少数派こそ大事

 某県に出張した際、とあるラーメン店に入った。郊外の道路沿いによくある派手な店である。
 店に入るといきなり、歩き回っていた店員がこちらに呼びかける風でもないが、馬がいななくように

「イヨー、1名様デース」「ショッケノ購入オネガシぁース」

とのこと。どうやら先に食券を買えと言っているようだ。
 券売機が1台しかなく後続の客が来たので、あまり選ばずに適当なボタンを押した。
 券を買って席に着くと、店員がやってきて何か早口で言いながら食券の半分を持っていった。
 何を言っているかよくわからなかったが、あまり大事ではなさそうだから聞き流した。

 しばらくして正午を過ぎたせいか客が増えだした。

「イラッシャアセー」「イニョー、2名様デース」
 
といった声が飛ぶたびにあちこちの店員が声をそろえて「イニョー」と叫ぶ。
 面白いからメモってみた。

「イニョー、サイチデース」「マラハイリマース」「イニョー」
「オネイシマース」「エソ1マイデース」「イニョー」
「シレシマース」「ラインマース」「イニョー」
「エ、サライテマース」「オラ、ハイリマース」「イニョー」
「ハウハウドーゾ」
「タイヘンオマタチマシタイジョデオシカッタデスカ」

 マニュアルで決められたであろう定型句が途切れることなく続く。
 ラーメンの味ほとんど覚えがないが、この雰囲気は脳裏にこびりついた。建物は和風だが言葉は東南アジアのようだ。
 「大盛り」といったら「何グラムですか」とコメの重量を聞いてきたカレー屋の店員にも面食らったが、こういう所に抵抗なく通う人はよほど頭がいいのだろう。そしてそういう人がここでは多数を占めていて、私のようなものは少数なのだろう。
 我々高等生物ですらいちいち食べ物の栄養量など考えないのに、「断熱材はシロアリの栄養でないから食べるはずがない」と主張した某建築士のような人たちが、こういう店にしょっちゅう行くのだろう。

 しかし少数派というのは非常に重要である。それは誰でも少数派と多数派を行き来しているからである。政権党の支持者でも、町内会では特殊な利害のために 少数派になっていることは普通だし、趣味の世界ではほとんどが少数派であるし、それがまた快感でもある。そしてそういう少数派が多数いる多様性が場合に よっては大きな意味を持つものだ。

 シロアリの世界でも同じだ。
 ほとんどのヤマトシロアリは5月の前半を中心にした時期に羽アリが群飛するが、なかには1ヶ月以上早いものや遅れるものがいる。今年も6月24日にヤマ トシロアリの羽アリに出くわした。かつては11月にイエシロアリの羽アリがでた現場もあった。これらはシロアリではごく少数派である。
 しかし、彼らか少数派であるのは多数派と異なる時期に飛び出せば生きていく可能性がほとんどないからである。ところが、気候の変動が起きて雨の時期や温 度の分布時期が変わった場合は、この少数派こそが主流派となり多数派となるわけだ。3億年生き抜いたのにはこうしたところにも根拠がある。
 今年は生物多様性条約第10回目締約国会議すなわちCOP10が名古屋で開かれるというので、マスコミにもしばしば生物多様性維持についての記事が見られるようになった。しかし相変わらず里山とか干潟といった場所に限定された内容が多い。
 たんにアリが家の中に侵入しただけで実害もないのに大騒ぎして薬剤を撒き散らすとか、ヤマトシロアリにちょっとかじられただけであたり一面のシロアリを絶滅さるシステムに飛びつく傾向には、生物多様性の論議はなかなかかみ合わない。
 ビオトープが流行った時もそうだったが、生き物との共生は常に生活と切り離されていた。そして逆に身の回りの生き物を嫌う傾向は年々進んだ。
 人々の生活空間からは土が排除され、湿気が排除され、コンクリートで固められ、多様な生き物の生活条件が一掃された。ところが生き物はたくましいもの で、人間の構造物のわずかな隙間を利用して生き抜こうとする。しかし人間の住環境がそういう生き物の動きを想定していないので対応が難しくなることが目 立っている。基礎断熱しかり、高気密しかりである。
 そしてマスコミによって、「エコ」で「多機能」な住環境が善(または先進的)で、そうでない住環境は悪(または時代遅れ)であるかのような画一性が押し付けられている。しかもそれはエコポイントがどうのといった業界と政府の陰謀が背景にある。
 どうも最近の住環境についての論議は前記したラーメン店の言葉のように分かりにくいものになっている。マスコミに流されず、自分から情報を得て、自分なりに考える少数派がますます必要なようである。

2010/8