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いきなり吸虫管で荷物チェック 2000年10月6日から10日まで、中国は北京・瀋陽を旅行した。当初住友化学のA氏からこの話があったとき「シロアリのいないようなところは気が進まない」といって断ったのだが、「シロアリの北限の調査をしましょう」とかなんとか言われて、とうとうでかけることになった。 もちろん文献によれば北京にもシロアリがいることになっている。どんなシロアリかというと、棲北散白蟻または黄胸散白蟻と中国で呼ばれているヤマトシロアリ Reticulitermes speratus だ。ちなみに中国におけるシロアリの北限は、発表されているものとしては遼寧省の丹東というところで、北京はそことほぼ同緯度。まあ、海南島のようにザクザク採れないのはわかってはいるが、せめて公園などの腐木でも探ってみようと思っていた。もちろん万が一にも見つかれば新記録ものだし、日本の種と同じかどうかも確かめたい。 この旅行にはシロアリ駆除会社や薬剤メーカーなどの人々あわせて10名が参加し、A氏が団長で、私は副団長ということだ。一応、シロアリの研修旅行ということになっている。だが、みんなの服装などを見ると、どうやら採取用具などを持ってきたのは私だけみたいだ。 そしていきなり、瀋陽から北京への飛行機の乗換えに際して荷物チェックに引っかかり、トランクを開けさせられた。だいいち、私の自作の吸虫管はオオシロアリ科 Termopsidae でもイッパツで吸い込めるように大きさも形もダイナマイトのようだから無理もない。そのうえパソコンやらなにやらのコード類もぎっしり入っている。結局、検査官の前で「昆虫を吸うものだ」といって口にくわえて見せて難なきを得た。 北京に着いたときには日が暮れていて、中国風の派手なネオンが輝いていた。だからこの日はみんなで食事をしただけでホテルに入った。まあとにかく無事に到着してホッとしたのもつかの間、現地案内人の楊氏によると、日本の中部でかなり大きな地震があったとのこと。私は不安で食事も喉に通らなかった。そういえば、関西空港を飛び立つとき、我々の飛行機が滑走路の真中で止まったまま大きくゆれていたことを思い出した。そのときは強い横風が吹いたと思っていたのだが、あれが地震だったのだ。大阪であれほど揺れるのだから、中部地方は大変だ。 一方、団長のA氏らはさかんに夜の観光の段取りに余念がないようだが、私は常にそういうものに興味がなく、 むしろ部屋で地元のテレビ番組をじっくり見ることのほうが楽しいし、また、ちょっとした面白い情報も得られることもある。ドラマだって面白い。民主運動をして牢屋にぶち込まれた差川哲朗似の大学講師と星野智子似のその妻の物語や毛沢東、周恩来、鄧小平らのそっくりさんによる歴史ドラマもやっていた。 そうして皆が夕食で飲み残した度の強い白酒をちびりちびりやりながらテレビを楽しむというのは、本当に心が安らぐ。外国からの衛星放送も見ることができ、CNNでは日本の地震について報道していた。映像には米子市のがけ崩れが映っていて、地震は中部地方ではなく中国地方だったことがわかった。被災地の方々には悪いが、本当にほっとした。 中国のホテルには、原則としてシングルルームというものがない。今回はツインの部屋を一人で使うのだからかなり広い。おもいっきり足を伸ばして大きなおならをし、15階の高さから夜景を眺めてはまたちびりと酒を飲む。そして深夜まで20以上もある多種多様なテレビ局の放送を順繰りに見る。中国まできてカラオケなんぞに行く人の気が知れない。 木がなく、気のない観光 朝、部屋のカーテンを開けると空は曇りで、市街地には一面靄(もや)がかかっていた。「燦然たる朝もや、光り輝く北京にたなびき‥‥」と文革中の歌に歌われたのがこれだ。私は文革世代だからこういう歌しか浮かばない。 今日は万里の長城などの予定だが、この分では景色は期待できない。しかし、それよりもなによりも窓から見下ろす街路樹の付近には樹木以外に何もない。掃除されすぎだ。散歩に出て木切れでも調べようと思っていたが、なにもないのだ。まあ市街地は期待できないが、万里の長城あたりなら山だから木も多かろうと思った。 万里の長城(八達嶺)に着いた。