杭州・広州シロアリ旅行

神谷忠弘



・・1998年2月、私はシロアリ技術者のY氏、薬剤方面の研究者E教授、薬剤メーカーのA氏とともに中国の浙江省の杭州と広東省の広州を訪ね、現地のシロアリ関係者と交流しました。


速度は遅いが乗り心地は良い


杭州友好飯店の部屋


ホテルの前の風景


窓から見た規則のない交差点


窓からは有名な西湖が見える

杭州へ

・・2月3日、上海虹橋空港に降り立った私たちは、上海駅から汽車に揺られて杭州に向かいました。
・・汽車は2階建てのグリーン車でしたが、落花生の殻などが散乱したままの状態で、車両係の無表情なお姉さんは、私たちが座る前からテーブルに置いてあった落花生の器だけ回収し、「親切」なことに殻はそのまま残していきました。
・・上海から杭州まで3時間の汽車の旅でしたが、皆でシロアリ談義をしていたら景色を見る暇もなく杭州東駅に到着しました。
・・駅は混み合っていて、改札を出るのに遠慮していてはいつまでたっても出られません。ようやく駅を出てタクシーに乗ったころにはあたりは暗くなっていて、杭州での宿である杭州友好飯店のロビーがやけに明るく感じられました。
・・とくにこの日は春節(旧正月)の休みの最中でもあり、飾りつけもにぎやかで、夜でも爆竹の音が聞こえていました。
・・春節には紅包(ホンパオ)という赤いポチ袋でお年玉のようにするのが風習のようで、手回しのいいことにホテルのフロントの女性のところには紅包がたくさん置いてありました。誰かが千円札を包もうとしたら、通訳のDさんから「多すぎます」とたしなめられました。
・・そしてそんな光景を目にしたボーイたちはにわかにやさしくなり、頭のゴミを払ってくれるわ、部屋までついてきてテレビをつけてくれるわ、「いたれりつくせり」でした。
・・翌日部屋のカーテンを開けると、窓からははるかに景勝地西湖が望まれ、歴史のある町の雰囲気がうかがえました。私の部屋の目の前にはビルが立ち並び、正面は杭州の労働組合の本部と土産物屋がありました。
・・窓から見える人々の様子は日本との違いが大きく、いつまでたっても飽きません。交差点はまったく無規則的(中国人に言わせるとそれでも法則性があるという)で、信号が赤でも公共のトロリーバスは止まらないし、信号のないところでは車の前を平気で人が横断するのです。バスから降りた乗客は、日本のように歩道を歩くのでなく、雲の子を散らすように四方八方に散らばるのです。

西湖の遊覧船


はるかに白堤が見える


こういうものはただの売店


本命の三潭印月への乗船場


三潭印月の一角

冷や汗ものの西湖(シーフー)遊覧

・・2月4日の午後、私たちはせっかく来たのだからと近くの西湖を観光しました。
・・この日はAさんは他の仕事で通訳のDさんを連れてどこかに出かけていきました。私たちはその間の時間つぶしでもあったのですが、なにせ通訳なしで西湖を巡ることができるかどうかが問題でした。
・・切符を買って船に乗り込むまでは私の中国語でもスムーズにいけました。しかし、その後が大変でした。
・・船は最初の湖月亭という小島に着くと、そのまま帰ってしまいます。この後どうするのかと船頭に聞いても彼の言葉がよくわかりません。一緒に船に乗ってきた中国人の家族連れはどこかに消えてしまい、どのように見学するのかがわからなくなりました。
・・ようやく船着場のようなところにたどり着きましたが、次の船の切符売り場や乗船口がわかりません。近くのおばちゃんに聞いても意味がよくつかめません。
・・しかしなんとか次の船の乗り場がわかり、最初の切符で船は乗り放題ということもわかりました。
・・西湖遊覧の本命はいくつかあって、なかでも田の字型の島である三潭印月に中国人の多くは行くようです。
・・三潭印月というのはその島の前の湖面に三つの石灯籠が建てられ、湖面の映る灯明と月を楽しむというもので、灯篭の下には鬼が封じ込められているといわれています。
・・私たちはちゃんと帰ることができるか不安で、風流どころでないし、寒さも身にしみていました。
・・とにかく、日本のように懇切丁寧な案内の看板はないし、アナウンスもありません。
・・まあ適当に船に乗ってしまえば湖だからどこかにたどり着くだろうと、停泊している船に乗り込みました。船が空いているからほっとしたのですが、どうやら満員になるまで出港しないようです。時刻表がないのはこのためでした。
・・とにかくさんざん苦労してホテルに帰り着きました。


