今、CDの空ケースでヤマトシロアリを飼っている。写真をとったり観察したりするのに具合がいい。 ただ、あまりにケースが薄いので、温度変化の大きなところに置くとすぐ死んでしまうし、しっかり密閉しておかないと這い出でくる。 この間も温度変化が少ないだろうと不要な書類の間に挟み込んでおいたら、隙間から這いでた連中が書類をさんざん食い荒らしていた。 セロファンテープで密閉してもすぐ食い破ってしまうのでプラ板などで補強するか、あるいは這いでても困らない容器の中に置かなければならない。 たまたま以前シロアリを飼育していた水槽があったのでその中にケースごと置いてみたらかなり安定した様子。他集団のシロアリが死んだ土だから彼らにとって快適とは言えない様子だが、やはりある程度大量の土に近づけるのはシロアリにとっていいことのようだ。 土は湿度や温度の変化を緩和するし、うまく適応さえすればそちらの方にも生活圏が拡大できる。土に生きる生き物だから当然であろう。 人間を取り巻く環境でも、少々雑草が生えてるいるような土の地面とコンクリート表面と比べれば炎天下の温度は大きく異なるのでコンクリートよりも土のほうが住環境に適しているというのは誰でもわかる。にもかかわらずどういうわけか、近頃の人間は土を嫌い土を遠ざけている。建物から土壁や三和土(たたき)を排除し、床下や敷地もコンクリートで覆っている。 我が家は約40年前の土壁を使った平屋とそれよりも10年新しい外壁が鉄板のユニット住宅の2つの棟がある。夏場にエアコンを付けないとすれば、ユニット住宅ではいくら窓を開けても昼寝は不可能だが、土壁のある棟では可能である。 ユニット住宅でも網戸まで開放すれば風が通って何とかしのげるが、こういう家は軒が出ていないので西日が入り込んで暑い。そこでヨシズやスダレなどをつければやはり風が止まる。しかも温度が下がっても湿度は高いので不快なままだ。 土壁の家で網戸まで開放すればかなり涼しいが、そうしなくてもそこそこ風が通れば我慢できるし、奥の床の間あたりでは壁がやや冷たく、それに体を寄せたり離したりすると気持ちがいい。うちの猫もそうして寝ている。 ユニット住宅では、一旦部屋が熱くなると扇風機は涼しいどころか逆効果。熱い風呂に入っていて湯をかき回すような感じで、扇風機ではなく熱風機に変身だ。 土壁の家では生ぬるい風ではあっても扇風機は扇風機である。 やはり土壁はいいものである。しかも我が家はユニット住宅の床下も含めて地面がすべて土だから、少し陽が陰ったら打ち水をすればかなり涼しくなる。 このところ節電のためだと言って扇風機がことさら宣伝されているが、たぶんコンクリートと建材だけの建物では熱風機になってしまうのだろう。被災地では避難所に扇風機が設置されたと言うが、場所によっては効果がないかもしれない。どうせなら扇風機などとしみったれたことを言わずにすべての避難所に大型のエアコンぐらい付けたほうがいいと思う。どこかのパフォーマンス市長が被災地に電気自動車を送ったのと比べれば意味があると思う。政府にとって大した金額ではないだろう、米軍への思いやり予算をすこし被災地へ回せば足りるのだ。 もっとも、政府の復興構想会議のメンバーには巨匠とよばれる建築士が名を連ねていながら、仮設住宅においては障害者が生活できない設計だとか、雨の日に出入口が濡れてしまう設計がまかり通っているのだから、どこか大きなところで混乱していてるのかもしれない。 中国の年配者はよく「錦上に花を添えるのでなく、雪中に炭を送る」という言い方をする。毛沢東の『文芸講話』の一節が元になっているが、こういう視点がまずは必要だ。 エアコンについてはまったく逆の話になるが、かつて私の家で室内に置くコンパクトなエアコンを使ったことがあった。頂き物だからと試しに動かしたが、ユニット住宅の7.5畳間は温度が下がるどころか暑さがみなぎって浴室のような状態になった。それはエアコンの前面から冷気が出るものの背面からはそれを上回る熱気が出たからだ。 エアコンというものは建物の外に熱を捨てるからその分室内が冷えるのであって、熱を捨てない密閉空間で動くエアコンは周囲の温度を上げるものだということがよくわかった。ということは、エアコンの数が増えれば地球規模で我が家の7.5畳間と同じことになるのではないかと危惧している。そして暑い日ほど建物や車のエアコンが外に向かって一斉に熱を出す。ひょっとしたら地球温暖化の主因はCO2ではなくエアコンではなかろうかと夏になるたびに思うのである。 以前アフリカでシロアリの塚の空調機能を人間のビルに適用できないかという試みがあると聞いたが、その後どうなったのだろうか。 シロアリの塚は極めて巧妙に空調が実現できている。空気の通り道の工夫、土の調湿機能の利用、菌類との共生などによって、そこそこ涼しく、そこそこ暖かい環境を実現している。このエネルギーを使わないシステムは、シロアリが数億年にわたる自然とのやりとりの中で獲得した技である。 シロアリはこのシステムを作るのに、設計図があるわけでなく、膨大なデータとにらめっこしたりしているわけではない。シロアリ社会にスーパーコンピュータはないし、キョショーとよばれる建築士シロアリが口角泡を飛ばして指揮しているのでもない。シロアリは、一頭一頭がただ淡々と当たり前の仕事をこなすだけでこのような優れたシステムを構築するのである。 しかし哀しい哉、万物の霊長である人間は、この活動水準にはまだまだ、まだまだ、はるかに、はるかに及ばない。 人間はたまたま見つけたいくつかのエネルギーや技術に酔いしれて、それらに依存しすぎているのかもしれない。 そうした文明の延長上ではおそらくシロアリの「技術」は応用できないだろう。 なぜなら、シロアリの塚は人間の住環境と正反対に、微生物も含めて多様な生き物の統一体であり、また、快適さではなく雪中の炭と同じく必要最低限の環境の維持であるからだ。人間の得意とする規格化や正確性と正反対の個別適応とアバウトなバランス感覚(役人が最も嫌うやり方)が根底となっているからだ。 もしも人間がシロアリの空調を実現できるとするなら、まずは床下も含む住環境に土を呼び戻し、多様な生き物の生息を認め、建物を商品とするのでなく建てること自体の価値と多様性を認め、そこそこの温度に満足する生き方に立ち返らなければならない。 2011/6
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