愛知県は三河と尾張の連邦
前から気になっていたことだが、愛知県から来たというと「名古屋はいいところですね」とか「私も名古屋に行ったことがあります」などといわれる。しかし愛知県=名古屋ではない。
愛知県は名古屋を含む尾張地域と私のいる三河地域とに面積的にも東西ニ等分されている。
三河と尾張は言葉も気性も異なる。家康(三河)と信長(尾張)との違いというと誤解を招くが、日本の東西文化圏の違いすら感じる。
東半分を占める三河の言葉には、名古屋のような「みゃー」も「ぎゃー」も「だがね」もなく、その抑揚の影響すら受けていない。三河弁の抑揚はむしろ江戸弁 や広島・山口弁に近く、一説には江戸弁にかなりの影響を与えているとも言われている。その特徴は「じゃんだらりん」といわれ、「○○じゃん(です)」 「××だら(でしょう)」「○○せりん(しなさい)」となり、アイスクリームが溶けそうなときは「ダラダラだらぁ」という。
つまり愛知県は尾張と三河の二つの異なる文化風習を持つ県であり、その違いは博多と小倉、宮崎と延岡、大阪と京都、浜松と静岡の違いよりもはるかにはっきりしていて、まるで2つの民族の連邦のようである。
そして、エビふりゃーやきしめんは尾張の名古屋原産だが、八丁味噌はわが三河の岡崎原産(岡崎城から8丁離れた八帖町で作られる)で、味噌ダレのかかったエビふりゃーや味噌煮込みきしめんは両民族の平和共存の賜物である。
三河の名前は江戸時代の観光案内には豊川、おほや川(男川)、矢作川の3つの川が流れるからだと書いてあるが、それは俗論で、矢作川流域(今の西三河)は もともと美川(廻川・御川)の国と呼ばれていた。律令時代にこの美川の国が隣の穂の国(豊川流域=東三河)を吸収合併する形で美川の国となり、後に往来の 増加とともに前記の3本の大河が意識されて「みかわ」の読みに三河の文字が当てられたという説が有力である。
ちなみに穂の国の政庁(国府)は私の母校の建つ豊川市国府(こう)町にあった。だから母校は国府高校(こうこうこう)というタクアンのような名前である。穂の国というぐらいだから「そうだね」が「ほだね」、「それが」が「ほれが」となまる。
これほど三河と尾張が異なるものなのに、以前見たサスペンスドラマでは三河を舞台にしながらも、地元の人が平気で名古屋弁をしゃべっていた。あるいは「みゃー」「ぎゃー」がなくても「だがね」があったり抑揚が名古屋弁だったりする。

人間世界でも隣り合ったものがこれほど異なる文化を持つのだから、シロアリの世界ではあたりまえである。
もともと同じ木材に生息していたヤマトシロアリが何らかの環境変化で分断されて別集団となった場合、これらの集団の行動エリアが再び重なって個体同士が接 触してもさほど大きな抵抗はなく、割合すんなりと融合してしまう。しかし、生息していた木材が異なる集団同士の個体が接触するとしばらく興奮状態が続く。 木材が異なればそれに応じて一定の体質的な変化をもって適応しているようで、三河と尾張のような違いが意識されるのではないかと思う。
研究者によれば体表炭化水素の組成の違いで他の集団、他の種類を認識するというが、体表炭化水素の組成はかなり複雑で人間の指紋ほどの個性を表しているようである。
イエシロアリではヤマトシロアリに比べると集団の排他性が非常に強く、他の集団の個体を混ぜると猛烈に興奮状態となるが、しばらく放置すると沈静化する。たぶんこの興奮度合いは、出身環境の違いの程度に左右されるのではないかと思う。
星野伊三雄氏はイエシロアリの異なる集団が相対したとき、互いに戦い続けるのでなく最後はうまく融合するだろうというが、まったくそのとおりだと思う。中 国でもイエシロアリの女王を異なる集団の中に入れた試験をしているが、最後にはその女王が扶養されるようになったという。
こうみてくると、シロアリ社会の方が人間社会よりもはるかに他集団、他民族をスムーズに受け入れるルールが確立しているように思われる。

2005/6