全国シロアリ対策センター前


余杭市白蟻防治所での交流会


臨平公園でシロアリ採取するY氏


余杭市のシロアリ関係者と食事


すぐにエンコする車

杭州・余杭市のシロアリ関係者と交流

・・2月4日の午前中に、まず日本のしろあり対策協会にあたる全国シロアリ対策センター(全国白蟻防治中心)を訪ね、責任者のL氏らと地元の杭州白蟻防治所などで交流しました。L氏の名刺の肩書きは「世界名人」とのことで、まあ、どこにいっても席を譲られるほどの人だということがわかりました。
・・2月5日には車で余杭市に行き、シロアリ用の薬剤まで製造している余杭市白蟻防治所で交流し、関係者とともに近くの臨平公園に向かいました。
・・この公園ではいくつかの薬剤試験が行われていて、その説明を受けました。
・・Yさんはさっそくシロアリの採取に取り掛かり、タイワンシロアリの生息を確認し、ヤマトシロアリの仲間を採取しました。
・・私が現地の技術者に「これはヤマトシロアリなのか」と聞くと「キアシシロアリ(黄肢散白蟻)だ」といいます。しかし、どうみてもキアシシロアリではありません。中国ではヤマトシロアリとキアシシロアリが混同されているようで、実際文献の上でも Reticulitermes speratus の学名に黄肢散白蟻の名前が付けられていることもしばしばです。
・・このヤマトシロアリの仲間をこの日の夜にY氏と私で同定を試みたのですが、私が翻訳した『中国におけるシロアリの分類と生物学』(黄復生等)の検索表ではどうしても答えが見つからないのです。
・・そうこうしているところにE教授やA氏がやってきて、一杯呑むことになったので、このシロアリを広州の昆虫研究所に持っていくことにしました。
・・ところで、余杭市からの帰り道は散々でした。行きは最新型のオデッセイでしたが、帰りは床がさびて道路が少し見えるような車で、少し走ってはエンストするのです。この日の夜には広州行きの飛行機に乗らねばならないのでかなりあせりました。
・・運転手は車が止まるたびにボンネットを空けてごそごそと直すのですが、またしばらくすると止まります。最後には後のトランクを開けてずらりとそろった新品の部品を一つ手に取り、「これをつけるから」と私たちに胸をはりました。そんなら最初からつければいいのに。

登機前の杭州の空港の喫茶店


広州での宿、景星酒店


広東省昆虫研究所


昆虫研究所正門正面


昆虫研究所正門横の売店


D教授(左)とは話が合わなかった


研究室にあった被害サンプル


牡蠣がらの被害


P氏(中央)に懸命に説明するY氏


異尖唇散白蟻、だそうだ


タイワンシロアリの採取


キバネオオキノコシロアリの採取


林業科学研究院


やけに部屋が広いカラオケボックス

広州にて

・・広州はさすがに大都市で、雲を突き抜けるような摩天楼が立ち並んでいます。そのうえ春節だからあたりの植え込みから電柱まですべてイルミネーションで飾られています。

・・広州ではまず中国でも最も権威のある広東省昆虫研究所を訪れました。ここは中山大学の中にある研究所で、大学の中には職員や教授たちの宿舎もあり、洗濯物などの生活臭もあります。有名な学者たちは退官してもなおここの宿舎で生活しているのです。
・・ここでは中国におけるシロアリ対策方面で有名なD教授と交流しました。
・・薬剤の使用についての考え方では日本側とかなりの差異があり、E教授が日本の現状をふまえて有機リン剤の大量使用には環境との整合性で問題があると主張すると、D教授は環境への配慮といっても日本こそ世界で木材を切りまくっているではないかと応酬する場面もありました。後で聞くところによるとE教授とD教授はかなりやりあったそうで、「彼はなにもわかっていない」とE教授はぼやいていました。
・・私とY氏はシロアリの分類に興味があったので、その専門のP先生を呼んでもらって別室で話し合いました。
・・余杭市で採取したヤマトシロアリ属について「中国の検索表でも同定できない」と私たちの見解を伝えると、P先生は「今はその検索表は使っていない。現在はこれです。」とさらに細分化されたものを見せてくれました。そして採取したシロアリを同定してもらった結果、これまで聞いたこともない異尖唇散白蟻 R. heterolabrallis ということになりました。なんだかよくわかったようなわからないような気持ちです。

