ベトナムのシロアリ調査行
ホーチミン周辺にて

神谷忠弘

2001年11月22日から25日まで、私たちシロアリ技術者はベトナムのホーチミン市周辺でシロアリの調査を行なった。主な目的は、トビツノシロアリの仲間 Termes を採取・観察し、我が国の西表島のトビツノシロアリの理解と採取の参考とすることだった。もちろんベトナムのその他のシロアリへの興味ももちろんあリ、できうる限りのシロアリを見てみたいのは言うまでもない。
参加したのは私のほかにシロアリ技術者の山根坦さん(山根白蟻研究所)、柿原八士さん(柿 原白蟻研究所)および薬剤会社の安芸誠悦さんの4名。とにかくフリーのツアーを利用したベトナム訪問なので、観光コースを極力排除してシロアリのいそうな 場所に行けるかどうかが問題だった。
<シロアリの写真のスケールはすべて1mm>

解放戦線のトンネル入口


落とし穴を見学する外国人観光客の
横でシロアリの塚を掘る


かなり固い塚だった


採取したオオキノコシロアリの兵蟻


オオキノコシロアリの大小の兵蟻


ここのトビツノシロアリの仲間は
跳ねなかった


ノコバシロアリ Microcerotermes
も見つかった


解放戦線の主食だった芋を食べる


帰り道でもシロアリ採取


トビツノシロアリの女王

シロアリの多いク・チの森
跳ねないトビツノシロアリ

いつも最初に苦労するのは現地ガイドに私たちの意図を理解させることだ。だまっていると勝 手に観光コースを引き回されるのだが、私たちはシロアリのいないところには興味はない。が、観光コースの中でも有名なク・チのトンネルは森があるのでとり あえずは許せるので、初日としてはク・チに行くことにした。
ク・チのトンネルというのは、ベトナム戦争で南ベトナム民族解放戦線がアメリカと戦うために掘った地下道である。今では戦争資料として保存され、観光地の一つともなっている。その周囲はもちろん森で、シロアリがいそうだと前から思っていた所だ。
観光客の訪れるク・チのトンネルは、ベン・ズオックのトンネルとベン・ディンのトンネルの 2つあり、前者のほうが規模が大きいという。しかし、自然の豊かさとリアルさからいうとベン・ディンだという。私たちはそんな予備知識もないまま朝8時に 集合してベン・ディンの方に行った。
ホーチミン市から車で北西に約1時間半走るとベン・ディンのトンネルに到着するが、お決ま りの資料ビデオも途中退場して私たちは森に入っていった。終日借り切った現地ガイドのトウさんの先導で歩くのだが、ここでは解放戦線風の緑色の服装をした 説明員も同行する。説明したくてしようがない説明員の話を聞き流しながら、シロアリがいそうな木の根元などを探しながら歩いた。
やがて大きな落とし穴にさしかかった。これはアメリカ軍の侵攻を阻止するために掘られた穴 だが、穴の底には槍が何本も突き出ている。ここに落ちればまずまともには生きてでられない。私たちの後からやってきた西洋人の団体客は興味深そうに落とし 穴の周りで説明を聞いている。そしてここで最初のシロアリを見つけた。
それは外国人の足下にあった。まるでイエシロアリの蟻土のような雰囲気の土の塚だった。 さっそく掘りかかったがとにかく堅い。大体、日本のトビツノシロアリの様な土食い系のシロアリの観察などは小型のスコップがあれば十分だと思っていたの で、固い土を掘る道具を持ってこなかった。しかしその塚はちょっとやそっとではびくともしない。つい最近拡張されたばかりの湿り気のある蟻土でも、私の小 型スコップはすぐに曲がってしまう。たがねとハンマーが必要だ。
どうにかこうにかシロアリの個体が確認できたが、それはオオキノコシロアリ Macrotermes sp. の塚だった。赤くて大きいオオキノコシロアリの兵蟻が飛び出してきた。私たちが観光客の足下で塚を崩し始めると、アメリカ人と思われる観光客がなにやら話しかけてきた。シロアリだというと言うと、納得したような顔をした。
そうしたらガイドのトウさんが「もっと先の方に行きましょう。大きいのがあります。」という。トウさんにとっては私たちが道草を食うので案内の計画がくるってしまうのだろうと思っていたら、本当に奥の方に大きな塚があった。
今度は説明役の人まで一緒になって塚をほじり始めた。彼が塚の尖った部分を足で蹴ったら、小さな菌園まで現れた。
しかしオオキノコシロアリは私たちの本命ではない。あくまでトビツノシロアリの仲間を探さなければならない。
注意深く探すと、周囲の土とは明らかに異なる黒い固まりがある。これを壊すと土食い系特有の腹部の黒い内臓物が透けて見える職蟻が現れた。私たちは地面に這いつくばるように兵蟻を探した。そしてついに細くて大きなアーチの大顎を持つトビツノシロアリの仲間 Termes sp. の兵蟻が見つかった。私たちはこの土の塊を袋に入れてホテルに持ち帰ることにした。
土食い系のシロアリの巣になっているところはどういうわけか土が周囲より黒い。木の根っこ近くだけでなく、平たい土の上にも黒く盛り上がって塚のようになった彼らの生息域がある。そして多くの場合盛り上がった上のほうは薄く緑色にコケが生えていたりする。
驚いたのはここのトビツノシロアリは兵蟻が大顎を弾いて跳ねないことだ。いくら刺激しても 弾かない。だが、もっと驚いたのは、土食い系であっても立派な蟻道や蟻土を作ることだ。樹木の表面にまるでタカサゴシロアリのような蟻道ができていて、そ れもかなり硬い。集団的「外骨格」が硬いから兵蟻が弾いて防衛する必要がないのか。まだよくわからない。
また、ニトベシロアリの仲間 Pericapritermes sp. もいたが、やはり立派な蟻道を作っていた。
帰るときに見つけたのだが、道路わきのバス停のような小屋の柱にびっしりとシロアリの泥被がついていたので崩してみると、キイロマルガシラシロアリ Globitermes sulphureus が出てきた。こんなにヒトの近くにこのシロアリがいるのかと驚いたが、やはり泥被は割合硬いものだった。
泥被や蟻道が共通して硬いのは、やはりスコールなどの気候条件に適応したためだと思われる。
また、キノコシロアリ亜科はどこをほじってもオオキノコシロアリであって、タイワンシロアリの仲間 Odontotermes は見つからなかった。来るときに田んぼ道で見つけた街路樹の蟻土を、帰りに車を停めてさばいてみたが、やはりタイワンシロアリの仲間ではなかった。
この日は、ホーチミン市内に戻って昼食をとり、その後市内の寺院の森をつついて歩く予定だったが、車に乗せてあるシロアリが車内の高温に耐えられるかどうか心配になってきたので、午後の予定を急遽キャンセルしてホテルで仕分けすることにした。

