ニューヨーク邦楽事情   石榑雅代
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その112001年1月30日その12 2001年3月30日その13 2001年7月9日

オーケストラと競演 

あ〜やっとゆっくりコンピューターに向かう時間が出来ました。気がついてみればも
う2001年春。今年に入ってから本当に忙しかった。

昨年夏、1本の電話が入った。それはサンディエゴシンフォニーオーケストラ常任指
揮者からの電話でした。知り合いである、ドイツ人作曲家から私を紹介されたと言っ
ていました。話によると「2000年1月27日に、3つの違うストリングスの楽器をオーケ
ストラの演奏会にゲストとして迎え、オケとの共演を企画している。お琴も候補に上
がっているが、君は興味があるか?もしまさよが興味があって弾いてくれるなら具体
的に話を進めて、曲についても相談にのってほしい。正直な所どんな曲があるのかよ
くわからないから曲探しも手伝ってほしいのだけれど...。」何をおっしゃいますや
ら! も.ち.ろ.ん。探すでございますとも。声高らかに2つ返事ですぐ調べて返事を
する約束。と言っても私も殆ど情報を持っていなかったので、早速日本に連絡を入れ、
沢井一恵先生の協力を得て世界中に散らばっている演奏者、作曲家と連絡を取り約10
曲を集めました。しかし残念ながら、フルオーケストラとのお琴(13弦)の曲はそん
なに沢山あるわけでありませんでした。数日後、早速先方に連絡を入れた所、予想通
り音源がほしいって.....。でた!一番恐れていた事!世界中ばらばらに保管されて
る音を集める事は、口で言うほど容易ではないでしょうに。ちょっとまいったな〜!!
全曲揃うまで、かかること約1カ月。なんでやねん!集めた中には、これってどうやっ
て合わせているの?っと思う様な、聞いているだけでも頭はくらくら、目まいがして
きそうな難しそうな曲とか。取りあえず全曲指揮者に送って後は返事を待つのみとな
りました。

これから待つことまたまた1カ月。首が首長族に勝てると思う程長く感じた1カ月でし
たね。選ばれた曲は、現在もハワイに在住のアメリカ人作曲による「Voice
of the Phoenix (鳳凰の声)」に決定。何だか華々しいタイトルだ事って言うのが、
私の最初の印象でした。他の楽器でゲスト出演するのは、エレキギター(自作曲)と、
19才の若いサンディエゴに住むマンドリン奏者が選ばれた。

この度の曲は「みだれ」をもとに編曲されています。初演は1985年、その後同じく沢
井箏曲院の、現在はオランダに住んでいる内弟子時代の先輩が、数年前にハワイ大学
でも演奏した曲でした。この曲とても日本色豊かで、オランダの先輩と2人で「時代
劇のテーマソングっぽい??」っとか言って大笑いしていたのに、この曲に決定なん
て...。2人してショックが隠しきれない。いしぐれかなり動揺。でも、この度始めて
オーケストラと共演せてもいただく分際で、時代劇だ、あーも、こーもない。有り難
く弾かせて頂くのだ。数日後楽譜が送られてきてすぐに練習を始めました。幸いにも
テープがあったので思ったより練習は楽でした。フルオーケストラの楽譜をまじめに
見るのははじめてだったのですが、子供の頃から基本的に琴譜で育った私には、この
スコアーに(紙っきれに?)蟻がはいずっている様にしか見えなかった。とにかく自
分の入る場所やらオケ全体の音を覚えなくてはならない。ハッキリ言って実に辛い勉
強、訓練でした。

今年に入ってNYでも風邪が流行りだした。こんな大切な時に風邪なんかひいてたま
るか!!気合いを入れにゃいかん。でも気がついたら連日高熱で布団の中。自分の生
徒さんからどうやら風邪をもらったみたい。せき込んでいたその生徒の姿を思い出し
手に汗握る。うらみ、つらみ。嘘で〜す!しかしこんな大切な時になんとも悔い....。
何日も熱が高く寒くて起き上がれなかった。鼻水が一日中ダラダラと音をたてて垂れ
ているし。琴なんか弾ける状態じゃない。医者に行く元気もない。ただひたすら寝る
寝る寝る。

そうこうしているうちに、カリフォルニアへ出発の日が来た。熱こそ下がったものの、
まだばりばり鼻水だらだら状態、飛行機の中でもまだ頭が80%はボーっとしている。
こんなんで本当に本番いけるんかいあな?東海岸から西海岸まで約7時間かかるので、
母が送ってくれた、沢井忠夫先生の生涯の記録をまとめた本「鳥のように」を片手に
搭乗。かなり頭はボーっとしていたが、それでも一生懸命本を読んだ。人間辛い時っ
て、つい自分と重ね合わせるものなのでしょうか?この本の中に、忠夫先生もリサイ
タル前に食中毒になり、練習が上手く進まないまま本番を迎えた事があったと書いて
ありました。演奏寸前まで密に練習の予定をたてていたのにもかかわらず、病気で上
手く練習が進まなかったが本番は嘘の様にそれまでのプレッシャーが一気に吹っ飛び、
晴れ晴れとした演奏が出来たそうな.....。やっぱり先生は凄いな。私なんて出来る
ことならこのまま飛行機乗り換えてNYへ帰りたいわ!ってね。そこが沢井忠夫と石榑
雅代の違いか。。ふむふむ...。そんなことを感心している場合じゃない。

