本宿村役場
フランスでは「1850年」人々の権利、幸福の追求、平等の思想が芽生えて、 米国は合衆国独立宣言、フランスは人権宣言の積極的動きがあった。
1,人間は生まれながら自由であり、権利においては平等である。
2,人間の自然にそなわった消滅することのない
諸権利は自由、所有、安全および
圧制に対する抵抗である。
3,およそ主権というものの根源は本質的に国民のうちに存ずる。
4,所有は侵すべからざる神聖な権利である。
西暦1789年制定、 本宿村が広域村政を行うため鉢地村、本宿村、衣文村、大幡村、鶇巣の5村を総括し 中町から村の中心部に移した。本宿小学校については何故北風が吹き抜ける寒い所に と疑問を持つ人も多いが、校舎建設は激論があり、一番遠い鉢地村と鶇巣村の丁度中 心の距離に落ち着き通学生の公平と広い寒村ならではの落ち着き 公平の結論である。 愛知電鉄「愛電゜今の名鉄はまず豊橋まで鉄道を造ろうと必死に岡崎から工事をして、 大正15年4月1日に夢の電車が山間の寒村にやってきた。当時は2頭馬車による乗 物が初めて電車で村も人々の喜びは大変なものであった。しかし、案外運賃が高くて 田舎物では高嶺の花であり、乗る人は少なかったようだ。本宿駅の位置については、 愛知電鉄は埋め立地で200b西に設置を要望したが、30日の論戦の後落ち着いた。 当時 田畑で仕事をしていても電車が着くたびに駅に集まり覗き込んだと言う。 本宿に 電灯が付いたのは駅が出来た頃で電車と共に電灯が灯り、一度に山間の村に 文明開化が訪れて学校では子どもたちの自慢の話が持ちきりであり、珍しかった。
本宿村役場の建物は大正末に設計された大正ロマンが随所に漂う当時にしては格別に 素晴らしい構造と雰囲気を持った役場で、岩津村役場・福岡村役場と大平役場が並び 今残っているのは本宿村役場の建物だけで 平成7年故前田市議が本宿のために補強 工事と外装をして村に貢献されたが、残念ながら余り使うことはなく、価値ある建物 利用が強く望まれる。屋上に空襲警報、火事等のサイレンは懐かしいが撤去された。
昭和8年小早川博村長は卓越した先見性と判断と行動で名村長といわれ、数々の業績 本宿村に残した1つに、鉢地トンネルがある。彼は愛知県に寒村本宿村は蒲郡の海に 本宿村の 発展を見いだし県に強力に要請し村議会を纏めた。工事仕事で村人に収入を得ること と、海岸ルートに村の発展を計画していた。が難工事と賃金問題もあり、難航しみ 人の災害もなく8年完成した。丁度その年に立派な蒲郡ホテルが誕生した。 本宿村と蒲郡町は共同して鉢地トンネルを通り、海岸美優れ小学唱歌に広く歌われた 蒲郡竹島海岸に松原の高台の高級ホテルと本宿駅とを結び、山麓ドライブコースで観 光ルート開発し共同で観光バスを鉄道省に本宿と蒲郡は運転を申請した。名鉄は慌て て申請して競り合いになったが、名鉄の藍川社長が度々本宿を訪れ、名鉄が運用権利 持ち直ちにアメリカフード社に素晴らしい高級観光バスを走らせることになった。 この観光ルートは箱根に似ているところから「新箱根ドライブコース」と名付けた。