東海道の名物

法蔵寺と法蔵寺門前町の御紹介

岡崎市本宿町は岡崎市東部の市境に位置して、古くから街道に恵まれ、鎌倉街道や旧東海道沿いで、大宝2年高僧行基により出生寺、のちに法蔵寺として 時々の幕府から保護を受け村は法蔵寺として栄えた。江戸中期ごろから東海道 の赤坂宿と藤川宿場のほぼ真ん中の旅の休憩所「お休み所」として多くの旅人に親しまれた。村びと伝承によれば「法蔵寺だんご」と「旅草履」が売られ、 門前にある徳川家康幼名「竹千代の草紙掛けの松」と共に、知られて育てられ た街道の要所として栄え、今日に至たる。大宝2年は「西歴702年」である。│

三河法蔵寺だんごと門前町草履はどんなものであつたか

法蔵寺門前町は東海道沿い茶店で道中名物「法蔵寺団子」として、多くの 旅人にもてはやされた。やや大きめの竹の串に平たくした米団子にを五つ 刺して、たまりを付けてゆっくり焼いたもので、味と香りもよく道中の絶好の食べ物として、本宿の名物になつた。法蔵寺だんごとして東海道を行き来や法蔵寺詣での旅びとたちに大いにもてはやされた。

法蔵寺草履「ぞうり」はどんな草履であったか

もとより、三河本宿は山間の集落で古来から麻や縄の産地であり、百姓の夜なべで造られもので、売られる前に法蔵寺で祈祷されて「今でいう安全」 売られ人気があった。麻と縄で編んみ造られた旅草履は、丈夫で長持ちして 履き心地がよく、法蔵寺で祈祷してから売り出していたから人気が良かった。 充分うなずける話であり、商売上手の手本かもと思われるところであろう。

知られざる三河、東海道と宿場、その歴史とロマン
江戸時代「中期」の 東海道沿いの法蔵寺村「今の本宿町」のようす
この時代、欧米にあっては、すでに民主主義が芽生え、故人の思想が大切にされる時代が到来しつつあったが、日本国では・・・・・

このような世界の動きに

江戸時代は西暦1600年江戸幕府が、徳川家康によってつくられた東海道は1601年慶長6年五十三次宿駅制度が出来、街道の様子や風情は変わりつつあったが封建思想が色濃く残り三百年も三百五十年も永きにわたり継承された。

文献などで当時の東海道街道の様子を再現しよう。

夜も明けきらないのに、赤坂宿や藤川宿場では

朝早く、赤坂の宿場では多くの旅人たちに混じって、雲助・行商人・渡世人や浪人・武士、それに参勤交代の大名行列などのの人々が右往左往し、赤坂宿では 本宿村までが宮路山麓のため昼なほ薄暗く、不気味で多くの婦女こどもは、馬に乗り長沢峠を越え東海道の旅で、本宿村の東の立場で馬を降り法蔵寺詣となる。

 

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