グーグー寝て起きたら、そこはカリフォルニア。お迎えの車に乗り込みホテルに着い
てみてびっくり仰天!でけえ〜部屋。このサイズがここでは普通らしいのです。NY
の狭い間取りに悲しくも慣れてしまっている私。自分のベットルームよりも大きいト
イレって?そんなの有り?それはさておき、早速指揮者からの電話メッセージが残っ
ていました。本当の地獄はここから始まる。電話で彼が「明日のリハーサルは来なく
ては良いので、そのかわり曲の一部分を変更してオケと絡ませて即興演奏にしてもら
いたのだけどどうですか?」って、皆さんどう思います?生まれて始めてオーケスト
ラと共演するあたくしレベルで、本番2日前になってオケと絡めて即興を入れて頂戴
なんて。その時に強く感じました。これが本当のプロの世界なんだと。このときばか
りは受話器を持つ手が震えた。それでなくとも沢井先生じゃないけど、風邪で練習が
充分に足りてないのに、その上変更だなんて!頭を抱えているところに、またすぐ彼
から電話が入り「ようこそサンディエゴヘ(^_^)早速だけど変更の件YES or
NO?」と早口でまくしたてられた。「YES!」って言うしかないですよね!おまけに作
曲家が、明日ハワイからわざわざやってくる事が判明。どつぼ、はまったぜ....。こ
んな事があって良いのか。このままバックレてしまいたい。電話を切った後、泣く泣
く楽器を取りだし、まずは楽譜とにらめっこ。こんな筈じゃなかったのに.....。怒
る元気も残っていなかった。指揮者とは取りあえず何か考えて明日持って行く約束を
してしまったが、もう適当にやって食事に出た。外はもう真っ暗で何処に何があるか
もわからない。お腹は空いている。このあたりも、やはり暗くなってからの女性の一
人歩きは危ないとホテルの人に言われたが、もうこうなったらどうにでもなれや!あ
たしゃ女一人、ニューヨークで一人暮らししとるんじゃい!何も恐い事あるかい!み
たいな気分。だって腹へっているんだもん。

次の日10:30に会場を訪ねた時には、舞台ではすでに他の曲のリハーサルが行われて
いました。訪ねて行くだけでも緊張で既に喉はカラカラ。ステージには約80名のオー
ケストラメンバーとマンドリン君が練習中。小心者の私すでにビビリ。本当にこんな
大勢の人達をバックにちゃんと自分も弾けるのだろうかと。12時半になって私の曲の
打ち合わせの時間となった。この話合い次第で私の地獄度が決まるのだ。作曲家の方
は、お見受けするに既に70才をすぎていらっしゃるようで、いかにも長くハワイに住
んでいることが伺い知れる様な、穏やかで、物静かなタイプ。その彼と打ち合わせの
前に少し雑談をしました。その時にハワイに共通の知り合いが沢山いることが判明。
沢井箏曲院ハワイ支部が1985年に設立されていた事もあり、演奏等で過去に10回以上
ハワイを訪ねていた。何処で何が幸いするかわからないものですね。よっしゃ〜〜!
この際、この方を味方に付けて絶対に即興なんてしなくてすむようにしてもらおう!
会議が始まり、話し合いは大人の会話だった。味方につける、付けないと言うレベル
の訳がない。はずかしかった。反省。流石の指揮者も作曲家を目の前にして、曲を変
えるのは気が退けたのかお陰様で楽譜通り演奏する事に決定。しかし驚く事はこれで
はすまなかったのです。

次の日の朝、10時半に来るように言われいよいよオケとの練習の時間がやってきた。
事前にもらっていた契約書には10:30ー12:30がリハーサルと書いてありました。2
時間づつ2日間練習すれば、まあ〜流石に曲の途中で止まったりしてしまう最悪の事
態だけは避けられるだろうと思っていたのだが、驚くべき事実が!日本人でオケのメ
ンバーとして活躍していらっやる方にはじめにお目にかかった。ご主人様はパーカッ
ショニストで日本のNHK「今日の料理」の番組でオープニングの曲をマリンバ演奏し
た方である。その曲を聞けば知らない人がいないくらい有名な曲です。奥様はバイオ
リン奏者。私はいまとっても緊張しているんだと伝えると「リハの時間が短いから、
緊張していると時間が足りなくなちゃって大変よ!」とおっしゃったのです。そう
か2時間練習しても足りない程度の事を要求されるんだ。これがまさにプロの仕事だ
よな〜。またまたビビリ始めた。いよいよ練習開始。最初にオケだけの部分練習。
約10分後同じく部分練習で琴も一緒に弾くように言われた。4〜5小節ごとに切って練
習する事約20分。なんとか止まる事なく弾くことは出来た。(あたりまえ、たった
の4〜5小節なんだから)この調子で緊張しない様に行こう!っと自分自身に言い聞か
せた直後「O.K 終わりです」「.......?」狐に摘まれた様に固まっていたら、後ろ
のアメリカ人さんが教えてくれた。この2時間でコンサートで演奏する総ての曲を練
習するんだよって。私の練習は20分でおわり?一度も全曲通さないうちに終わった。
一体これってどういうこと??動揺が隠せない。次の日(または、本番当日とも言う)
やっと練習で一度曲を通すことが出来た。何故か思ったほどもうビビッテいなかった。
わたしって、この2日でまた妙に強くなったに違いない?練習は予想以上に上手く進
んだ様に記憶している。でも良く覚えていないこと自体が、やっぱり緊張していたの
かな?ただ練習の時から、一つだけ心配していたのはマイクの事でした。相手は80人
のオケ。マイクが上手く入られないことにはこの場合話にもならない。専門の方々が
ついて色々と考えてくださり、練習では一応本人も納得の行くコンディションでした。
後は冷静さを失わず、淡々と練習したように弾くだけとなった。