中国にはあまり太い木はないが、山だから一応木が生い茂っている。しかし、警官もやたらに多い。ちょっと茂みに入ろうとすればたちまち見つかってしまう。やっぱりここは観光しかないか。 午後からは当初の予定であった明の十三陵を変更して、西太后の別荘だったという頤和園に向かった。ここは北京の北西の郊外に位置する広大な公園だ。これだけ広い公園だから木切れや木杭もあろうかと思ったら、今度は一面の石畳だ。樹木はところどころに空けられた土の部分に細い木があるだけで、掃除もされ尽くされている。そのうえ人がやたらと多く、下手なことは出来ない。ここも観光するしかない。 こうしてこの後も市場などを回って一日が終わった。 腐朽が先行する野外の木材 3日目。この日はいくつかのグループに分かれて行動することになっている。私はなんとか観光地のなかでも木切れや杭のある場所を目指して行くことにした。私にはK氏とN氏およびS氏が同行し、あとで団長のA氏が悔しがったほどの美人で若い張女史が案内人だった。ちょっと若いころの壇ふみに似ている。だから張女史の日本語の未熟さはちっとも気にならないし、むしろそのほうがいろいろと都合がよかった。 とりあえず、故宮・天安門はいわば中国旅行の表紙のようなものだから午前中はこれに費やした。 私たちは2台のタクシーで故宮に向かった。2台がばらばらにならないかと心配する必要はない。後続のタクシーは信号が赤でも他車をかき分けながらかまわず通りを横断するからだ。 広州でもそうだったが、北京でもトロリーバスが目に付く。中国で電車というのはトロリーバスのことを言うのであって、日本の電車を意味しない。なぜなら中国には電気鉄道がないのだ。電気鉄道というのは平和のシンボルである。つまり、戦争下で電気システムを攻撃されたらすべてがストップしてしまう電気鉄道より、レールさえあれば走れるディーゼル鉄道のほうが交通手段の維持としては安全であり、戦争の可能性がない国だけが電気鉄道に依拠した交通システムを採用できるのだ。 まあ、そんなことを考える間に故宮の裏口に着いた。 故宮もまた石畳ばかりで、なんともならない。裏口から表の天安門に向かって歩くと、徐々に観光客が増え、大和殿あたりからは人の波にもまれだした。 天安門は一般の観光客も上ることが出来るという。私も体形が毛沢東に近づいてきたので、楼上から毛沢東の真似をして手を振って見たい気もあった。だが、入口で手荷物検査があるというのであきらめざるをえなかった。なぜなら私のリュックに鉈やノコギリが入っているので到底通過は不可能だと思ったからだ。 午後、私たちは中華民族園という中国の各民族の家屋を再現したテーマパークへ向かった。案内の張女史も行ったことがないという。 なるほど、ここは人が少ない。穴場といえば穴場、さえないといえばさえない。入場料も高い。しかし、復元物とはいえ木造の建物が多い。これは期待できる。土産物屋の外壁はマツの半割が貼り付けてこしらえてある。しかも、木口は地面と接している。いくつか探ってみたが、しかし、シロアリの気配すらない。 樹木も多いが、どういうわけか柿が多い。それも途中がくびれて二段腹になった柿だ。張女史に「どうしてこんな形か」聞いても、こちらの質問の意味がわかったかどうかもあやしい。 複雑に木組みされた木橋を渡り、やがて日本のテレビでも紹介された洞族の鼓楼を過ぎたあたりから木杭が増えだした。行けば行くほど太い丸太でできた土止めの柵が増えてくる。道端にも太い丸太が転がしてある。もし、ヤマトシロアリがわずかでもいるなら、なんらかの兆候があるはずだ。 しかし結局シロアリの棲息の跡すら見つからなかった。実際、丸太の状態はシロアリの生息する地域のような状態ではなく、シロアリよりも先に褐色腐朽が起き、割れ目にはキノコが生えている状態だ。これは日本でいうなら北海道北部の状態といえる。 北京は秋田県の男鹿半島とだいたい同緯度だが、やはり大陸の気候は日本よりも低温であって、おそらく地面の凍結期間が長く、菌類の活動期間と比べてシロアリの活動期間が極端に短いのだと思われる。 文献で棲息が記録されたヤマトシロアリはいったいどういう場所で見つかったのだろうか。野外での棲息はどうしても考えにくいのだ。 中国のシロアリ研究は新中国成立後急速に広がり、文革のさなかにも途絶えることなく進められたようだ。