ここ半世紀「50年」の間に、私達本宿の街には「希にみる」「道と住民」との戦いがあったことをこの町の歴史から見ることができ、1つ1つに深い思いが込められている。
江戸末期 本宿で先見の明を持って活躍した 富田群蔵
その1つに・・・希にみる
「希にみる道路景観と生活道路と1級国道1号線との協調で見事な景観施設がある。」
「本宿町の東端」東町から「本宿町の西端」西町まで凡そ1300bの区間は「建設省が歴史ある本宿にマッチすべく、東海道ルネッサンス事業として「国道1号線の21世紀の環境と美観のモデル地区」で国Tの「4線化」「4つの地下道」「駅高架化」「町民の生活道路」のなかに組み込まれた「21世紀型東海道1号線モデル地区」は素晴らしい。
私は東海道宿制四百年誌の取材で国道1号線数回往来したが、前記の本宿町域1300bの区間の道路の景観は、他には見られない優れている「道路の文化」を見せている。
その2つは・・・希にみる25年以上の話し合いの集積の結果で生まれた
長期にわたる本宿住民の「道路意識の集約と協調」の結果である。
「ローマは1日で出来ず」の諺の如く、この本宿の町には25年間以上の「道と住民」と「戦いと協調」の長い歴史「住民委員会」が、25年の歳月の積み重ねの民意結集がある。要約すれば本宿に住んだ先輩たちが国道T号線との「忍耐と協調」が優れた景観がある。即ち「国T」と「生活道路」と取り組んだ25年間の「不屈」と「協調」の歴史は高く評価されておりこの25年の歳月は町民は忘れることは出来ない。住民の集約は見事である。
その3つは・・・私達の「ふる里本宿」は、古今街道に恵まれ鎌倉街道で出生寺「現法蔵寺」が誕生して、江戸時代は「東の赤坂宿」と「西の藤川宿」の「中間休み処」として、東海道名物「法蔵寺だんご」と「旅草履」で江戸中期は栄え、加えて、天下人徳川家康幼名竹千代が手習い寺として、「手習いの松」で親しまれた由緒を、歴史書でしられている私達の本宿である。その4つは・・・希にみる古今の街道と近代道路の道筋は「日本一の帯の町」
本宿の町は「鰻の寝床」で東西に1300b・町の東西全域を「鰻の頭から尾まで」の
1300bを本宿の町を2分化して、公害・騒音に悩み、さらに国道473号・数年後は第2東名と音羽現インターを結ぶ、バイバス道路が予定され、日本の表街道の古今からの
鎌倉街道、旧東海道・幹線国道1号線・これに高架で東名高速道路・近くに第2東名走り、名鉄線路も東西に町と併走し巾200bの間に、古今日本の4つの幹線道路が東京名古屋京阪神の3大経済圏を貫通する、地上交通の最たる「希にみる」本宿の現状である。
しかし、、、この本宿町には他に見られない1300年の歴史を刻む「ふるさと」があり、古刹法蔵寺や徳川家康「ゆかりの竹千代手習い寺」・「法蔵寺の夢祭り」さらには、本宿「岡崎市及び岡崎東部地域において、戦前戦中戦後の昭和全時代を地域住民の心の寄り処」として、生き抜いきた・本宿の象徴・「旧本宿村役場の存在」など過去の本宿の存在回顧するとき「温故知新」の諺が、「より貴重な教訓」として今我々に問われている気がする。
以上を真摯に考え、、、「明日の本宿町」を「住み良く」「発展的」に前向きに・・・・・・「既設の東海一」の国道1号線東海道ルネッサンス「前述」を「21世紀の国Tモデル地区」と本宿町が日本有数の「古今街道歴史文化を育んだ本宿・1級国道1号線」と東名高速」とを総合的に捉え、「日本の千年の街道みち資料館」「街道文化の二十世紀の歩みを、昭和初期の由緒建物を活かして、岡崎東部本宿にに「キラリと光る文化」を築きたい。