リハの後は、楽屋裏の手伝いの為にニューヨークから来てくれていた彼と夜までサン
ディエゴの繁華街を観光。決してこれは余裕をぶっかましていたわけではない。部屋
にいても落ちつかない私を見かねて、自分も緊張し始めた彼が外出を促した。しかし
ゆっくり観光する気にはなれず、早々にホテルに戻った。そしていよいよ会場へ出か
ける時間となった。やっぱり何故だか緊張はしていなかったなあ〜。なんでだろうか?
ご存知の方も多いと思いますが、オケの方々は(洋楽器の方全般にいえるのかな?)
実に会場入りがごゆっくりである。私なんて、まだ関係者の人達も来ていないうちか
ら、楽屋とステージをウロウロしているというのに。オケのメンバーの人達は開演10
分位前にゆったりとやってきて、チョウネクタイをぽん!と付けてステージへ。それ
でいてバリバリ演奏をする。これが本物のプロだべ〜!と感心せずにはいられない私。
情けない....。
           地獄のインタビュー


出番がやってきた。ぜえ〜んぜん緊張していなかった。リラックスしていられる事は
有り難いことである。この調子で本番も乗り切りたい。が、そうは問屋がおろさない。
新たな難問が待っていた。演奏の前にゲストPlayerが、指揮者から色々な質問を英語
で受けるのだそうだ。これもまた違った意味での修業だった。事前に指揮者には、絶
対に難しい質問はしないでほしいと彼の手を握って頼み込んだ。2000席の会場でお客
さんに向かって笑顔で英語の質問に答えるなんて、ある意味琴を弾くことより至難の
技である。8時になりいざ出陣。舞台の琴がセットされている場所までゆっくり歩い
て行った。はっきり言って気分が良かった。流石に自分の後ろに80名の人が控えてい
る。さわやかな良いタイプの緊張感を味わった様な気がしました。良い気分でいると
ころに、おっとどっこい指揮者に思いっきり裏切られた!質問の内容が何だかとって
も難しい。約2000人が声を殺して私の答えを待っている。質問の意味はわかっていて
も、英語で上手く答えを返すことが出来ず一瞬返答に困った。とっさに、ここでは一
発笑いを取った方がいいだろうと思いつき、適当に答えをおもしろおかしく考えて壊
れた英語で答えた。予定通りお客さんが笑っている。しかし何度も笑いを取ることは
危険。この子はもしかしてアホかと思われても困るし....。指揮者もとっさにそれを
察したのか、インタビュー終わり。やれやれ...。いよいよ演奏が始まった。過去に
ある演奏家の方がおしゃった言葉が頭に思い浮かんだ。最初の一音がその人の技量や、
音楽性等総てを語る事もあると。始めの一音を弾いた。いかん!やっぱり私ちょびっ
とばかり緊張してる?それよりもっとまずいこ事に気がついた。マイクコンデイショ
ンがリハの時と違うのである。低音を押さえに行くついでにマイクの位置をのぞき込
んだ。見た所良くはわからない。でもマイクがあまり入っていないように感じた。着
物だったし、まさか足でマイクを自分の方へ引っ張る訳にも行かず、結局最後までそ
のままの状態で演奏を続けた。曲が終った。取りあえず終わるだは終わった。自分自
身の演奏の失敗もあったが、それよりもマイクについて不満が残り、少々不完全燃焼
気味。どうにも悔やまれてならない。なんでリハの時と同じ場所にセットされていな
かったのかってね。
             演奏中

しつこい様だけれど、帰りの飛行機の中でもまた悔しさが込み上げてきたのです。今
更どうにもならないと彼に何度も慰められ(怒られ?)もう言わない事を約束させら
れました。自分に当ってくるのが苦痛だったんでしょう。結果はこういう事に終わっ
たのですが、今回は本当に色々と良い勉強をしました。プロとして扱われる事がどう
いう事なのかという事を思い知らされた時間でした。この先、万が一オケとの共演が
あったら、スコアーを見て思わず "うっ!明日からの練習にしよう" なんて決して
思わない自分になっているように願ってならない.......?


