ビオトープとは


ほとんどが人工物の山間の風景
しかし、生き物の生息サイクルは維持されている
これもまた広い意味のビオトープ


人間によるビオトープは
自然に対する慰謝の特殊形態

ビオトープについては様々な議論や定義づけがあり、また目的も様々です。
本来の言葉の意味からすれば、生物の住む場所のすべてはビオトープであり、それこそ「ダニのわいた毛布」ですらビオトープといえないことはありません。すなわち広い意味でのビオトープです。
また、都市などで生物の住まい場所を確保したり、里山を保全したり、一定範囲の生態系の急変をある時点の状態まで復元するのもビオトープです。
さらに、教育や研究など特定の目的のために「作られる」ものもビオトープと言えないこともありません。
一般には、広い意味でのビオトープではなく、一定の目的をもって一定のエリアに形成される生物の住まい場所を意味します。
屋上緑化や学校ビオトープがビオトープといえるかどうかは議論の分かれるところですが、一部には自然(=地球とそれに適応する生物の様相)の動きに反する 恣意的でアリバイ的な似非ビオトープが作られる傾向や、ビオトープの「生態を守るため」に自由に立ち入りできないものもあるようです。

人間は自然に働きかけること(生産)によって生きているのであり、自然を人間の思い通りに改変することなしには生きられません。特定の植物を育て、特定の生き物を排除し、特定の生き物を確保し、特定の物質を採取しなければなりません。
近代工業の生まれる前は、大体において人間は自然に対して控えめにふるまってきたので、自然の変化のサイクルは人間の生産活動を許容していましたが、大規模生産の時代に入ると人間の傲慢さを自然は許容できなくなりました。
人間は利潤のために急激に自然を破壊し、コンクリートで固め、大量に資源を奪い、大量に薬剤を散布し、大量に生き物を撲滅してきました。そして戦争も地球規模になりました。

環境保全とか環境保護というのはこうした自然破壊が人間の利益にならないことの人間による理解であり、自然に対する慰謝行為です。ここでいう環境というの は、当然にも人間にとっての環境です。地球自体からいうなら、人間がいかに自然をだいなしにしても、それもまた自然の一部であって、人間が滅びようとオゾ ン層がなくなろうと自然は自然のままです。
ビオトープという考え方は、自然との整合性を身近に引き寄せることであり、また、その普及・宣伝でもあります。
それは「害虫」や微生物を含むすべての生き物とのやり取りの仕方(つまり共生のあり方)を、人間の体も含むすべての自然のサイクルに合わせるようにすることです。
もしもビオトープが個々の場所や施設の「建設」で終わり、個々人の生き方、住まい方に連関しないなら、それは似非と言わざるを得ません。
ビオトープとは、生き物(Bio)がありのままに生息活動する場所(Top)という意味の合成されたドイツ語です。開発優先への反省にたち、自然が自ら再 生できるように人間が配慮する運動として、1970年代にドイツで始められました。だから、本来は自然環境そのものがビオトープなのですが、生き物が住み にくい都市部などで、人間によって再構成された自然環境をとくにビオトープというようです。
わが国では、近年自然が豊富な郡部においてすらビオトープが作られるようになり、一つのブームになっています。しかし、一部ではわざわざ自然の雑草地や雑 木林を改変してまで「ビオトープ」が作られたり、人間の価値観で作られた公園のようなものが「ビオトープ」といわれたりしています。これではビオトープと 正反対の行為となってしまいます。
ビオトープにしろ、里山の保護にしろ、それらは人間の生き方、思想であって、そうした思想が育たないならどんなに立派なものができたとしても意味がありません。
公園のように整備されたきれいなビオトープや里山に、無理に放流した魚や昆虫図鑑の主役たちがどんなにたくさんいようとも、個々人の生活の周囲から好き嫌いや目先の利害に基づいて生き物を一掃しようと考えるなら、それは生き物の隔離であり、古い開発思想そのものなのです。
身のまわりのすべての生き物の生きる意味を考え、家屋内外、体の内外での彼らの生息を許容し、うまくやり取りすることこそ、これからの人間の生き方ではないでしょうか。

本来の床下はビオトープだった。

床下はもともと生き物の住まい場所でした。土の中には無数の微生物が住み、それと関連して多くの小動物、昆虫、爬虫類、哺乳類などが住んでいました。そして、多くの生き物が住むにもかかわらず、彼らは人間の居住空間を意識して、うまく住み分けてきたのです。
床下の土をコンクリートで圧殺したり、薬物を大量に散布して生き物を一掃することは、床下における異物の分解機能を奪うことでもあるし、家屋を自然から切 り離すことを意味し、ダニ・カビなど多くの生き物とのバランスある生き方を放棄することになるのです。そしてこれは生活上の様々な新しい障害の原因となっ ています。
だから、もしもビオトープの意義を理解しようとするなら、やはり、床下(および家屋全体)を再び生き物の住まい場所にするという配慮に結び付けるべきなのです。


こういう床下を「汚い」というのは
人間の勝手な言い分