江戸中期1650年ごろ東海道53次東から御油・赤坂・藤川・岡崎・池鯉鮒宿の図。
・吉田豊河橋を渡り、今宵、宮路山の夜狐か御油松並木の狸か、どちらに、だまされ、、、誘われるままに・・・いずこにか・・弥次さん・喜多さんたち。
「東海道膝栗毛」から、
・本宿法蔵寺の門前町で、名物の法蔵寺だんごを、ほうばり、名産の法蔵寺ぞうりに履き替かえ、
・ ここの名物・麻袋を買いながら・・・願いとかけて法蔵寺
なむあみ袋は ここの 名物 と詠んだ
その歌心に感謝したい。
・遠くに岡崎城を望む矢作橋を、今日も「エッサ・えっさ」かけ声高く大名行列が続く・おなじみの東海道の風景。
蜂須賀小六と三河冠者の出会はいまも有名。
・古来武将には馬が付き物、東海道の往来も馬が主役・セリ市で賑わう
・ 池鯉鮒のうま市。
・寄らせ、泊まらせ、・相部屋はござらぬ、屋敷もきれいと旅人たちに誘い声。遊女の悲恋をいまに残す。「夏の月、御油よりいでて赤坂へ」芭蕉の句。
広重絵「東海道五三次」に画く「ソテツ」は浄泉寺に移して、遊女たちを弔っている。
・赤坂宿を過ぎ、東海道松並木「国の天然記念物」が延々と続くなか長沢村至る。ここには底なし沼があり、巨大なナマズが旅人や村人を苦しめた伝説と坂の上田村麻呂が退治の伝承がある。
・赤坂宿から長沢・本宿村は山沿いで急坂で東海道松並木が続き、昼なお暗くして盗賊や渡世人に旅人たちを悩ませた処で婦女子はこの間は馬による旅であった。従って、本宿村東境の立場村で馬をすてて、法蔵寺門前町まで歩くことになる。
・法蔵寺詣でのあと、門前店で名物法蔵寺だんごで腹ごしらえして、痛んだ草履を新品に変えて西に藤川宿か、城下町岡崎宿場に向かう急ぎ旅となる。
「注」この間の東海道の街道の記述は、本誌に書かれているから略します。
・山中村から舞木村の山中八幡宮の大森を左に見ながら、長く続く松並木の切れた処に、藤川宿の入り口に至る。ここが広重画の藤川宿場東の棒鼻である。東海道五三次の宿場のうちで、赤字に悩む宿場で二川と並ぶ45番目の宿場で本誌に記述した。広重藤川図は江戸幕府将軍に献上馬を役人が出迎えしている図。