その12 2001年3月31日


1月のオーケストラとの演奏が終わって、やれやれ今年はもう何もしないでゆっくり
過ごしたいな〜くらいの気分だったのですが、実はその後にまたまた大きな企画が控
えていたんですよね。

3月2日 ニューヨーク・ジャパンソサイエティーでの沢井一恵 比河流コンサート。
この演奏会はすでに昨年の夏から準備を始めていたものでした。昨年夏の始めに、
一恵先生から頂いた1本の電話で、ぐっすりと眠っていた私の中の何かが大きく動き、
絶対にニューヨークに先生をお呼びして演奏会を企画したくなった訳です。

早速思いたったが吉日。コンサートに向けて働きかけを始めました。私がここニュー
ヨークに住み始めて5年目。決して多すぎるコネクションではありませんが、それを
なんとか最大源に使って、人様のお力で(はっきり言ってお金をだしてもらってね)
質の高い演奏会ができないものかとない知恵を絞り、よくよく考えた結果(3分だけ!)
高いレベルで日本文化の紹介全般に携わっているジャパンソサイエティー様にお尋ね
してみるのが一番良いのではと早速連絡を取ってみました。
この組織の中は、パフォーミングアーツ、教育、フィルム、行政関係などに分かれて
おり、仕事柄日頃から色々なセクションに、顔をつっこんでいた私は、この場合何処
に電話をしてみるのがよいかをもう一度考え、取りあえずパフォーミングアーツに話
を通してみることに。「いつもお世話になってま〜す。琴のいしぐれで〜す。今日は
折り入ってお願い方々ご相談がありありまして...」「えーなに?イヤな予感〜!」
とか言われつつ「とんでもないですよ、私が一度でも変な事お願いしたことがありま
して?実はね、沢井一恵先生の演奏会を久しぶりにニューヨークでやりたいんですよ
ね、でもねうちのグループっていうよりは、私は全くお金ないし個人的には無理なん
で......。つきましては何かアイディアをいただけたらと思ってお電話しているんで
すけど...どんなもんでしょうかね?」(私も回りくどいよな。はじめっから呼んで
ちょうだいってハッキリ言えばいいのにと、自分で思ってしまっている)そしたら、
なんと2つ返事で「あ、そう!いいかもよ。すぐボスに聞いて明日にでも返事するわ」っ
て。ちょっと驚き。でも直感でこれはいけるかも!と感じた私は、そんな嬉しい返事
にニヤニヤしてきちゃって困ちゃった。
この様な経過だけを抜粋すると、誰でもJapan Society で公演が出来る様に聞こえて
しまっているかもしれませんが実際はとんでもない。地元の人でさえ、いつかは自分
もあの舞台でと密かに願っている場所でもあるのです。そして待つことたったの1日。
すぐにボスからO.Kが出たそうな。ほんとうにいいんですか?って感じ。過去にも何
度か忠夫先生が同じ場所で公演をされた事もあり、今回の公演内容についても、きっ
とスムーズに話が通ったのだと思いました。またここでも忠夫先生の偉大な貢献に感
謝。早速来年のカレンダーを片手に公演の日程を決めることに。私は正直な所焦って
いた。こんな大きな話が簡単に、また順調に進んでよいものかと。どっかでドンデン
返しがまっちょるんではなかろうかと?でもこうなったのなら、じたばたしてもしか
たなかろう。川の流れに沿うのみ(なんの事ない。その川の流れは自分の都合のいい
ように自分でさりげなく造っている気がしている)。
早速日本中を駆け回っていらっしゃる先生を捕まえ、演奏曲目等あらかたの内容を決
めました。先生から、ここニューヨークの生徒達も合奏曲で御一緒させていだだく事
について提案があり、思わず天にも登る気分。「もちろんご一緒させていただきます」
それを聞きつけたワシントンに住んでいるメンバーの一人が、是非ワシントンDCで
も演奏できるように話を進めたいが良いかとの連絡が入りました。どんどん話が大き
くなっていったのですが、勿論話しがまとまればみんな行きたいばかりですよね。も
しDCでも演奏会が実現できたら、これは願った叶ったりです。その後半年の時間を費
やし、ワシントンDCの日本大使館の多大なるご協力を得、3月4日ワシントンDCの
スミソニアン美術館での演奏が決まりました。最終決定の通知が来るまでは、まさに”
根くらべ”でした。沢井先生との2回の演奏会、みんなどんなに喜ぶか。しかし、ちょ
っと待てよ。ここにいる子達が沢井先生と一緒の舞台で演奏させてただくことがどう
いう事なのか、どれ位大切な事なのかを何処まで理解し練習に励んでくれるかちょっ
と心配でした。でもこんなチャンスそうはないので、全員にmailで参加希望者を募っ
たのです。3日間で誘ったメンバーの殆どが参加希望の返事。実はうちの人達みんな
すごく出たがり。この時ここの生徒さん達、合奏曲がどれ程大変かも知らずに一心に
喜んでいた。そんな喜びの直後から地獄の練習が待っているとも知らずに...。”出
たがりちゃん”たちに与えられた曲は、忠夫先生作曲の「2つの群の為に」1琴〜4琴、
17弦1〜3琴という構成で、お琴パートの3、4琴に関してはものすごい数の転調がある
曲。調弦のリストがなければ、一体いま自分が何を弾いているのかがわからなくなる
程。そこで私は自分のためにも、全パートの人のためにも調弦リストを作り始めたが、
少し進んだ所ですでに訳が分からなくなり100%ギブアップ。こりゃ〜えらいこっちゃ!
実は15年位まえに、日本で沢井忠夫合奏団に在席していた頃、この曲を何処かで一度
だけ弾いた事がありました。当時もえらい難しい曲だな〜っと思った記憶がかすかに
あったのです。それにしてもとにかく転調が凄い。すぐに全員練習を始めたのですが、
これはうちのメンバーだけではさすがに無理だと判断した私は、カリフォルニア、オ
ランダ、コネチカット、現在は日本にいる元海外派遣の仲間5人に電話で演奏の手伝
いを頼みました。みんな即答で快く引き受けてくれました。本当に嬉しかった。こん
な時はやっぱり感じるものだ「同じ釜の飯を喰った仲間」って。こんな諺ばかり連発
していると、おばちゃん臭い〜と言われてしまうが本当にそう思うんだもん。そして
最終的に総勢19名となった。