ここからメコンクルーズが始まる


メコン川はあくまで茶色


タイ・ソン島で出されたフルーツ


果樹園でシロアリ採取


かなり小型のテングシロアリがいた


やっとドリアンにありついた山根さん


ドリアン屋の横にシロアリがいた


ドリアン屋の玄関にもシロアリがいた


マルガシラシロアリの巣を掘る


イエシロアリのような動きをする
マルガシラシロアリの兵蟻
(大顎を広げたところ)


頭の大きいテングシロアリもいた


ここのトビツノシロアリは大顎をはじく


別種のトビツノシロアリも採れた
(上の種の白兵蟻ではない)


はじめて見たシロアリ

メコンデルタのマルガシラシロアリなど

翌24日、今度はク・チとは反対側のメコンデルタに向かった。私はそんな水の多い場所には あまりシロアリがいないと思って、「なるべく森のあるところへ行ってください。メコン川クルーズはパスします。」とトウさんにいったのだが、森のある島に 行くというのでやむなく承諾した。
ミー・トーという町から赤茶色のメコン川に船出した私たちは、ヤシのジュースを飲みながらしばらくは観光気分で景色を堪能した。岸辺にはサトイモほどもありそうな大きさのホテイアオイの仲間が生えていて、時折そこから離れたものが一株ずつメコンに流れている。
行き交う地元の船は舳先のところに赤い顔が描かれていて、白い目玉が遠くからでも確認できる。そういう船の多くは船尾の発動機から長いシャフトを水の中に伸ばしてスクリュウを回すという独特な方式で走っている。
やがて私たちの船は島についた。かなり大きい島でタイ・ソン島という。いきなり観光用の ゲートがあって中は公園のように植物が植えられている。ドラゴンフルーツの木などを見ながら奥に進むと、池の上に作られたレストランがあって、ここで各種 フルーツを食べさせてくれる。日本人や台湾人などの外国人でけっこう賑わっている。
山根さんは前日から「果物の王様」といわれるドリアンを食べてみたいといっていたが、ここにはなかった。ジャックフルーツだとかパパイア、モンキーバナナ、ベトナム風の柿などを味わったが、まあどうというわけでもない。
このあたりは庭として管理されすぎているせいかほとんどシロアリを見つけることができな かったが、奥の果樹園まで行ってようやくテングシロアリ亜科のシロアリを見つけた。しかし日本のタカサゴシロアリと比べてかなり体格が小さい。ルーペでよ く見ると、頭殻がなすび型で日本のものよりも細長い。とりあえず持って帰ることにした。
やがて日本人観光客の団体が来て、なんだなんだというような顔をして集まってきたので、シロアリだというと、「こんなところにもおるのかね」といって通り過ぎていった。
さらに奥に進むと粗末な小屋の前に机を出してフルーツを売っている婦人がいた。その机の端っこに誰が見てもわかる例のドリアンがあった。いくら払ったか覚えていないが、結構いい値段だった。
早速山根さんと私が婦人に切ってもらったドリアンを食べた。柿原さんと安芸さんは臭いから といって食べなかった。しかし私はそれほど臭いとは思わなかったし、食べれば風味があるし、その柔らかさから「果物のチーズ」と呼ばれるゆえんに納得し た。しかし、量が多い。一つの実が大型の明太子の1.5倍以上はあるのでしまいにはくどくなる。
そうこうしている間に柿原さんらはそこの机の横の木の根元をほじっている。なにかシロアリ がいるようだ。私も周囲を探してみると、小屋の入口や天井の梁などにオオキノコシロアリの蟻道が確認できた。まるでイエシロアリのようなくっきりとした蟻 道だ。しかし、ここの婦人は何も気にしていないようで、蟻道を壊した跡もない。子どもが集まってきたので、前日トウさんからシロアリを意味するベトナム語 を言うと、子どもたちは納得していた。
