大昔の本宿の夜明け

いにしえの むかし、 この地に ヤマトたける「日本武尊」が、東征のこの地に立ち寄られたときに、 山間から二条の白雲と赤雲がともに立ち登るのを見給いて ・・・、「これぞ」・錦の御旗なり」と仰せられ、 この山を「二村山」 と名付け給う。 よりて、この地のを「二村山」という。

注、「1」 昔は錦1巻きを「1ムラ」と言っていた。
「2」 二村山は岡崎市本宿町「緑町住宅地」の南裏山である。

三河法蔵寺境内の賀勝水のいわれ「伝承」

このとき、日本武尊は この二村山に登りたまいて天照大神をはじめ天地の神々たち にを拝して、 東征の武運を祈願し奉り給う。「われ もし 祈ること むなしからずんば、効を見届け給え」といいて、ほこ「鉾」で 岩を突き給えば、 清水たちまちに湧き出るなり。
武尊は このとき 大いに喜ば給いて「賀勝」・「賀勝」・「賀勝」と、三度唱え給う。 この由によりて、この清水を「 賀勝水 」と いい、今に至るも こんこんと湧き出るなり。 枯れることなし。

この賀勝水は 三河本宿法蔵寺境内の石段を左にあって四尺四方の井戸で清水は清く 古今未だに、一度も水枯れしたことはない。この地は鎌倉街道や旧東海道が通り、
ここを行き来した戦いの武将と兵たち「この賀勝清水」を好んで飲み干して、勝ち 戦さとしたと 伝えられているなり。
また、多くの戦いの兵士、炎暑の折この「賀勝水」を飲みて、合戦に赴き、病せず、もし、病ありても直ちに治りし故に、今も尚、この賀勝水を飲み病を直さん とする人々は多しと聞くなり。

  

しかみ像 徳川家康像 三方ヶ原の戦いで落胆している家康公の姿です。
家康公は、生涯この画像を座右から離さなかったといわれています。

「ふるさと本宿1300年史郷土誌」から。

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