         ワシントンで全員での記念写真

当初、この難しい合奏曲の4琴を私も責任を取って?弾かなくっちゃな!っと思った
のだが、その後、なんと前回に負けない位のひどい風邪をひいた。バカは風邪をひか
ないんじゃなかったのか?今度は前回の様に生やさしい風邪ではない。高熱なんて当
然。生まれて始めて味わう風邪の苦しさだった。一恵先生と「水の変態」を弾かせて
頂く事になっていたが、全く声が出なくなった。電話が掛かってきても「ハロー」の
声がでない。わかりますか?全く声が出ないんですよ。日本の母には「自分がいつま
でも若いと思って油断しているからこういう事になるんだ!!」と怒鳴られ。「わかっ
とるわい...」と声にもならない声で言い返したが聞こえたかどうか?声がなくなっ
たことには参った。しかしもっと参った事は、さすがに熱で身体が辛く近所にある日
系の医者に行ったのですが、どうもこの若先生はあまり英語が達者ではないよう。看
護婦さんが診察の前に英語で書いたカルテを、大きな声で私も向かって読み上げ、こ
の様な症状で間違いがないか今度は日本語でいちいち確認してくるのです。それは自
分自身が英語の意味をひとつづつ確認しているようにしか聞こえなかったんです。ポ
ケットには英語の専門用語カンニングメモらしきものがパンパンに入っている。ま〜
そんな事はどうでもいいのですが、数日38度台の熱が続き、全く下がる様子もないのでと
にかく熱を下げる為の抗生物質を出してほしいと頼んだのですが、私の病状には抗生
物質は絶対に利かないと言い張り薬を出してくれない。(アメリカはお医者さんが出
した処方箋を、全く別の場所にある薬局へ行って薬をもらうシステム)頭にきて文句
をたれ始めた私に、先生はなんと厚さ10センチ以上もある英語で書かれた医学書を持っ
てきて「さあ〜石榑さん、ここを良く読んでみてくださいね。この様な症状には抗生
物質はきかないって書いてあるでしょう」この医者はあほか?熱で頭がいってしまっ
ている私に英語の専門書が読めようか。ブーたれる元気はもうなく、薬の一つももら
わないで黙って家に帰ってきた。それで約$350だった。(3万5千円くらい)詐欺に
会った気分。あんな医者に2度と行くものか!その後、やっと熱も下がり、演奏会の2
週間位前になって起きあがれる状態までに回復した。寝ていた間何も用事ができなかっ
た分、その後の忙しさと言ったら。なにせ公演関係のmailが1日に平均50通も送られ
て来る状態。見ていなかったために、溜まってしまっていたmailはまとめて捨て
た...。まずかったかな?しかし今回本当に良かったと思うことは、自分が少しでも
コンピューターを使える様になっていた事ですね。といってもスペシャルな事は1つ
も出来ませんが、写真をアタッチして送ったり、曲の解説をmailで送ったり。今まで
はfaxや、郵便で処理していたことが総てmailで解決出来るこの便利さ。つくづく使
えるようになっておいて良かったと妙な事で一人感激したりしていた....。

まあ死ぬ思いではあったが、すべての準備がほぼ整い、いよいよ先生方をお迎えする
日が来た。みんなで空港までお迎えに行った。私は一人で既に感動状態に入っていた。
半年以上1人で総て準備して来たことが、今日これから行われるのだと思うと何とも
言えない妙な気分になってきた。今年は近年になく雪がよく降る為、先生到着の日も
天気をとても心配したが無事飛行機が到着。先生とってもお元気そう。1時間遅れで
比河流さんも元気にNYに到着。