シロアリはベトナム語ではモイ moi という(oの上には^が、iのうえには/が付き、しり上がりに発音する)そうだ。
面白がってついてくる子どもたちを引き連れてさらに奥に進むと、果樹園の奥が墓地になっていて、その手前にドリアンの大木があった。そしてその根元にはかなり発達したキイロマルガシラシロアリの巣があった。山根さんは早速掘りにかかった。
一方その手前の古株には例の黒い土が盛り上げられていて、柿原さんがほじってみるとトビツノシロアリの仲間がこれまたかなり大きなコロニーを作っていた。女王を探すことでは並ぶ人のいない柿原さんは、慎重にこれを解体しだした。
子どもたちの数はどんどん増えてくる。なかにはシロアリの入った土の塊を持ってくる子や私たちの真似をしてシロアリを振り落としては何かしゃべっている子もいる。とにかく好奇心旺盛で、昔の日本の子どもを見ているようだ。
キイロマルガシラシロアリ(中国名・黄球白蟻)は兵蟻の頭が丸く、オーストラリアのグンタイアリ Eciton spp. のような細長くて大げさに曲がった大顎を持っている。グンタイアリのものとの違いは、大顎内縁の中部に左右対称に短い縁歯が1本ずつあることだ。
兵蟻の行動はイエシロアリとよく似ていて、集団的に外敵にアタックするが、噛まれても痛く ない。そしてつぶれると黄色い液がでる。やはり、丸い頭の兵蟻をもつシロアリは生態上の共通点をもつものとの確信を深めた。ひょっとしたらイエシロアリは ヤマトシロアリよりもこのシロアリに近いのではないかとさえ思えた。
手のひらを黄色い液でベトベトにした山根さんの奮闘にもかかわらず、しかし、とうとう女王は採れなかった。一方の柿原さんはトビツノシロアリの仲間の女王を採取した。かなり小型だが胴体が大きく膨らんだ女王がいたが、特別な王台があるかどうかは確認できなかった。
また、このドリアンの樹にはテングシロアリ亜科のシロアリが蟻道や泥線を延ばしていて、これを崩してみると、頭が5角形に見える大型のテングシロアリの仲間が現れた。
テングシロアリ亜科は世界ではかなり多いシロアリで、種の同定には非常な困難があるようだ。先程のなすび型の小型のテングシロアリもこの大頭のテングシロアリもおそらく種はもとより属の同定でも難しいと思われる。
この後、私たちは島内の狭い水路を手漕ぎの小船で行き、メコン川で待つ観光船まで帰るのだ が、この水路の両側に立つ樹木にもシロアリの蟻道がいくつか見えた。樹木の下部は水で濡れているのにシロアリの蟻道があることに驚かされ、当初メコンデル タなどにシロアリは少ないだろうと思っていた私の偏見を恥じることになってしまった。
この日も採取したシロアリが心配なのと、早くシロアリを顕微鏡で見てみたい気持ちもあって、午後はホテル直行となった。そして、夕方にはホテルの部屋の屑箱が土や木切れでいっぱいになった。
今回は私が考案した「シロアリを生きたまま顕微鏡下でじっとさせておく方法」を実践し、これが一応はうまくいった。
ベトナムのトビツノシロアリは以下の点で日本のものと異なる。一つには、コロニーが圧倒的に大きいこと。二つには、蟻道や泥被が発達していること。三つには、種によって兵蟻が大顎を弾くものと弾かないものとがいることである。
それと、見たことのないシロアリも見つかった。いろいろと後で資料を見てみると、大顎の中間が三角にふくらむなどの特徴から Prohamitermes のような風にも見える。よくわからない。


