可動式は可動か?
築30年の我が家には引き出し式の洗面器具がある。トイレの手洗いスペースがないので、床屋の洗面台を流用したものだ。当時としては画期的な発想で、訪れた人はみな感心して帰っていった。
しかし、ほとんど使われていないので、たまに使うと赤茶けた水が出るし、今では排水用のホースが破れて水が漏れる。では、どこで手を洗うかというと、客以外は隣の台所のシンクで洗ってしまう。
便利なようで便利でない。これが可動式設備の特徴で、いろいろなお宅を拝見するとますますそういう気持ちが確信となる。
人数に合わせて大きくなる可動式のテーブルは、たいてい大きいまま物を置く台になっているし、収納式ベットはしばらくすると必ず収納されなくなる。床下収 納庫ですら使われている率は低く、ましてやテーブルを移動しなければ収納できないものとなると10年単位で放置される可能性もある。
収納をついでに考えると、収納もたくさんあればいいというものではない。入れ物が多くなるほどしまい込まれるものが増えるだけである。何一つ整理には役立 たない。だから、可動式の床下収納が便利だと思うのは最初だけであって、結果としては放置されてゴキブリやねずみの温床となることうけあいだ。
そもそも、家の機能に喜びを覚えるのはわずかな間だけで、建物への情熱を失うと、すべて「大体」で済ませようとするのが人間のつねだ。
リフォーム番組などに登場する設計者らはアクロバットだけが売り物の自分の設計に酔いしれてはいるが、肝心の人間のありようをまったく見ていない。「大体」で住み始めた場合、可動式や可変式ほどうっとうしいものはないのだ。
高気密高断熱は、確かにそれ自体魔法瓶ではないし、べつに人間の健康を害するわけではない。それ自体はそうだ。しかし、人間のありようという視点から見ると、魔法瓶でないものが魔法瓶になったり、とくに害のないものが不健康に導いたりもする。
現にふつうの家ですら、窓を開ける換気がどれほど行われているかといえば異常なほど少ない。掃除もあまりされない。とくに若者の部屋ではそうだし、家庭教 育力の低下のなかで「子ども天国」になりがちだ。そして「温度不感覚症候群」へとつながる。魔法瓶ではないはずのものが魔法瓶として使われている点を作る 側は考えるべきだ。
人間は文明の力で思いどうりのことができるようになった。「快適」さは確かに手ごろに実現できる。が、だからといってそれを人間のありようとのかかわりで 吟味もせず実践していいものかどうか。ひょっとしたら、家屋についてはいまだに欲望と機能だけの列島改造時代の遺物がまかり通っているのではないか。
2003/3