    沢井一恵先生と石榑まさよ、沢井比河流会長               お気に入りのNYで 沢井一恵副会長

次の日からリハも順調に進み、いよいよ本番の日を迎えたのです。お陰様でチケット
は早々にsold out。当日は心配していた雪も降らず、寒かったけど好天に恵まれまし
た。私の行いがよかったからだと、一人心の中で自分を誉めている己が恐かったりも
する。


              ny concert リハーサル中

3月2日 8時いよいよ演奏会が始まった。あっと言う間にプログラムが進みいよいよ
最後の曲となった。勿論わかってはいたが、いざ始まってしまうと演奏って以外に早
く終わるものである。みんな出番が待ちきれない様子。ぜーんぜん緊張もしていない
みたい。相変わらず恐い物知らず。そんな彼らが羨ましい。前にも書いたかもしれま
せんが、うちの子達は本番に強い気配があるのです。彼ら自身もそれを知っているの
かもしれない。これが緊張しない、訳の分からない理由の一つであると思う。いよい
よ演奏が始まった。今まで何度も場所を借りては練習を重ねて来たが、練習と先生と
一緒のゲネプロや本番の音は艶が違う、一人ひとり舞台での顔つきが違う。みんなが
それぞれ今回の演奏がどれだけ大切な物であるかを確かに認識している音だと感じた。
本当に良い演奏だったと思っている(もちろんそれなりのレベルではありますが)。
その陰には、演奏者だけの努力だけではなくその家族、ご主人殿、彼氏さまのご協力
の賜物です。
2日後の3月4日 ワシントンDCでの演奏会も満席のうちに会を終えることが出来まし
た。片道5時間を15人乗りの大型車数台で運転を交代しながらの遠出は本当に遠足気
分。これまた楽しい思い出となりました。ちなみに私は152センチと少々背が低めな
のですが、私がこの大型車を運転すると、前方にいる人からは紛れもなく無人車に見
えるらしく度々ニューヨーカーを驚かせています。

先生方は、その次の週末に日本で大きな演奏会を控えていらした為、次の朝日本へと
発たれました。DCから戻った日は、大雪の予報が出ており、夜のうち早々に多くの
飛行機がキャンセルされ始めていました。結局の所雪は殆ど(全く?)降らなかった
のですが、一度キャンセルせれた飛行機は絶対にもう飛ばないのです。この雪騒ぎで
手伝いに来てくれていたメンバー達が足止めを喰らいこれもまた違った意味での地獄
だった。この狭い私の部屋に6人で就寝。これこそ「狭くとも楽しいわが家」と言う
ことで...これにておしまい。

2001年早々とっても忙しかったが、実に楽しかった。懲りたとは言いながら、きっと
またすぐ何かやりたくなるんだろうな.....。そうだ!早速アメリカでいま大人気の
「料理の鉄人」の番組でお琴を弾かせて貰えるように連絡をとらなくちゃ。でも簡単
ではなさそう。気が重い。そう思うともっと挑戦したくなる。私ってとても元気+健
康な人だと思う。ま〜今回は風邪をひいてしまいましたが。やっぱりまわりの多くの
人にも、「あんたは元気だ」と言われている。だってこの街で生きていくためには、
少しくらいの事で疲れていたら負けてしまう様に思えて仕方がない。実際そうだろう
し。悲しいかな健康だけが取り柄の私。言葉の響きから、ちょっと寂しい気がしない
でもないが何も取り柄がないよりいいじゃん。こわれた”おつむ”もまだ健在の様で
す??


その13 2001年7月9日

何もない生活、何もしない生活??

3月の演奏会を終えてからなにもする元気がなくなった。どうやら3月の演奏会に張り
切り過ぎたようだ。毎日脳天気に暮らしている私をみて、流石に彼が「ちょっとこれ
からの目標作ってなんか始めたら?例えばCD作るとかさ〜次のリサイタル計画すると
かさ!」と毎日のように言う。確かに彼の言う通りだと思うのですがどうしても何も
する気合いがない。年のせいかな?なんとだらしがないことだろうっと自分でも思っ
てしまうのだが、これまたどうしようもない。でも、でも何もせず遊んでいる訳では
ない。ちゃんとニューヨーク市が行っている学校公演等は毎日のようにやっている。
そこまでのグータラではないと思いこんでいる。女一人独身、遊んで暮らせる身分で
はないと言った方が納得できる?

前にもお話しましたが、少し前から「元鬼太鼓座(おんでこざ)」のメンバーの一人
に太鼓を習っているのですが、やっぱり初心者。どうやら何か変な動きをしたらしく、
肩が”だる痛く”どうしようもないのです。肩中サロンパスだらけ。皆さんやはり身
体が資本ですね。どうぞお気をつけ下さい。

いまは、6月に日本へ一時帰国するが楽しみで、思わしらず顔がにやけて仕方がない
今日この頃です。

**アメリカ式結婚式

この度結婚しました!  っと一度は書いてみたいのですが.....
残念ながら私の事ではない。

先日アメリカで2度目の結婚式に招待されました。こちらでは式の前にカクテルparty
があるのですが、その時に琴の演奏者としていわゆる演奏のお仕事では何度か行った
ことはあったのですが、琴の演奏ではなく(幸いにも)友人として式に参列するのは
実のところ今回2回目でした。でも前回は中国人の生徒さんの結婚式、その時にはた
しか演奏したよな〜。先週目出度くゴールインしたカップルは、新郎がアメリカ人で
日本の徳島県で英語を教えながら尺八を勉強し、ここニューヨークでも尺八の勉強を
続けており、花嫁さんはアメリカの病院でお仕事をされている日本人というお二人で
した。この新郎の彼とは4年程前から演奏を通してのお付き合いです。アメリカでは
多くの行事が夫婦単位で招待されることが多い様ですが、私の様にかわいそうに未だ
独身の女性は彼氏(いなかったら一人寂しく行かなければならん!)同伴で参列する
のが恒例となっています。幸いいまは彼氏と呼べる人がいるので(よかった、よかっ
た、本当によかった)一緒に行きました。その彼も実はアメリカで結婚式に行くの
は2度目の事、初心者の我ら2人はもう数カ月前から着ていく服からプレゼント探しに
と大騒ぎ。知っているつもりなのに?という言葉がありますが、アメリカでの結婚式
に関するノウハウに関しては2人して知識ゼロって感じでした。何度も見ている筈な
のに...。おまけに外国に10年も住んでいるというのにお恥ずかしい話なのですが、
何事も自分で経験してみないとわからないってことの様です。