都市部ではこういう建物が多い


梁に蟻道があっても放置される


まな板を置いた切り株に
シロアリがいても気にならない

ベトナムの建物とシロアリ

ベトナムの中流以上の家庭の家はコンクリートとレンガでできている。日本のような鉄筋コン クリートではなく、細い鉄筋を入れた柱をコンクリートで造り、その間をレンガで塞いで壁にするものである。そして仕上げモルタルを塗ってペンキで塗装す る。クリーム色や白、ピンク色が多い。
経済力のある家はエアコンがあるが、そうでない建物では屋根に穴をあけて丸いドーム型の銀色のベンチレーターをつける。日本でも一時期流行った汲み取りトイレの煙突の先につける回転式のアレの大きいものだと思えばよい。町にはこれを扱う店がたくさんある。
農村でも基本的には同じような仕組みの家屋であり、都市と異なるのは、農村部では平屋が多いが、都市部では3階や4階建てが多いことである。
もちろん経済的に下層の人々の家屋は木材を組み合わせた掘建て形式のものが普通で、シロアリが侵入しても気にしないようだ。
コンクリートの家でも、中国のような木製の扉枠が少ないし、寺院でも地方のものではほとんどがコンクリートとなっている。だから当面はシロアリをとくに駆除する必要がなさそうである。
そのうえイエシロアリのように集中的な被害をもたらすものが少なく、大きな被害が少ないようにも見える(といっても確信はないが)。
ベトナムで遭遇したこと、思ったこと

とにかくひっきりなしにバイクが走る


バイクも自転車もバスも一緒に走る


「象の耳」と呼ばれる魚


「象の耳」のから揚げ


「象の耳」はこうして食べる


ライスボールを割ったところ


ライスボールはゆっくりとできてくる


フォーそのものはうまいのだが


独特な味のビール「333」
ベトナム語ではバーバーバーという


日本料理店にいた日本人青年(中央)


似たようなデザインのドン札



アバウトで成り行きまかせの道路

とにかくバイクが多い。深夜から明け方を除けば四六時中町にはバイクが走っている。暴走族が途切れなく走っているのと同じだし、毎日がお祭りのようだ。ハンカチで覆面している男女が多い。2人乗り3人乗りはあたりまえ、4人乗りだっている。
暴走族と違うのは、バイクの多くが50ccクラスのカブやスクーターなどおとなしいもので、街中では速度も遅い。50cc以下は免許もいらないという。
信号は非常に少なく、常に警笛を鳴らしながら適当に車やバイクが交わったり離れたりする。ホテルから道路を見下ろすと、まるで蟻道を走るシロアリの列のようでもある。ぶつかるでも離れるでもなく常に一定の速度で流れている。見ていても飽きない。
しかも、中にはUターンする車や横断するバイクもある。歩行者や自転車もバイクの流れの中を平然と横切る。横断する際は、止まるでもなく走るでもないのがいいらしい。私もなんとか渡れるようになったのが不思議なくらいだ。実際事故は少ないという。
乗合バスの乗り降りもゆっくり走りながらであるし、一時停止というのもほとんどない。

