「子どもは親の思うように育たないが、親のようには育つ」
最近いちばん感心させられた言葉である。
なるほど子どもは親の思ったとおりには育たない。親のしつけというものが効果を発揮するのは大体3、4歳までで、小学校に行くようになると、子どもはすで に家庭や親という価値観から離れている。これが「3歳までのしつけが大切」とか「三つ子の魂百まで」といわれるゆえんである。
また「"つ"が取れたら他人だ」といわれるのもこういうことだろう。すなわち、一つ、二つと歳を数えている間は子どもだが、九つをすぎて十になったら他人 と同じ独立した人格であるということだ。このあたりから親による頭ごなしの叱り方が通用しなくなり、むしろ他人から叱られる方が効果が大きくなる。
順調に育って二十歳前後にもなれば子どもは親を乗り越えようとし、十代の頃の無目的な反抗心や懐疑心も収まりはじめ、反抗するにせよ順応するにせよ合目的的になってくる。
ところが親とまったく反対の生き方や見解を持つようになっても、どういうわけか大なり小なり親の行動様式や人生観あるいは癖を受け継いで、形は違っても同じような失敗をするのが面白い。これが「親のように育つ」ということであろう。

人の一生は昔から四季になぞらえて語られてきた。今では「青春」だけがよく使われるが、青春の次は燃えるような「朱夏」であり、人生最大の活動期である。 だから「燃える青春」とか「青春の炎」というのは似合わない。青春とは青白い時期であり、まだ燃えていない。苦悶や失敗、誤謬と曲折を力として蓄える時期 である。つまり、思いつきの言葉を口走り、背伸びし、ツッパリ、くよくよと悩むのが自然な姿である。
燃え盛る「朱夏」が終わると色を超越した「白秋」を迎える。「色」すなわち目に見える価値やモノに左右されず、「色即是空、空即是色」という世界観が理解されるようになる。もちろん理解できない人もいるが、筆者のように貧乏で失うものが少ないとすぐに理解できる。
「白秋」で色を超越した後、最後には光も超越して「玄冬」となる。今では「厳冬」の方がよく使われるが、「玄」すなわち黒い冬である。「素人」に対して「玄人」というように、すべてを悟りきって目を閉じる時すべての成就を意味するのである。

青朱白玄の色はこのほか青龍、朱雀、白虎、玄武という東南西北を守る四神の名前にも使われ、中華思想でいう東夷、南蛮、西戎、北狄という異民族に対応させられているし、地相の判断でもしばしば四神相応の言葉も聞かれる。
ちなみに、四神相応の地相をもつ縁起のよい場所とは、東に流水(青龍)、西に大道(白虎)、南に窪地(朱雀)、北に丘陵(玄武)がある場所らしく、朱竹や 高砂などとともに縁起物の掛け軸となっている。今風に言えば、東に氾濫河川、西に政治道路、南に陥没現場、北に崩落斜面、といったところか。

もちろん、風水のように人の考えた図式の方に実際の家屋や自然を当てはめるのは逆立ちしたやりかたであるが、「家や自然は人の思い通りにならないが、人の 行為に調和する」というような言い方はできそうだ。自然を強引に押さえ込めば自然は牙をむいてくるが、うまくつきあえば自然も調和してくる。
家屋のパンフレットには「このように空気が通ります」などと矢印で示してあるが、実際には様々な結果になっているし、同じ構造の家でも違いがでるものだ。 乾燥するはずの床下でカビが生えたりするのは不思議でないし、カビが生えても人の意図しない形でバランスが取れたりもする。
また、2階から物干しができるウッドデッキ風のベランダが、わずか5年そこそこで腐ってしまって危険構造になってしまうということも最近よく見られる。「○○材だから腐りに強い」とか「△△が塗ってあるから」と安易に木材を雨ざらしにした結果だ。
どうやら思いつきのデザインで建てた家はこうして「玄冬」になる前に幾度かの「厳冬」で終焉を迎えることになりそうだ。

2005/3