・・このほか広州ではD教授の案内で、中山大学内に設置されているイエシロアリの誘集箱や少し車で走って林業科学研究院の森の薬剤試験場などを見学しました。
・・私たちは行く先々でタイワンシロアリの泥被をほじったり、ヤマトシロアリ属の生息木をばらしたりしました。
・・また、華南植物園では「こんな寒いときには無理だ」というD教授の言葉を尻目に、泥被のびっしり付着した切り株を掘りつづけ、とうとうキバネオオキノコシロアリ(中国名・黄翅大白蟻) Macrotermes barneyi の採取に成功しました。さすが採取にかけては人後におちないY氏です。

どちらが払っても同じ

・・広州ではA氏の会社と同グループの商事会社の社員の案内で夕食をいただきました。
・・大きなホテルにある高級レストランでの食事ですが、ウエイトレスのお姉さんが箸やお絞りを投げてよこしたのには驚きました。また、食事の後A氏と商事会社の社員との間でお互い「私が払う」「いや私が持ちます」といっているので、レジのお姉さんは少しいらだっている様子。でも大会社の社員同士での接待ではよくあることです。ところがそこに若いウエイトレスのお姉さんがやってきて、甲高い声で早口に横槍を入れました。これだけでも日本ならいらぬおせっかいなのに、この若いお姉さんは「どちらが払っても同じよ」とまくし立てたのです。日本でこんなことを言えば即クビでしょう。

ワゴン式飲茶

・・私たちの宿は景星酒店という広州東駅に近いホテルで、ここのレストランの飲茶が人気スポットだと教えられました。
・・かなり広いレストランに座るとすぐにお茶がティーポットごと出されます。場内には各テーブルの間を縫うように10台近くの点心のワゴンが行き来し、近くまできたら呼び止めて好きなものを注文し、入口でもらったカードに印鑑をついてもらって精算するという仕組みです。
・・かなり味がよく、種類も多く、かつ安いときているので私とY氏はいっぺんに気に入り、翌日の朝にはE教授を誘いました。

天ぷらうどんとは天ぷらとうどんのこと

・・最終日の昼食を広州の旧市街にある日本料理店で食べようとタクシーで繁華街に出ました。
・・たどり着いたのは人民中路にある「韓日バービキユー料理」と書かれた「金大荘」という変な店です。入口にはチマチョゴリの女性がいて、各テーブルには目立つように日本の清酒「松竹梅」の1升ビンが1本ずつ置かれています。
・・空港に向かう関係上あまり時間がないので簡単にできるものをということで、メニューにあった天ぷらうどんを注文しました。
・・しかし、注文してもなかなか出てきません。「今小麦粉を練っているところだ」などと冗談が出ているうちはまだ余裕です。とうとうしびれを切らしてウエイトレスに文句を言ったところでやっと出てきました。
・・「なんだこれは!」とみんな驚きました。具のない醤油(だけの)味のうどんが4杯と大皿に盛られた天ぷらの山です。天ぷらとうどんだから天ぷらうどんなのでしょう。たぶん「バービキユー料理」の場合でも大変なものが出てきそうです。

国内線ならファーストクラス

・・広州白雲空港から上海に帰る飛行機はファーストクラスでした。待合室が違います。ふわふわのソファーのある特別な部屋です。すぐ近くには接待の女性がいて飲み物などを運んでくれます。部屋の外では人民大衆が込み合った待合室で押し合いへし合いです。
・・「これが中国の社会主義なんですね」とE教授がつぶやいていました。
・・中国の航空会社ではどこでも登機するたびに客の全員にプレゼントが出ます。すでに私たちは飛行機の模型やらメダルやらをもらっていますが、ここでもネクタイをもらいました。こんなところでサービスしなくても時刻どおりに飛ぶことのほうがサービスなのにと思ったりしました。