象の耳とライスボール

ミー・トーの町外れに外国人がよく訪れるというレストランがあるというので私たちはそこで昼食をとることにした。
リバーサイドの席を確保した私たちはまず先程のタイ・ソン島でみた「象の耳」という名前の魚料理を食べた。日本でもイズミダイという名前で有名なティラピアのヒレを長くしたような平たい魚だ。油で揚げたものを皿に立てて持ってくる。
私たちが早速みんなでつつき始め「薄味だなあ、醤油がないのか」などといっていると、あわてて担当の婦人がやってきて食べるのを制止した。彼女はライスペーパーにキュウリなどとともに魚の身を包んで生春巻きのようにして私たちに差し出した。まあうまいといえばうまい。
たまげたのはライスボールだ。茶色のボーリングのボールのようなものが運ばれてきた。つつ いてみるとふわふわと風船のようだ。再び先程の婦人がやってきて、まずハサミを入れた。中は空っぽ。下の方にもち米の白い柔らかなものがある。婦人はにこ やかに真っ二つに切ると、片方ずつまるで富山の薬屋さんの紙風船のように折り曲げた。そしてそれをチョキチョキとハサミで切ると、お焼きのようになった。 食べるとほのかに甘く誰もがうまいといった。
安芸さんが彼女の動作の一つ一つを写真に取ろうと作業をストップさせるので、彼女は笑いながら困惑していた。

フォーには葉っぱを入れるな

ベトナム料理で有名なのはフォーといううどんだ。22日の夜、ベトナムでの最初の食事をとろうと「フォー2000」というファーストフードの店に出かけた。
フォーはきしめんを更に細くしたような柔らかなうどんで、それ自体は味も食感も最高である。スープもまあまあの味。そのうえ1杯が14000ドン(日本円では約112円)とべらぼうに安い。
しかし、薬味として別の皿に盛られてきた野菜にはまいった。とくにミントのような形の葉っぱを入れたら香草のような強烈なにおいが定着し、翌日の朝まで口の中にまとわりつき、ゲップのたびに気持ちが悪くなった。
だから、ホテルのレストランのフォーの無料サービス券を利用する際にも、葉っぱは一切入れなかった。

「333」と日本人

日本人の観光客は多い。大きなレストランや空港では日本人が特に目に付いた。
日本人と他のアジア人との違いを言葉で表現するのはかなり難しいが、私でも一目でわかるか ら不思議だ。大体私などはそういう典型的な顔であるらしく、いくら眉間にしわを寄せたり、髪の毛全体を横に寝かせたり、ペンを耳にはさんだりしてみても、 ホテルから一歩通りに出れば、たちまち物売りやシクロ(自転車型のタクシー)の運ちゃんから「コンニチハ、イラッシャイ」と声をかけられてしまう。
レストランでは日本人のグループが写真をとりながら「333」という缶ビールを飲んでいる。一度はあれを飲むのだろう。私たちも行きの機内でこれを飲んだ。塩っ辛いような味で、とても全部飲めなかった。
なぜ「333」なのかとガイドのトウさんに聞くと、内容量が333mlだからというが本当かどうかは怪しい。ちなみに「555」というタバコがあるし、中国で「666」といえば有機塩素系殺虫剤のBHCである。
私たちの利用したニューワールドホテルには日本食レストランがあるが、ここにはベトナムに 来て4日目という日本の青年が働いていた。4日目にしては動きにそつがなく、おそらくこういう場数を多く踏んでいるのだろう。若い頃のさだまさしに似た彼 はレバノンとかシリアといった中近東で働きながら暮らした経験があり、日本人客に気軽に話し掛けていた。たとえ日本食レストランでも日本風の服装の割に言 葉があまり通じないベトナムのお姉さんではなく、こういう多方面に通じる日本人がいてサポートしてくれるのはありがたいことであり、気の休まる思いであっ た。

ドンは扱いにくい

ベトナムの通貨はドンという単位だ。1ドンは0.008円である。数名でレストランで食事 すると、合わせて数十万ドン、ホテルで両替すると1万円は約125万ドンとなる。そのうえ最高紙幣は5万ドン札しかないのでかなりの枚数の紙幣となる。支 払いのたびに頭の中がショートするし、お釣りをもらうのも面倒になる。
米ドルも一般に通用しているが、硬貨というものがない国なので、ドルのお釣りはドンでどー んと来る。ドン札の絵柄はほとんど同じですべてホーチミンの肖像だ。20000や2000といった区別しにくい数字とわずかな大きさや色の違いで区別しな ければならない。慣れればいいかもしれないが慣れようとも思わない。
タン・ソン・ニャット国際空港の出発ロビーには免税店があり、ここではドン以外にもドルや円も使えるが、お釣りはもちろんドンで返される。だから、余ったドンの回収用とも思われる「募金箱」まで用意されている。