20世紀初頭には自然の法則性が大まかに把握されたとはいえきわめて不十分であったので、自然環境を痛めつけるような生産(自然改造)がまかり通った。一時的部分的な成功のために多大な負の遺産を残してしまった。 21世紀の現在では自然環境の維持と合法則的な生産の端緒が開かれ、資源の乱獲・乱掘がコントロールされはじめている。 「そこに資源があれば使っていいというものではない」ということにようやく気づいたのである。ようやく部分的にではあるがネイティブアメリカンの水準に止揚されはじめた現代では、「後は野となれ山となれ」は通用しなくなった。 家を建てるということは自然(地球と生き物)とのバランスなしには考えられない(はずだ)。樹木も土も水も決して作品の素材ではなく変化する生き物である。しかし、目先の欲求や勝手な理屈で造られる家が多くなり、後で居住者が泣くことになる。 技術そのものはまったくわがままではない。家屋の変化そのものもわがままではない。かつての民家に戻せと主張しているわけでもない。わがままなのは他との バランスを考えず1つや2つの優点だけを売り物として推進する思想である。施主の即自的欲求に拝跪して本質的要求に背を向けるやり方である。 たとえば、床下を暖めるということについて本当に多面的に考えられているか。シロアリ対策はもとより、ネズミ、鳥、カビ、コキブリ、ダニなどへの対応が考え抜かれているか。「温度不感覚症候群」といった新しい人間の体の変化に配慮しているか。 「乾いているからシロアリはつかない」とか「○○を設置したから」といった一面的思考はすでに現場で破綻している。にもかかわらず反省はされていない。ほとんど考慮されてもいない。不具合の部分だけ直して切り抜けようとする。これを正真正銘のわがままというのだ。 2004/1
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