こんなことなら実験など要らないではないか。おせっかいにもほどがある。 ついでにいえば、娘の学校では口頭で言えばいいようなことまでいちいちクラス通信にしてある。教師のいうことを聞いていなくても「後で読めばわかるように配慮」してある。これもおせっかいだ。そして教育的な配慮だけがない。 教師の言うことを聞き逃すとどうなるか、実験を見逃すとどうなるかというのは、生徒が経験して学ぶ大切な項目だ。 おせっかいといえば、最近の子ども部屋はその代表格だ。すべて整っているから壁に釘一本打つ必要もない。自分で使いやすいように部屋を改造する必要もない。 あるテレビ番組で紹介された家では、子ども部屋の壁をコルクにして画鋲を刺しやすいようにしたという。それじゃ、子どもは後で抜きやすいように工夫する余地がなくなるではないか。 逆に、使いにくい部屋にすると、本当に子どもにとってはいいことだらけだ。どこからか木切れを拾ってきて棚をつけたり、いろいろ考える。ビス止めや釘打ちもうまくなる。場合によってはドアの取っ手の取り替えや壁紙の張り替えもできてしまう。 こんなにいいことがあっても、おせっかいな部屋がいいというのだろうか。子どもの成長を願うなら、やっぱり不便な部屋が一番だ。 2002/9
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