とくに文革の終息後には「新発見」が相次ぎ、1980年代中ごろには年に50種ほどの新種が毎年「増産」され、現在ではイエシロアリ属が約40種、ヤマトシロアリ属が約70種にものぼっている。そしてこうした新種が他の発展途上国の新種とともに、約2000種という世界のシロアリの種の数を構成しているのだ。 こうした新種記載の根拠はほとんどが外形の違いであり、生態などによる区別はほとんど困難といえる。広州家白蟻 Coptotermes guangzhouensis と広東家白蟻 C. guangdongensis の違いなど、人間で言えば髭の濃い薄いほどの違いもないのだ。ところが、中国の研究者にとって論文の材料となる事物は極めて貴重であるらしく、わずかな変異を論文として発表している。 シロアリがいないことを実証するには数多くの事例が必要だが、いるということの実証はたった一つの事例で可能である。たしかに北京でのシロアリの棲息は文献に書かれてあるように事実なのかもしれない。しかし、それをもって「上海にはシロアリが生息する」というのと同じように「北京にはシロアリが生息する」という結論をだすのは、あまりにも気候風土との不釣合いの感がある。 まあ、そんなことを考えながら北京滞在はあっという間に終わり、瀋陽へ移動した。 瀋陽でアリのカプセル剤 瀋陽滞在は約半日しかないが、「瀋陽には地震ないです。わたし自信あります。信用してください。」とダジャレばかりの敏腕案内人王氏の案内で瀋陽故宮などを見て回った。 瀋陽は琥珀が名産だということで土産物屋ではネックレスなどを見せられた。つい口が滑ってシロアリの話をしたら、アリのはいった琥珀をしつこく売りつけられた。「アリではだめだ、シロアリだ」と何度も言ったのだが、むこうはなぜなのかよくわからないようだった。 広州の市場ではあれだけ虫や生き物の食材がそろっているのに、一般の意識としては中国でも虫にはあまり興味がないようだ。だから北京を案内してくれた張女史もシロアリなど虫の知識はほとんどなかった。 北京2日目に普通のデパートで買い物をしたが、そのとき比較的大きな書店があったので必死に虫の本を探した。しかし、専門書はまったくなく、わずかに青少年向けの昆虫解説書がいくつかあった。そのなかで最も写真のきれいなものを買ってみたが、中の写真の多くは日本など外国の本のパクリであった。 以前上海でアリを材料とした薬が販売されていたのを思い出して、瀋陽でも探してみた。そして見つけたのがアリのカプセル剤だ。カプセル剤といってもきちっとカプセルに入ったものではない。ビニール袋にぎっしりとアリ(成虫)が入っていて、カプセルだけ別にばらしたものがセットされ、自分で詰めて飲むというものだ。説明書きには野菜炒めに混ぜてもよいとかかれている。たぶん、おそらく家内に頼んでも野菜炒めは作ってくれないと思う。 浙江省ではシロアリ酒があるというが、一度飲んでみたいものだ。アリなどより絶対に栄養が多いはずだ。なぜなら、活動のための最低限の養分で生きる完全変態の成虫に比べ、シロアリはすべての個体が自らの成長も目標として生きる幼虫だからだ。 ようするに、北京より北の瀋陽では最初から虫のことはあきらめ、こうしたことを頭の中で思うだけだった。 まあしかし、中国でのシロアリの北限地域にいたことは確かであり、そうした風土に接したことは無駄にはならないし、また、北海道あたりに行く機会があれば、今回の旅行で見た褐色腐朽が先行するあの腐り方を思い出すに違いない。 ヤマトシロアリが世界で最も北のシロアリであり、わが国がそのもっとも北の北限に位置することも事実である。と同時に、世界でもっとも加害規模の大きなイエシロアリも棲息するし、世界でもっとも特異で生態的な駆除思想の存在する国でもある。にもかかわらず、わが国のシロアリ関係者の多くはシロアリをよくみていない。ヤマトシロアリをアメリカカンザイシロアリだと同定する者すらいる。 いま中国に学ぶとしたら、わずかな違いを論文にしてしまうあの観察眼かもしれない。
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追記 帰国後、中国の知り合いにヤマトシロアリの北京での生息場所を詳しく聞いてみたら、 やはり私が最初に行こうとしていた場所だった。やはり無理してでも行っとけばよかったと今悔やんでいる。 |