さて、アメリカでの結婚式は日本の結婚式とは全く違うと言っても良いかも知れませ
ん。まず日本人だと、ご祝儀の事が一番始めに頭に浮かぶのが普通だと思うのですが、
(私だけかな?)こちらはお金をお祝いとして渡す事は意外とまれな事のようです。
日本ではお祝いのお返しに引き出物が準備されますが、その様な引き出物に相当する
物は準備されていない事が多いのです。ですから簡潔に言えば自分の食事代金に相当
するだけの金額、もしくは何かの品物を渡す事が一つの目安だそうです。ハッキリ言っ
て金額にして一人6000円($50)くらいかな。もちろんお食事代がいくらなのかは
わかりませんが、相場はそのくらいなんだそうです。ちょっと日本の感覚からすると
拍子抜けな金額に感じてしまい、本当にこれで失礼に当たらないのかと心配でたまり
ませんでしたが、どうやら誰に聞いてもお祝いに関しては同じ見解のよう。

そして私達2人が一番驚いたことは、新郎新婦の両親たるもの、この日ばかりは心静
かに何事もなく厳かに良き日を迎える為に努力を惜しまないものが親と信じていた私
たち。ところ変われば......ちょう〜元気印のスパニッシュ系のおにいちゃんの司会
でまず両家の両親が笑顔で登場!(親が離婚している場合は現在のそれぞれの連れ合
いと参上)続いて新郎新婦が登場。この辺りまでは日本とあまり変わりがないのです
が、この後が凄いと私は個人的に思っている。何故かいきなり新郎新婦によるダンス
が始まり、2人だけでは寂しいからと司会の兄ちゃんがみんなも踊ってちょうだいと
声をかけると、シャイなアジア系の人だけを残しみんなが一斉にダンスを始めるんで
す。それもシックなダンスなんかではなくってゴーゴーみたいな!今回一番目立って
踊っていたのは、す、で、に、蝶ネクタイを外した新郎の父、そして長男の孫を引っ
張りだし踊る新郎の母。びっくりしたのなんのって。噂には聞いていたがこんなに激
しいなんて。こんな時いつも日本人は恥ずかしがって踊らないってのもう昔の事か!
良く見れば新婦の母様も着物で踊っている。日本からの参列者も踊っている。ある方
はどういう訳だかすでに酔っぱらって顔がタコ。はずかしさが先立って踊れない日本
人はこの自分を含めた私と彼だけだった。何となく踊れない自分が悔しくなってきて
踊ってみようとイスからお尻を離そうとするのだが、まるで身体が鉛を飲み込んでし
まったかの様に重くイスから絶対に離れない。イスから離れたくない自分がいる。隣
をちらりと見れば彼もどうやらそのようだった。似たもの同士だった事に内心ホッ!
もう2人でいれば恐くないの世界に入っている。


               ゴルフ場内での至ってシンプルな結婚式風景



いきなりですが ”むかついた”こと

先月2週間日本へ帰りました。ちょうど1年ぶりだったのですが、帰るなり妹に「おね
ちゃん、すごく太った〜〜ね、なにそれ?」と言われ、どっひゃ〜〜〜!ショックと
動揺が隠せない私は毎日おバカの一つ覚えのように母や妹に「どのくらいふとっとる?
1から5のうちでどれくらい?」と1日に何度も繰り返し聞き、ついに妹が母に「お母
さん、やっぱり10日がいっぱいいっぱいやな〜」あと4日で帰るがな.....。

2週間の休暇も終わり、さてまたこれからがんばるぞ!っと、ゆうに(当然?)1時間
は遅れてケネディー空港に着いてみれば、預けた荷物が2つとも出てこずいきなり怒
り爆発。なくなった事に関しては、仕訳作業の方も一日に何千個というBagを扱って
いるのですからたまにはそりゃ〜手違いもありましょうよ。ムカツクのはその後の対
応の杜撰さです。文句を言えば帰ってくる返事は「私の責任じゃない!」それはわかっ
ている。そうね、あんたの失敗ではなかろうよ。ではとにかく今日一体何時に家に荷
物を届けてくれるのかと聞けば必ず「今晩中には遅くても行くから」と。当然来る訳
がない。当日中に届けられたなんて過去に聞いたことはない。私は嘆願したんです、
空港で必ず今日中に届けてくれるようにと。だってスーツケースの中には大好物のあ
ま〜い菓子パンとか、えのきだけとか、まだ土が着いたままで新聞にくるまれたごぼ
うちゃん、しその葉等などが入れてあるのだから早く冷蔵庫に入れないとせっかく隠
し持ってきたのにかばんの中で腐るんじゃ〜〜!と人さまに声を大にして言えましょ
うか?待ちに待って翌日の午後無事に荷物はアパートに届けられ、心配していたその
中味君達もまたピチピチでハッピィーハッピィーエンド!

