ハッカーこそ人の道

 定年後の中高年の方が「ひとつパソコンでも勉強してみるか」といって最新のPCを買いに行くというのがよくあるが、たいていうまくいかない。
 PCを使えばなにか便利になると思っているが、それが大きな勘違い。実際はワープロなどたった一つのアプリで疲れてしまって負担を感じるだけ。そして挙句の果てに「これだけ多くの機能を使いこなす人がどれだけいるのか」とため息をついてしまう。
 そしてやがて、最新で多機能なPCは、時々DVDやネットを見るだけの機械となってしまう。
 一方、中高年でも日常的にPCを使っている人はたくさんいる。メールでやりとりし、サイトを運営し、文書を作成し、動画や音楽を編集する。「パソコンが難しい」という人から見ると「かなり使いこなしている」と見られる。
 同じ世代にもかかわらずどうしてこういう違いが出るのか。そこには大きな姿勢の違いが見られる。

 「使いこなし」派の中高年には以下の特徴がある。
 まず使用目的がはっきりしている。他人に自分の写真や文章を見せたい、整理したいという強い欲求がある。そしてそれを評価してくれる人がいる。
 あるいは、家族や友人とのイベントや旅行の企画を任されているとか、趣味などで遠くの友人と常に連絡をとっている場合もある。
 つまり、PCを使う動機が大きい。どうしたらより効率的にできるか常に考えている。
 だからたとえば、Ctrlキーを押しながらマウスのホイールをコロコロさせるとスムーズに拡大縮小表示するとか、ファイルの移動・コピーをマウスの右ボタンで行うとその都度コピーか移動かを選択できるとか、テキストのダブルクリックで単語を、トリプルクリックで段落を選択できるなどの小技をいくつかは使っている。
 また「使いこなしている」ように見えても、それは使える部分を使っているだけ。ようするに、自分が主人公であってPCは道具に過ぎない。

 一方、「パソコンが難しい」派の中高年は以下の特徴がある。
 人並みに使いたい、人の話題について行きたいが、自身の生活でどう使うかが曖昧。評価してくれる人もいないし、中には家族から冷たい目で見られているかもしれない。
 とくにPCがなくても普段の生活や趣味に支障を感じない。だいたい「習う」ものでもないのについ「パソコンを習う」と言ってしまう。
 普段の生活でも「決まり事」に流されやすく、脇道に興味を示さず無難に大道しか歩かない生き方。
 つまり、PCを使う動機がない。
 こういう人ではPCが教師で自身は生徒である。説明書やパソコン教室のいうがまま。決められた操作以外はしない。適当にいじってみて「こんなことができた」とはならない。ひらがな入力でいいのにローマ字入力で「ず」と「づ」で悩む。「ティー」はどうやって打つのだと途方に暮れる。
 メールアドレスがあっても定期チェックせずにファックスばかり使う。

 最新のPCの機能が必ずしも自分のしたいことや願望に合うとは限らない。いや、大部分は合わないと思ったほうがいい。
 なぜなら、WindowsやMacには多様性がないので、長大論分を書く人から凝ったゲームを楽しむ子供まで使える機能が入っているからだ。
 町内会の行事案内や名簿などを作るのに、長文の論文作成を想定したWordで作成するのは無駄が多く、不要な機能を調整するために多くの労力が消費される。文頭の位置合わせ、箇条書きの調整、見出しの設定、図や写真のアンカー打ちなど、1枚ペラの文書には本来不要なことばかりだ。
 そこで「やっぱりパソコンは難しい」となってPCから距離をおいてしまうのが「難しい」派の中高年である。
 これに反して「使いこなし」派の中高年ではワープロにこだわらず、いろいろ他のアプリをいじったり、勝手に何かインストールしたりして自分の使いやすいアプリで文書を作ってしまう。
 中高年からPCを使い始めた故星野伊三雄さん(東海白蟻研究所)はいろいろと文書を作るのがうまかったが、ワープロは一切使わず、よくは知らないが当時のMacOS付属のドロー機能で文書を作っていた。
 ドローソフトというのは、文字と図形、写真を組み合わせた文書を作るのに向いていて、複雑な文書設定がないので初心者でも使いやすい。
 しかしドローは、無料のLibreOfficeには付属しているのに有料のMS-Officeにはなぜか付属していない。だから、あえてドローをインストールしていないWindowsユーザーあるいは企業ではWordやExcelで無理やり不安定な報告書や連絡書を作っている。わざわざExcelの罫線を方眼代わりにしなくても、最初から方眼のあるドローソフトを入れれば、図面を書くにも説明を入れるにも、はるかに効率的だと思うのだが…。
 これはスマホも同じで、最初から入っているアプリだけで「難しい」とか「面倒」と言っている間はスマホという機械に支配されたままである。そこから脱却し、難しくなく、面倒でないアプリを探して入れれば自分用の便利な道具になるのである。

 今ではハッカーというと他人のPCに侵入するクラッカーと同一扱いだが、本来は「工夫する人」という意味である。
 生活上の工夫という意味でライフハックという言葉が最近よく使われるが悪い意味ではない。そして、ライフハックをする人もハッカーなのだ。
 LinuxなどオープンソースのOSの基礎となっているGNUプロジェクトのスローガンは「万国のハッカー、団結せよ!」だったが、この場合のハッカーもいい意味である。
 つまりたとえば、部屋に棚をつけるのにホームセンターに棚専用の材料を買いに行くのが一般的だとすれば、古いタンスの底板やダンボールで適当に棚を作ってしまうのがハッカーである。PC分野のハッカーは、既存のシステムやアプリと同じ仕事ができるものを既存のものを流用せずに独自に作ってしまう。
 この工夫する姿勢があればPCを自分の生活にうまく取り入れることができる。
 私の場合、外付けHDはケース入りのものでなく裸のままで買い、PCケース上に設置した自作の木製トレーに収めて専用コードでUSB接続している。これだと2TBのHDでも7千円ちょっとで買えた。また、PCの空気取り入れ口には百円ショップの換気扇用防塵フィルターを貼り付けている。

 シロアリ対策でもハッカーの精神が必要である。
 要するに現存するシロアリ集団の中枢に薬剤を届けさえすればいいのだから様々なことが考えられる。また、シロアリ自体はほとんどどんな殺虫剤でも死んでしまうのだから、中枢部に薬剤が届けられれば、忌避性がどうの、伝播性がどうの、といったことも問題とならない。
 しかし、実際は薬剤の性能に頼りがちで、土壌処理、木部処理、穿孔注入、忌避剤、非忌避剤、即効性、遅効性などの概念にも惑わされる。
 乾材シロアリの駆除には非忌避剤が適していると言明した研究者がいたが、考え方を少し解放すれば家庭用スプレーでも駆除できる。
 同じ処理でもハッカー的な人とそうでない人とは使う道具が違う。我々のような「変人」だと見た目は何に使うのかわからないような道具を自作したりするが、マニュアル志向の業者だと、ありきたりの道具しかない。
 前記した星野さんが「道具を見ればその業者の水準がわかる」と言っていたのはこのことである。
2016/3