような方に、いくら先生とはいえ物事を教えると言うことは、
非常有り難い事で、同時に申し訳ないやら緊張するやらで。
そこは、お稽古と割り切るべきだと人は簡単に言ってくれますが。
誰にとっても、実は決してそんなに簡単ではない筈!ですよね?
おまけに揃って「先生」と呼んでくださるのですから....。
本心は床を這って歩きたいくらいの気分です。
自分で言うのも悲しいけど、いったい何の先生やらってことです。

DCメンバーの一部   

現在ニューヨークとワシントンDCで約35人程の生徒さんがいますが、この10年本格
的にアメリカで生徒さんを持つようになって、沢井先生が昔よくおしゃっていた事が、
ちょっぴりわかる気がしています。

内弟子卒業後、岐阜から大阪の沢井先生のレッスンに通っていたころ、実家に住み
アルバイトで生計をたてていましたので、毎日バイトにはいかなくちゃいけない、レッスン
代を稼がなくっちゃいけない、そして練習もしなくちゃいけない。
夜バイトから疲れて家に戻って夕飯食べて、さあ〜それから毎日練習ができるでしょうか?
本当ならできなきゃいけないんでしょうが、これがなかなかできなかった。いまごろ反省。

そんな日が続いて、いよいよ沢井先生のレッスン。
いかにも沢山練習してきたような顔して先生の前に座ったら先生が「アルバイト忙しいの?」
と一言聞かれました。「はい」と正直に答えると「ふ〜〜ん」の一言。

レッスン中、恐ろしいことにず〜〜〜と何のコメントもなく、ただ聞いていらっしゃるだけの先生。
これは、予想以上に上手く弾けているか、あきれて何のお言葉もいただけないかのどちらか。
はぁ〜前者の訳がない。

先生には、私がいま何を考えているか、どれくらい練習してきたかすべてお見通し。
1時間のお稽古が終わって、曲の何の注意を受けることもなくまた一言「岐阜へ帰る
電車はまだいくらでもあるでしょう」って。
忠夫先生、ズバリ賞!!
たしかに、弾きながら”ぐえ〜〜1本電車乗り過ごしたな”とか考えていました。
先生は人の脳の中まで見えるんだと、かなりびびっておりました。

内弟子時代、ある先輩から聞いたことがありました。
沢山の人を教えていると、経験からその人が部屋に入ってきたときのムードで、その
日はどれくらいやる気があるか、どれくらい練習して今日のお稽古に臨んだか、座っ
て構えただけで出てくる音の想像がつき、どれくらい楽しんでいるかがすぐにわかると。

そんなの絶対に嘘だと思っていたが、その言葉が最近になって何となくわかるように
なったみたいです。
まだ本格的に10年しか人に教えることはしていないのですが、それでも生徒が座った
ときに、感じる時があります。
まず、やる気がある日は目つきが違うみたいですね。
疲れているときは、何となくだらだらしているのに、張り切っている日は、前の人が
終わるのを爪をはめて前のめりになって待っている。
そして、のっている日は音の緊張感が違います。リズムが先へ先へどんどん進む感じ。
そんな生徒さんを頼もしく見ている私。かなり感動的。あまり人には言えないが、結
構深い感動に浸っている。
これを人に話せば、きっと一度医者に行って診てもらった方が良いといわれてしまう
だろうな。

逆を言えば、なんと忠夫先生に申し訳ないことをしてしまったか。
相当 ”むかついて”また ”あきれて”いらしたことでしょう。
亡くなったいま、心から反省しています。
人を教える事によって、自分が大きく変わる。
子供はまだ持ったことのない私ですが、これってどうやら子育てと一緒みたいですね。
一緒に育つという意味で。
どうすると早く弾けるかではなく良い音で弾けるか、生徒と同じ手の形にして考える。
答えが出たときは嬉しい。嬉しそうな生徒を見ているのは、これまた単純にもっと嬉しい。

一般的に、将来生徒がいつか自分の競争相手にもなり得るとも言いますが、それくら
いの覚悟でいないと、なかなか自分自身というのは保てないと思っています。
どうしても先生と言う仕事は、お山の大将になりがち。いくら外国とはいえ、外国な
りの評価&批判を得ないと。人を教えさせていただける有り難さを、つくづく感じて
いる今日この頃です。

しかし今年の冬は寒い日が多いです。先週は気温が摂氏-10度、体感温度は-20度でした。
あ〜〜たまらん。

琴の先生か?太鼓奏者か?はたまたカラオケの先生か?


その242003年5月11日

自分たちで作る舞台

先日ニューヨークで第2回目リサイタルをしました。
今回は琴ソロ、生徒を混ぜての合奏曲、琴&三味線、17弦ソロ、琴&チェロなど計6曲。

ホール自体は小さいが、ニューヨークの音楽家の間では名の通ったミュージックスクー
ル主催のコンサートです。

年2回、シーズンごとに様々な分野の演奏家が選ばれ、会場を使わせてもらえ、少々
のお金も出ると言う(助演者に謝礼が払える程度であることがちょっと悲しいが、そ
れでもないよりまし!とか言ったりしてね)とっても大変有り難いお話であります。
ちなみに、だれでもきっと一度は開いて見たいリサイタルホール、カーネギー(小ホー
ル)も日、曜日、時間帯によって料金が違いますが、そんなに高くはないと思います。

昨年の手術があったので、12月の演奏会を2月に変更してもらってありました。
なので、実質準備を始めたのは、戻ってきた11月の終わりからでした。
まず曲を決めて、出演者の依頼など。
ここら辺りまでは、日本で行う時とすることはほぼ同じなのですが、この先がやはり
大変です。楽器屋さんがいるわけでもなく、車があるわけでもなく...。
まずレンタカーの予約をするのに、軽く30分はかかるんです。
外国では、先に掛かってきた電話を待たせておいて、次に掛かってきた電話を先にか
たづけていくやり方。ようやく相手が電話に出た思えば、こちらが一言もしゃべる間
もなく”少々お待ち下さい” なめんなよ!といつか言ってやりたいと思っている。
ひと昔前、その状況がよく把握できていなかった時は、電話から流れるテープに向かっ
て自分の名前、借りる日、時間を一生懸命に話していた私。
あれ!もしもし?返事がないのはなんでよ????ってな感じで。
演奏会の準備、練習で頭がいっぱいの時に、車の予約ごときで30分も取られるのは
非常に頭に来ます。みなさんもそう思いますよね?

