国語の辞書で自然をひくと、「ありのまま」とか「人工以外」「人間の手が入らない状態」といった説明である。国語的にはそれで間違いはない。 しかし、実際に適用しようとするとおかしなことになる。なぜなら人間だって自然の外のものが意図して作ったものではなく、自然の進化のなかから生まれた自然物そのものだからだ。 自然を客観的に定義する場合、人工的か否かで分けてしまうと、いつまでたっても国語の範囲から脱出できない。これは生産という定義を「物を作ること」とするのと同じで的確でない。 そうした点をふまえて自然を考えると、自然とは地球(範囲を広げれば宇宙)の自己運動とそれに適応した生物活動の総体ということができる。 風が吹くのも雨が降るのも地球の運動であり自然である。また、そうした環境をうまく利用して生きる動植物もまた自然である。空気の動きがなくなると植物は 窒息するし、台風が来なくなると沖縄の珊瑚は育たなくなる。なかには地球の毒性物質の中で生きる生き物すらいる。そしてこうした動植物の一員として人間が 生きている。 自然の定義がそうだとすると、非自然とか反自然とはなんだろう。人工的なものと考えるべきか。人工が非自然なら、人間の巣である家屋は非自然ということに なる。しかし、そうではない。たとえば、人間が何かを作った場合、それが地球の運動の法則性に適合し、生物バランスに大きな影響を与えないなら、必ずしも 自然でないとはいえない。 人工ではあるが自然である。一見矛盾するようなこの実体は、日本の里山や水田、かつての民家などとして実在していた。また東洋医学的な価値観にも通じている。 漆喰がいいとその効能を声高に主張したある建築士がいたが、よく聞けばボードの上に漆喰を塗るという。こういうのは非自然であろう。 また同じ人が浴室の壁や天井にヒノキ材を使うという。密閉されがちな現代家屋でそんなことをすればすぐに変色して見苦しくなる。張替えを予定しているならいいが、そうでなければやはり非自然である。 つまり、自然の素材を使うことが自然ではないし、人工物を使うことが非自然でもない。家というものが地球の自己運動に適合しやすく、生物とうまくやり取りでき、そこにすむ人間を家畜ではなく自然の生き物として生かすことができるなら、それこそ自然住宅である。 反対に、地球に優しいといいながら、生き物を排除し、人間の免疫系の必要性を奪い、アンバランスな素材の採用で居住者に不要な負担をかけるとするなら反自然である。 2004/2
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