早速時差ボケが治るのを待ち、ダイエットの為にすぐにジョギングを始めた。最近の
ニューヨークは3連日35度。炎天下を40分走るのは30代半ばにして容易でないことを
悟った。3年前走っていた時はそうでもなかったのにおかしい。誰かがそっと教えて
くれた。年を取るとやせにくくなるよって!!! なあ〜に負けるものか!

*今焦っていること

休み開けに必ずしよう思っていた事が、英語版のhome pageを作る準備。いまや世界
共通でしょうが、多くの場合情報をweb site等で見つける時代。しかし私はコンピュー
ターの扱いがどちらかと言えば苦手、時代の流れから片足落ち掛かっている状態です。
ニューヨークでの仕事の殆どは人からの紹介の他に、英語で私のpageを親切で作って
くださっているある団体、他には日本語の邦楽ランド様以外、自分のHPは持ってい
ません。廻りの人達の多くはHPを見て来る問い合わせの情報処理をテキパキと行い、
演奏依頼を受けている。日頃からお付き合いのある日本舞踊のグループは、着物姿の
写真をふんだんにHPに載せ人々の目を引く。そうだろうな、誰が見てもやっぱり綺麗
なものは綺麗だもの。衣装(見せる(魅せる)事)もとても大切なのだと最近つくづ
く思い知らされています。以前に書いたと思いますが、ニューヨークで毎年春大々的
に行われている「桜祭り」に約15名くらいで参加しているのですが、その4月の桜祭
り以降は、その会場から全く演奏のお呼びが掛からないのです。年に幾つかは日本に
関する行事が行われているので、たまにはお声が掛かってもよさそうなのにと.....。
ですがその見た目にも綺麗なHPをお持ちの舞踊の方等は会場からの依頼で、さまざま
なイベントに出演していらっしゃるようなのです。もしかして外国では、特に日本よ
りある程度見た目が重要となってくる部分があるのでしょうか。いつも全員分着物が
揃わない事(特に男の子)と、自分で着れない人が多い事を理由に上黒下黒の衣装で
済ましていた事になんだか反省したくなってきた気分。
今年の「桜祭り」で、人には忘れ物をしないようと耳にたこができる程繰り返してい
た自分が、頼まれた生徒さんのお琴1面を会場へ持っていくのを忘れたのです。
良く考えて”そうか私が弾かなければ楽器は足りる。問題なし!”ってな訳で、みん
なの演奏をステージの脇から見ていた時の事でした。今年もまたvideo係りの彼がポ
ロっと心に刺さる一言。「この映像、去年のとすり替えてもだれも気づかないと思わ
ない?」一瞬返事にためらったが同意せざるを得なかった。みんな一生懸命下?を向
いて弾いている。良く見なければ顔も(のぞき込んでも)殆ど見えない。衣装と言えば、
日本で良くみかけるコーラスクラブの方(別に悪いわけではないです)のよう。たしか去年
は上下黒だったな。曲も現代曲ばかりで、お琴をあまり知らない人達には、きっとど
れも同じ曲に聞こえているかもしれない。15名を率いている責任がある自分が思った。
これでは良くない。もっとお祭りなんだから我ら美しくなければ!
今年2回目の舞台を踏んだ5才の可愛い生徒さんは、七五三の着物で登場するのだが、
それまで静まりかえっていた会場が彼女の登場と共にフラッシュの嵐。私は確信した。
観客は見た目にも美しい物を期待しているんだ。このままではまずい....。良い演奏
+綺麗な部分も見せていかなければ、その後の仕事にはつながらないのだな。来年の
「桜祭り」はとにかく一度着物を着て参加してみようと強く心に決めたのです。大袈
裟みたいですが、何故か自分にとっては一大決心。やっぱ大袈裟やなー。そしてそれ
と同時に、とにかくもっと宣伝をしなければ誰も自分達の存在をわかってくれないと。
世の中にこんなにインターネットが普及しているのだから、当然そのチャンスを使わ
ない理由はない。しかし情けない事に、HPを実際どのようにして作るのかもよくわか
らずただただ焦って時間だけが過ぎていってしまったこの何年か。いまからでも遅く
はないはず。夏は比較的時間的に余裕があるときなので、この時間を利用してHPのコ
ンセプトを考えま〜す。コンセプトだけじゃなくて早くつなげろ!っと言われていま
す。上手く出来るかしら??(いまやってます)


9月にはニューヨークシティーバレイの男子ソリストとの共演が決まりました。曲目
は「みだれ」。ニューヨークシティーバレイや、オペラ等での日本楽器の起用は、す
でに十数年も昔からすでに行われていると聞いており、実は以前から非常に興味を持っ
ていた分野なので、今回の共演をとても楽しみにしています。また公演が終わったら
ご報告できたらと思います。では暑い夏、皆さんどうぞお元気でお過ごし下さい。

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