演奏会当日、雪の予報も出ていたため早めに車を借りに行きました。
外から見たところ、レンタカー屋の並ぶ列には誰もいない。
こりゃまたラッキー!!雪も降ってないし、本日出足好調。
陰になって見えていなかった。列には8人も並んでいるではないか。
でも対応しているお姉ちゃんはたったの1人。それも同僚とベラベラしゃべり、ゲラ
ゲラ笑いながら...。
当然お客で笑っている人は誰もいない。みな眉間にしわを寄せて、じーーーっと自分
の番がくるのを待つ。
う〜〜ん、このままでは生徒さんとの約束の時間に間に合わない。
イライラが200%に達したとき、「いかんいかん、こういう事を繰り返しているとま
た病気になる。な〜に心静かに自分の番を待てば良いではないか」と自分を落ち着か
せる。


やっとの思いで車を手に入れ家に戻る。
楽器を積み込んでさて次の問題。駐車場。
ニューヨークの駐車場の厳しさは以前にも少し書いた事があるかと思いますが、駐車
場の数も少なければ、路上に止める余裕もないと言ったら本当にないんです。
特に私が借りたのは引っ越し用の大きなサイズのトラック。
普通の駐車場には入れてもらえない。ということは、路上で違反でない場所に止める
しかない。見つからなければくるくる回ってどこかが空くのを待ちますいつ空くか
なんて当然わかりません。
しかし、今回は会場の前にぴったりのスペース発見。
早速駐車と思えば、バックしている最中に、この前降った大雪でタイヤが空回りして
動かなくなる。くっそ!女の子しかいないのにと思っていたら、若い生徒の一人が、
”先生、大丈夫押しますから...”と軽く言ってのけた。(彼女もかなりたくましい)尊敬!!

無事に車を止めて、いよいよ準備に取りかかりますがここからが戦争。
専門家が何かを手伝ってくれる訳でもなし、自分たちだけで何もかもしなければなり
ません。楽器運びから舞台のライト+マイク調整、私は全曲のリハをしながら、合間
に全部の曲の調弦。
開演時間までに着替えが間に合う筈がない。開演5分前になってやっと着替え。
手が汗ばんで、いつもは簡単にしめられる帯も上手く締まらない。頭にカーと血が上る。

もちろん、生徒さん達も一生懸命裏方を手伝ってくれますが、やはり限界がありますよね。
手伝う方もかなりの経験がない限り、そうそう簡単なものではありません。
舞台転換に時間が掛かりすぎると、お客さんの集中力が欠けてしまい良くないですよ
ね。今後出来ることならば、今よりももっともっと舞台転換をサクサク進めたいと思っ
ています。

      (リサイタルより  妹がこのドレス姿を見て”肉まん”と言った!!)

今後の課題としては、まずはメンバー全員が舞台裏方が手伝えるように訓練していかない
といけないとつくづく思いました。
数年前、日本のあるグループがカーネーギーで行った演奏会を拝見したことがあ
りますが、御自分達で7名分の楽器を大きな赤毛氈上に並べるのに、約10分近く掛かっ
て、やっとできたかと思えば、端の2人は毛氈から何故か大きくはみ出ていました。
あんなに大きな毛氈からどうするとはみ出せるのかと、私も生徒達も実に不思議に思っ
ていました。

これからは演奏だけではなく、楽器屋さんがいない外国では、お互いに助け合って、
プロなみ??とは言いませんが、最善&最高の舞台展開も出来るグループを夢見てが
んばりたいと思います。

p.s
春になってしまった今頃に、雪の話をしてもピンと来ませんよね。
更新が遅れてすみません!!

今年も”桜祭り”という、この辺りではかなり名の知れた大きなイベントが先週末終
わりました。今年はNY、DCそして大学の生徒達とで初日30人、2日目19人で2日間参加
しました。

                     (桜祭り 2003年)

残念ながら初日は恐ろしい大雨の中、仮設テントでの演奏。
なにせ外が土砂降りなので、他の出演者もすべてテントの中で過ごすことになります
よね。
ちょう〜〜〜狭いテント裏楽屋に、50人以上のひと、人、ヒト、そしてマグロのよう
に横たわった琴、こと、コト。
なんとなく(確かに)!場所を取っている琴がみんなから大ひんしゅく....。
でも、誰もせいでもないのだ!!雨だから行くところがないのだ。
人がすれ違えない位の場所で人目を気にせず全員で練習して、着物に着替えて、
もうわけわかりまへん〜〜!!

こうしてみんなだんだん強くなりますです。今回うちの生徒達もなかなかである事を
確認。こんな状況に慣れているのだ。
慣れているというか、琴を始めた頃からいつもこんなんだから、これが普通だと思っ
ているらしい。とっても良いことである。
こんな彼女たちがいつか日本で演奏する機会があるとすれば、ここはもしかして「天
国?!」と叫ぶ事だろう。

その25へ
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