「産」は「産」、「学」は「学」

 6月17日の中日新聞にJT生命誌研究館館長の中村桂子さんが足利事件のDNA鑑定にふれながら「”科学的=正しい”は危険」というわかりやすい文章を寄せている。
 ここでは科学というものの特徴として二つあげ、「一つは、まだわかっていないことに挑戦し、それを少しずつ解明していくもの」であり「もう一つは、科学は部分的な問題設定をしてそれを解く方法だ」としている。
 そのうえで、たとえば「”がん”を知るには、特定のがんに関わる特定の遺伝子を捉えるなどの作業を積み重ねていく」ほかなく、「がんとは何か」という全 体的な問いにそのまま答えるアプローチはない。一方では一般社会が科学に期待することは「一つはすぐに役立つこと、二つめは正しい答えを出すこと」でこの 違いに気をつけるべきだと指摘している。
 そして「科学は、自然や人間を理解する重要な方法である。しかし、とくに全体を問うような場合には、科学的=正しいとするのは危険である。テレビなどで も、この種の番組が少なくない。科学的とは、常に問い続ける姿勢をさすのだということをあらためて指摘したい」と結んでいる。

 これはシロアリ対策についても重要な視点であり、シロアリの研究に関わる研究者の発表内容もこうした視点で捉えることが大切だといえる。
 これまでも、炭の液などの「防蟻効果」やシロアリの生態に関するいくつかの研究者の発表内容が駆除現場の実際と大きく異なることがあってしばしば混乱を生じてきた。
 研究者の発表にはそれ相応の科学的根拠があるのだからそれはそれとして正しいのだろうが、それがそのまま現場に適用できるわけではない。とくに建材メー カーなどのパンフレットに書かれる研究機関の試験結果は、ことシロアリに関して言えば眉につばをつけなければならないものが多かった。
 またこれまでも何度かあったが、一連の研究から新しい駆除技術の萌芽のようなものが見出されると、いきなり「画期的な駆除技術」と断言されてしまう。最 近でもブドウ糖によってシロアリの免疫を撹乱して駆除できる(かも)という報道があったが、あくまでまだまだ萌芽状態であって解決すべき問題は多い。しか もしばしば見受けられるのは、発表内容は「画期的」でも研究者の発想そのものが従来の薬剤大量散布と同じ古くさい発想のままだったりすることもある。
 もちろん研究者のシロアリについての発表の中には地道に積み上げてきたものも多く、これらはとくにシロアリ対策を意識していない(むしろそのほうがいいが)にもかかわらず、シロアリ対策に大きな示唆を与えることが多いものもある。

 一方、我々のような現場技術者は個別の研究を積み上げているわけではないので科学的という言葉がなじまない。しかし現場では、シロアリの動きを読み、こ れに働きかけて思い通りの駆除効果を上げなくては我々自身生きてゆけない。そして「ヤマトシロアリはゲリラだ」とか「蟻道は外骨格のようなもの」などとお よそ科学的でない言葉を使いながらも、結果は大体予想したものが得られるし、駆除を繰り返す度に正確さを増すのが常である。
 この場合は研究者とは逆に「ガンとは何か」という全体的な問いに答えるような俯瞰から始め、「当たらずとも遠からず」を出発点に実践の中で修正してい く。そして最後には分析したわけでもないのに「この巣は若い(あるいは古い)」とか「根本巣は他にあるはず」とか「放っておいても死滅する状態だった」な どの評価をする。駆除を手分けして行わず一人が中心となって行う意味がここにある。
 ときとしてシロアリの非常に特異な行動によって自分の判断が打ちのめされることもあるが、その度に一つ利口になり確信になるのである。
 だから、駆除をまともに行ってきた技術者なら「炭の液に防蟻効果がある」とか「基礎パッキンが蟻道を阻止する」などと聞けば、たとえその主張がどんな試験によって裏付けられたものであろうが眉につばをつけたものである。
 しかもシロアリ対策というものは、たんにシロアリの駆除だけすればいいというものではない。居住者の諸事情や根本的な要求、建物の特殊性や環境、他の生 物との関係などとのバランスのなかで個別に判断して行うべきものである。安全と言われる薬剤でも使えない現場もあれば、そのままでは投薬すべき場所が見つ からない現場も最近は目立つ。しかもこれからはたとえ人間に安全な手段であっても、むやみに生物相を変えるようなことはすべきでない。
 だから、研究者の側からどんなに優れた駆除技術の萌芽が生まれても本当に画期的なものになるには先は長い。むしろ社会からの要請を無視して多面的にゆっくりと研究をしていただきたいものである。
 いわゆる「産学共同」からはあまり良いものは生まれないように思える。炭の液の「防蟻効果」などは「学」が「産」の下請けになっているように見える。やはり「産」は「産」、「学」は「学」のほうがいいのではないか。
 

2009/6